――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港18)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港18)
【知道中国 2136回】                       二〇・九・念二

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港18)

 Tさんとの深夜の“常設化した酒宴”に不足があろうわけはないが、やはり時には一人でゆっくりとビールなんぞを・・・貧乏留学生でも許される細やかな贅沢だろうと納得し、佐敦道に面した歌庁――庶民の憩いの場――に出掛けることもあった。広いフロアーに飾り気なく貧乏臭い丸テーブルが置かれ、その周りにはプラスチック製の椅子が並ぶ。ステージの歌手(と呼べるかどうかは不明だが)の歌声をサカナにして、お茶やビールを楽しむと言った式の、至って健康的な、正直に言ってしまえばチャチな仕掛けではある。

 何回か通い顔馴染みが生まれると、ヤアヤアと目で挨拶だ。ある日、年下と思しき若者を連れたアンちゃん風情の30歳前後に「おい、こっちのテーブルで一緒に飲まないか」と声を掛けられた。同席して暫くすると、さっきまで舞台で唱っていた小太りの歌手が舞台衣装の儘で彼の隣に座った。上半身は薄いブラウスを羽織っただけだから裸同然。いや、ドギマギするばかり。やおら彼が「こいつがオレの彼女で、そっちは舎弟だ。これからも宜しくな」と。どうやら彼は、この歌庁ではイッパシの顔のようだ。「そろそろ、お開きに」。やおら腰を上げると、「今日はオレのオゴリだ」。ここで割り勘などと言ったら話がこじれる。ましてやコッチが払おうものなら、「オレの面子を潰す気か」とゴネられてしまう。そこで、「多謝、多謝」とその場を離れた次第だ。

 ここからが本題。

 数日後、4人の子供を教えるために大埔行きの路線バスに乗ると、運転手が「お~い!」と声を掛けてきた。見ると歌庁で同席した例のアンちゃんで、車掌は舎弟だった。乗客は私のみ。行く先を告げると、彼はなにを思ったのか、客が待っているにもかかわらず、次々にバス停をすっ飛ばしてスピードを上げ始めた。

 道路の左側は歩道で、歩道を挟んで商店街。右側は中央分離帯の柵。道幅はバス1台程度。前方をサイクリング自転車が走る。バスの前を、まるでこっちの方が早いぞといわんばかりに軽快に飛ばしている。すると運転手が、「これからいいものを見せてやるからな!」とアクセルを踏み込んだ。バスはスピードを一気に上げ、もうすぐ自転車にぶつかるほどに接近する。

 いわばバスが自転車をアオリ始めたのだ。すると、さっきまで時折後ろを振り返りながら余裕を見せていた自転車君の顔にアセリの色が浮かんだ。いや恐怖だったろうか。

慌てた彼はサドルから腰を上げ中腰になり、尻を左右に振りながら必死にスピードを上げ、バスから離れようとする。だが運転手のアンちゃんはスピードを落としたり上げたり、クラクションを鳴らしたり。

 道路の左右に自転車の逃げ場はないから、必死に自転車を漕ぐしかない。しばらく走ると前方の左手にバス停の広場があり、自転車はそこに逃げ込んだ。今にも泣きだしそうな自転車君の顔を目で送りながら、運転手のアンちゃんと車掌の舎弟はゲラゲラと笑うばかり。そのまま幾つものバス停をノンストップで走り抜け、予定よりだいぶ早くに大埔着。バスから降りる背中に「じゃあ、また飲もうや!」の声が掛かった。

 後に知ることになるが、彼は数人の仲間を抱えた黒社会の構成員で、昼の正業がバス運転手だった。じつは香港では日本のように代紋を張り、麗々しく看板を掛け事務所を構え、一見して“組関係者”と分かるような振る舞いは見せない。中には黒社会構成員の噂が消えない弁護士やら大企業経営者もいるほどだから、厄介な至極な世界だ。仲間かどうかは仲間内で分かればいいわけで、だいいち維持費がモッタイナイから組事務所などない。

 運転手、彼女、それに車掌も、当時の香港版阿Qの1人だった・・・のだろうか。《QED》

〔訂正:前回の【2136回】(香港18回)は【2135回】(香港17)の誤りでした〕

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