――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘35)
橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)
国民党にとって農民協会は「農村に於ける階級鬪爭の機關であ」り、敵は「地主及び郷紳の指揮する『民團』である」。だが「民團」とは元来が「文武官憲及び土匪の侵略に對して農村を擁護する武装團體」であった。いわば自分たちの農村を外部勢力から守るために武装した自衛武装組織であるから、末端の最貧農民も加わっていた。
国民党は、民団から末端貧農――いわば最前線に立つ実働部隊――を引き剥がして農民協会に組み入れた。当然、民団の戦闘力は低下し弱体化せざるを得ない。だが、中国農村が抱えた複雑な構造が、ものごとを机上での計画の通りには進ませない。
民団と土匪が結託したり、農民協会に加わらない末端農民が民団を支援したり、農民協会に加わっていながら農民協会に敵対したり、末端農民間で潰し合いをしたり――言い換えるなら末端貧農の「發財主義」を刺激し、彼らの「吃飯問題」を解決可能な唯一の組織であることを、農民協会が示すことが出来なかった、ということだろう。
「中國では官僚階級者は其の文武官吏としての經歷中集積した得た富を主として土地に換へた」。また大商人などは自らの富で官位を買う。富のある者のみが子弟に教育の機会を与え科挙試験に合格させ、官に就くことになる。科挙は優れた才能を民間に埋もれさせてはならないということから、誰でも受験できる。だが、それはタテマエにすぎない。それ相応の財力を持つ地主の子弟にしか受験の機会は与えられない。だいいち圧倒的大多数の老百姓(じんみん)は字を知らない。字を学ばない。だから受験勉強が出来るわけがない。
つまり基本的に「官僚は必ず地主であり、地主は必ず官僚階級に入る」。だから中国では「大體に於て大地主と官僚とが同義語」だった。ところが官僚階級の権力の源泉である皇帝が消え去り、共和制となってしまったわけだから、「理論上彼等の特殊地位は消滅する外ない」。だが彼らは地主として土地を仲立ちにして農村――つまり中国の大部分―-を支配している。
農民協会が皇帝に代わって自分たちの権力の源泉とならない以上、民団(地主)は農民協会と敵対する。ところが問題は、最下層の無産貧農にとって農民協会の中核を構成する自作農や小作農のところよりも「大農家や地主にして自ら農企業を營む者に雇われる機會の方が遥かに多からう」。それぞれの利害が錯綜して、問題は複雑になるばかり。
例によって回りくどい表現だが、要するに農村には農民協会に集う自作農と小作農、地主、それに土地を持たない最下層の無産農民がいて、この3勢力が複雑に絡み合っている。農民協会は、この3者に均しく「發財主義」を満足させることはできない。最下層無産農民からすれば、農民協会に加わるよりは、地主と手を組む方が手っ取り早く「吃飯問題」を解決できる。もちろん、農民協会と地主は敵対するばかり――三竦み状態というわけだから、問題の解決は容易ではないことになる。
橘に依れば中国の稲作地帯で最も数が多いのが「小作殊に分益小作」で、次が「農業労働者、定納小作及び自作農」となる。だから国民党であれ共産党であれ農村運動の重点を小作農に置くのは正しい。だが、いざ実際の運動となると「發財問題」に加え「社會的名譽」という厄介な問題が起って来る。自作農と小作農の利益は対立しない。小作農と地主が対立した場合、自作農に利害は生じないから我関せずで、ある。
所有地面積の多寡に関わらず、中国農村では土地の有無は「社會的名譽を伴ふから」、自作農は「地主其他の富裕なる仲間から離れて貧農達と行動を共にする事」はない。なぜなら「自らの地位を落とす結果」となるからだ。つまり利益とプライドが絡み合って一筋縄ではいかないところに、孫文の苦心惨憺があった。これが橘の見立てであった。《QED》