――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習96)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習96)
【知道中国 2430回】                       二二・十・初四

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習96)

 後にハノイは、ヴェトナムを犠牲にしてでも自らは生き延びようと画策する北京の身勝手な振る舞いを「拡張主義」「大国覇権主義」と罵倒する――このように越え難い現実政治の溝も、ヴェトナム人は中国人を嫌悪する一方で中国人はヴェトナム人を軽蔑する歴史的・民族的因縁を包み隠しながら、両国人民の「深く厚い友誼」は演出され続けた。やはり外交とは、ホンネをタテマエでコーティングした一種の芸術作品でもあるようだ。

 中国新聞工作者代表団の訪越から14か月ほどが過ぎた71年11月、「我国人民の偉大な指導者であり中国共産党中央委員会主席の毛沢東同志は、11月22日、ヴェトナム労働党中央委員会政治局委員でヴェトナム民主共和国政府のファン・ヴァンドン同志と彼が率いるヴェトナム労働党とヴェトナム民主共和国政府代表団全員と会見し」、「会見は極めて友好的な雰囲気の中で行われ、〔中略〕毛主席は前に進み出て(一行を)迎え、反米闘争の前線からやってきた兄弟であるヴェトナム人民の友好の使者に熱烈なる歓迎の意を表した」と、『中越両国人民牢不破的戦闘団結』は記す。

 ここで思い出してもらいたい。

 天下公認の毛沢東の後継者であった林彪と葉群夫人らが慌ただしく乗り込み、モスクワを目指し飛び去った小型ジェット機がモンゴル領内に墜落したとされるのは1971年9月。毛沢東暗殺に失敗しての逃避行(?)というのが北京の公式発表だが、権力闘争と謀略で明け暮れる北京の奥の院における話だけに、にわかには信じられそうにない。

 ヴェトナム代表団を迎えた当時、北京の政権内部での動揺は激しかったはずだが、毛沢東の振る舞いは見事と言うしかない。政治指導者は同時に巧みな役者でなければならない。そこは海千山千の“千両役者”の毛沢東である。見事な演技で遠来の客を煙に巻く。

共同声明では、「中国人民は、英雄的なヴェトナム人民がホー・チミン主席の遺した『米帝を駆逐し、傀儡政権を打倒せよ』と『我が国土に1人でも侵略者が踏みとどまっている限り、我々は戦いを継続しなければならない。その全てを追い出すのだ』との偉大な教えを固く守り、勝利に向かって前進し、米帝国主義者の侵略を徹底的に打ち破ると共に、南部の解放、北部の防衛、祖国の平和的な統一を実現することを深く信ずる」と表明した。

続いて、「ヴェトナム側は、兄弟である中国人民が敬愛すべき毛沢東主席を頭とする光り輝く中国共産党の指導の下で光栄ある革命事業において極めて巨大な成果を成就したことを最高度に讃える」と記す。

 またヴェトナム党機関紙の社説(11月27日付け)は、「中国人民の我が国の党と政府代表団に対する熱情溢れる対応は、ホー・チミン主席の説いた『同志に兄弟を重ねる』関係の現われであり、毛主席が語る『ヴェトナム人民の堅固な後ろ盾』である7億中国人民の崇高な精神をものの見事に体現している」と、中国側の対応を絶賛してみせた。

 

 ところが71年7月には、米国務長官のキッシンジャーは秘密裏に訪中し、ニクソン大統領訪中の段取りをつけていたのである。つまりヴェトナムが「同志に兄弟を重ねる」関係やら「ヴェトナム人民の堅固な後ろ盾」やらと、歯の浮くようオ追従をしている頃には、米中両政府の実務者間ではニクソン訪中に向けての準備が着々と進んでいたのだ。知らぬはハノイばかりなり、である。

 ヴェトナム訪中団帰国から3か月後の72年2月、ハノイにとっては憎んでも憎みきれない不倶戴天の敵である米帝国主義の頭目のニクソン大統領が、大統領専用機で中国を訪問した。タラップを颯爽と降り立つニクソン。満面の笑みで迎える周恩来。2人は固い握手を交わす。このシーンを見せつけられたら、「ファン・ヴァンドン同志」以下の「英雄的なヴェトナム人民」は臍を噛み、中国への怨念を滾らせないわけがないだろうに。《QED》

タグ: , , , , , , , ,