――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港18)

【知道中国 2136回】                       二〇・九・念二

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港18)

 魯迅が阿Qの生涯を借りて描き出したのは、自分より弱いモノにはエゲツナイほどに強く振る舞い、強いモノには徹底して媚び諂う中国民衆の情けない姿だ。そして阿Qは、強いモノに虐げられた時、それが世の中の仕組みだから致し方ないと自らを納得させる。これを「精神勝利法」と呼び、中国の民衆が遍く身に帯びた卑屈な奴隷根性だとする。だが、その阿Qは、時に「狂人日記」が糾弾するようにヒトを喰らうのである。だが、それだけではない。たしかに時として「差不多先生」が描くような行動を見せることもある。

 やはり中国人は日本人一般が考えるような単純で一律化されているわけだはないだろう。そこで中国人を解く次のような“数式”を思いついた。つまり中国人=阿Q×「狂人日記」×「差不多先生」である。これを言い換えるなら、魯迅が中国の歴史を凝視する中から浮かび上がった中国人と、胡適がアメリカ的合理主義に立って見詰めた中国人――相反する立場から捉えた中国人像を1つにしたらどうだろうか。

付け加えるなら魯迅は「燈下漫筆」で、次のようにも言っていた。

「たとい‥…学者たちがいかに結構を設けて、歴史を書くのに『漢民族発祥時代』『漢民族発達時代』『漢民族中興時代』などの好題目を並べたとしても、好意はまことにありがたいが、措辞が廻りくどい。次のような、もっとぴったりしたいい方がありのだ。

一 ドレイになろうと思ってもなれぬ時代

二 しばらく無事にドレイになれる時代

このような循環が『先儒』のいわゆる『一治一乱』である。(中略)

しかしわれわれは、古人とおなじように『昔からあった』時代に永久に満足しているのだろうか。復古家とおなじように、現在に不満のために三百年前の太平の御世にあこがれるのだろうか。

もちろん、われわれも現在に不満だ。だが振り返る必要はない。前方に道路があるからだ。そして、この中国歴史上かつてなかった第三の時代を創造することこそ、現代の青年の使命である。」(竹内好『日本とアジア』筑摩書房 1995年)

 些か飛躍するようだが、おそらく極めて善意に解釈すれば、共産党が目指した革命の目的は魯迅の説く「第三の時代を創造」することにあったはず。だが、現に我われが見せつけられている習近平率いる中国は魯迅の説く「一」か「二」の時代のように思える。いわば『社会主義創成時代』『社会主義発達時代』『中国式社会主義成長時代』などの「好題目」を並べる必要はなく、ズバリ「一治一乱」ならぬ「多治多乱」。だとするなら、依然として阿Q×「狂人日記」×「差不多先生」という考えは有効ではなかろうか。

もう少し飛躍するなら、「二」から「第三の時代」へ向かおうとしているゆえの香港の混乱であり悲劇であり、逼塞なのか。「現在に不満のために三百年前の太平の御世にあこがれる」からこそ、反中のシンボルに星条旗やユニオンジャックが打ち振られるのだろう。

 再び半世紀昔の香港に。

ある時、甘先生のところから戻る途中、こんな経験をした。

 私の横を走り抜けるバイクを、白バイが猛スピードで追いかけてきた。10mほど前方で追いつくとバイクを停止させ、やおら訊問を始めた。物見高いはなんとやら、である。もちろん野次馬の仲間入りだ。どうやらスピード違反の罰金額を交渉している雰囲気。なかなか話が纏まらない。すると遠くの方からサイレンが近づく。もう1台の白バイが罰金交渉に加わった。てっきり応援に駆け付けたと思ったが様子がオカシイ。すると最初の白バイ警官がスピード違反バイクを促して立ち去ったのだ。シマッタといった雰囲気の2台目の白バイ警官。どうやら罰金の山分けをしくじったらしい。香港版の阿Qかな。《QED》


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