――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘45)橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2084回】                       二〇・五・丗

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘45)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

橘に依れば、「學生群衆の最大の結束たる」全国学生総会の「主潮が國民黨及び共産黨の方向に從つて流れつゝある」ものの、「其の一部に個人主義即ち自由主義思想に傾く者の少なからぬ」のが現状である。「中國中産者」の少数者――南洋華僑や上海などの大都市の商工業者団体など――に依拠する国家主義団体もあるが、大多数は農村に基盤を置く。

この大多数は農村に基盤を置くがゆえに「其の環境に國家思想を刺戟する樣な條件を缺」くばかりか「一部無産者に於ける國民黨又は共産黨の如き指導者を有しなかつた爲に」、国家思想を思い至るまでもなく「殆ど原始的な無自覺状態に沈滯して居る」。

ということは当時の中国で国家観念を持っていたのは、国民党、共産党、全国学生総会、南洋華僑、それに大都市の商工業者団体の少数であり、圧倒的大多数は「殆ど原始的な無自覺状態に沈滯して居」たことになる。

にもかかわらず橘は「之を要するに、中國人にも國家思想があり、少なくとも彼等を刺戟して國家思想に醒めしめる事は左程困難な事業ではない」と強引に総括してみせた。

だが、はたして「殆ど原始的な無自覺状態に沈滯して居」た大多数を、どう「刺戟」すれば「國家思想に醒めしめる事」が可能なのか。本当に、それは「左程困難な事業ではない」のか。どうも橘の議論はズサンが過ぎるように思えて仕方がない。

「無知識な無産者」に対しては「唯彼等の利己心に訴へ」ることで「彼等を導いて國家思想の抱持者たらしめる」ことができると説くが、それを試みた孫文でさへ「多く報いられる所がなかつた」ではなかったか。

五・四運動以来の動きから見て、たしかに学生の「血管の中に民族に對する愛着の情緒が流れて居」ることが認められるが、それは他の民族も同じように持つ「半ば本能的な民族愛」だ。彼らの素朴な「民族愛を愛國心にまで發達させる爲には、彼等の愛着に價する新國家を建設しなくてはならない」。

――こう分析した後、橘は次のように結論づけた。

(1)「中國の民衆は中産者と無産者とから成」る。

(2)「無産者の一部は既に國民黨の指導に依つて國家思想を獲得し」た。

(3)「中産者の子弟なる學生も亦自發的に國家思想に醒め、進んで其の宣傳者となる事が出來」た。

(4)残るは「中國民衆の中堅的勢力とも云ふべき中産者、殊に農村居住者」だが、彼らが国家思想を「何人に依り如何にして與へられるか」。この問題が残されている。

そして日本人に対し次のように提言する。

「外國人、殊に中國と隣接せる日本人としては、中國人と雖も適當な機會と方法に依り、容易に彼等に國家思想を起させ得るものだと云ふ事を充分に呑み込んで置いて貰ひたい」。そして「此の認識の上にのみ、新しい對華政策は建てらるべきである」と記し、「中國人の國家觀念」と題する論考を閉じた。

どうやら橘は「適當な機會と方法に依り」さえすれば、「中國民衆の中堅的勢力とも云ふべき中産者、殊に農村居住者」に国家思想を植え付けることが出来る。その土壌を彼らは持っている。だから「此の認識の上にのみ、新しい對華政策は建てらるべきである」との考えに基づいて、後に満洲や日本占領下の北支の農村で展開した農村協同組合運動や合作社運動を「適當な機會と方法」と位置づけ、彼らの「發財主義」を満足させることで、「中國民衆の中堅的勢力」である農民に国家思想を定着させようとしたのか。

これが「新しい對華政策」なら、最初から破綻は運命づけられていたように思う。《QED》


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