――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港171)
ここで改めて振り返るなら、中国本土でも台湾でも禁戯措置を受けた演目を、第六劇場では自由に、繰り返し、飽きるほど、誰に気兼ねすることなく、しかも香港の市井の戯迷が醸し出す不思議にホンワカしたアナーキーな空間に身を委ねながら存分に味わうことが出来たわけだから、やはり奇跡としか言いようはない。戯迷としては願ってもない幸運であった。
言い換えるなら、何気なく日参していた第六劇場は共産党や国民党の独裁権力の統制の及ばない“文化自由区”であり、じつは奇跡の空間だったことになる。共産中国でもカッコ付きの「自由中国」でもない、文字通りの自由で気儘で混沌としたムチャクチャ(乱)でデタラメ(妄)な中国が、第六劇場の内側に毎夜、ひっそりと燃え上がっていたのだ。
偶然の巡り合わせとは分かっているが、それにしても戯迷としては香港の幸運極まりない時代を生きることが出来たわけだから、第六劇場に誘ってくれた数学教授には感謝以上の感謝である。
ここで中国で禁戯措置を受けた演目のうち第六劇場で繰り返し目にした「鉄公鶏」、「奇冤報」(「烏盆記」)、「游龍戯鳳」、「貴妃酔酒」、「翠屏山」、「四郎探母」、「大劈棺」の舞台を思い起こしながら、粗筋を追ってみようと思う。すでに紹介した2つの演目は除く。
「鉄公鶏」の別名は「太平天国」。ここからも分かるように、舞台は19世紀半ばに清朝統治に大打撃を与えた太平天国であり、主人公の張家祥は戦乱のなかで清朝軍指揮官の向栄の配下に転じた元太平天国軍の武人である。
向栄暗殺を命じられた張家祥だったが、向栄に認められ清朝軍に帰順し、あまつさえ向栄の娘婿となる。太平天国軍大将の鉄金翅が向栄を宴席に招いて暗殺を企てる。馬子に扮し向栄に従って敵の陣中に乗り込んだ張家祥は、敵の計略を見抜き獅子奮迅の働きの末、鉄金翅を捕縛し、向栄を助け、清朝軍に大勝利を導いた。
この演目の見所は、次々に襲ってくる敵の攻撃――刀剣、弓、さらには銃弾・砲弾――を身に受け躱しながら、張家祥が狂気の態で太平天国軍を打ち破り、向栄に勝利をもたらす場面だろう。
張家祥に扮した役者が大きな旗を手に舞台中央に置かれた椅子の上に仁王立ちするや、場面(はやしかた)はテイテイテイテイ、ジャンジャンジャンジャン、テケテケテケテケと鼓膜を破るような音が続く。一瞬の静寂の後、まるで親の仇に出会したように必死の形相で打楽器が打ち鳴らされるや、第六劇場の舞台と客席が渾然一体となって動き出す。
太平天国軍兵士が次々に襲いかかるが、張家祥は手にした大きな旗を打ち振り、敵の猛攻に怯まない。一歩も退かない。大きな旗は単なる旗ではなく、張家祥の獅子奮迅の勢いを象徴しているわけだ。舞台の上では瞬きをするのがもったいないように激しく立ち回り演じられ、場面が叩き出す猛烈な騒音が一気に鼓膜を突き抜ける。目と耳を通じての映像と音響の強烈な刺激が脳髄を揺さぶる。まさに上海で芥川を京劇小屋に案内した村田の呟き――「あの騒々しい所がよかもんなあ」――である。
清朝軍が、太平天国軍から寝返った張家祥によってコテンパンに打ちのめされ破れ果てる。この演目を清朝最後の“守護神”であった西太后が特に贔屓にしたとのこと。清朝にとって太平天国は憎んでも憎み切れない敵であり、張家祥は救国の英雄であるからだ。
だが太平天国を農民革命と評価する共産党政権からすれば、封建統治階級による農民革命弾圧の演目であり、張家祥は農民革命の裏切り者であり、反革命主義者になる。
イデオロギー的に張家祥は農民革命に背いた犯罪者であればこそ、延々と続く派手な立ち回りが見る者の心を捉えて放さない人気の演目であれ、「鉄公鶏」の禁戯である。《QED》