――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港177)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港177)
【知道中国 2295回】                      二一・十一・初九

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港177)

この�小平の発言を、西園寺はもちろんのこと訪問団一行は単なる外交辞令と聞き流したはずだ。だが歴史を振り返って見れば、外交辞令などでないことは朧気ながら分かるだろう。いや、分かってもらわなければ困るのだ。

大正元年に出版された『支那風韻記』(川田鐵彌 大倉書房)は、「論語の眞髓は、全く日本に傳はつて、支那には、其の實が洵に乏しい」。「書物など讀むにも、用心して之を見ないと」、「支那人の書いた書物に、讀まれて仕舞ふようになる」。「元來正直な日本人など」は「日本化された漢學で、直に支那を早合點」してしまう。だから、「四書を始めとして、何れの書も、意味をアベコベにとると、支那人の性情が、自ら分る」と説いていた。

日本人は玄界灘を越えてもたらされた漢字で記された文章を、「返り点」「一二三」「上中下」などを考え出すことによって、外国語であるはずの漢文を、国語の“亜種”として読み下し理解したと思い込んでしまった。この辺りに誤解の根っこがあるように思うのだが。

日本人をして中国と中国人に対する過度の拝跪・重視、その裏返しとしての侮蔑・軽視――共に見当違い――という心情を抱かしめた主因は、�小平が詫びるまでもなく「孔孟の道」であり「漢字」であったはずだ。

たとえば習近平国家主席は「以法治国」を掲げるばかりか、2002年に母校の清華大学から法学博士号を取得している。そこで「法」と言う漢字を知る日本人は、お人好しにも法学博士の習近平は「法」によって国を治めようとしていると思い込んでしまう。だが、ここで習近平が示す「法」は日本人が夢想しているような“普遍的な法”なんぞではない。敢えて喩えるなら、曹操が嘯いた「寧可我負天下人、天下人不負我」――「我(おれ)が天下人(せけん)に負(そむ)こうが、天下人を我に負かせない」――の「我」である。言い換えるなら「法」と「我」は同義語であり、「我の意思」と等価と言うことになる。

中国における権力者の常識は、中国以外の世界で「非常識」などといった生易しいものではない。敢えて言うなら「超常識」なのだ。そのことを、ゆめゆめ見落としてはならないのである。

「孔孟の道」や「漢字」については、当然、より深い議論が必要となろうが、それは後の機会に譲るとして、いまは当面の「貴妃酔酒」に戻ることにしたい。

「貴妃酔酒」の見せ場は、酔い始め頬をホンノリと赤らめた楊貴妃が杯を口に銜えまま後方に反り返り、ユックリと一回転しながら酒を飲み干し、あるいは百花亭の池に架かった橋を千鳥足で行きつ戻りつ、あるいは百花咲き乱れる庭をほろ酔い加減で歩き、あるいは倒れ込むようにして花々のなかに蹲りながらもユックリと立ち上がる――鍛え上げられた強靱な下半身だけが可能にする演技である。

だが、それは世に言う筋トレで作られた直線的なゴツゴツした動きではダメなのだ。あくまでも腰の線を動かすことなく、円を描くようにゆったりと優雅な動きでなければならない。役者の生身の肉体に掛かる負担が客に伝わるようでは、やはり役者としては失格だろう。下半身に掛かる相当な加重を客に微塵も感じさせることなく、舞うように動く上半身に加え、顔面はホンノリと酔いが萌した陶酔感と色香を漂わせなければならない。苦悶の表情など浮かべたら、その瞬間に楊貴妃が消え、生身の役者が現れたら失格で、即廃業。

ここら辺りが『梅蘭芳演出劇本選』の「比較的整った古典歌舞劇」に当たるに違いない。

第六劇場の役者は20歳そこそこの女性だっただけに、一連の動きは柔らかく美しく感じられた。だが若い分、体の線が健康的だったゆえ、酔った楊貴妃の艶めかしさ、酒に寂しさを紛らわせるしかない女の儚さは感じられなかった。やはり客は若い女性の溌剌たる健康美ではなく、娘を過ぎた女が醸し出す爛熟美、危うい艶っぽさを求めるのだ。《QED》

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