――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習95)

【知道中国 2429回】                       二二・十・初二

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習95)

 当時の社会主義陣営やアジア・アフリカ諸国にとっての最大の関心事はヴェトナム戦争の戦況であり、ヴェトナムにおける「民族解放闘争」の帰趨であった。この戦争でヴェトナムが勝利すれば、それは米帝国主義の敗北と社会主義・民族解放陣営の勝利を意味するだけに、やはり中国共産党もまたヴェトナム労働党との関係に強い関心を払っていた。

 中国新聞工作者代表団は71年4月末から6月初頭にかけて訪朝しているが、それから8か月余り遡った70年9月、ヴェトナム民主共和国新聞工作者協会と対外文化連絡委員会の招待を受け「英雄的なヴェトナムを訪問し」ている。その時の記録が『勝利属於英雄的越南人民』として残されている。

ここで奇妙なことに気づかされた。

「前言」に記された「英雄的ヴェトナム人民が抗米救国戦争において勝ち取った偉大な勝利は、全世界人民の反帝革命闘争における光輝に満ちた手本となった。本書の出版によって、我らが兄弟であるヴェトナム人民に対する尽きることなきプロレタリア階級の思いを抱き、ヴェトナム人民が米帝国主義を完膚なきまでに打ち破り、祖国の統一を実現し、抗米救国戦争における完全なる勝利を勝ち取ることを衷心より熱く願う!」といった部分だが、文中の「ヴェトナム人民」を「朝鮮人民」に置き換えれば、『英雄的朝鮮人民』の「前言」に完全に重なってしまうのである。(2427回参照)

 つまり『英雄的朝鮮人民』に散りばめられた「朝鮮人民の偉大なる領袖である金日成」を「中国人民の親密なる友人のホー・チミン主席」に置き換えれば、『英雄的朝鮮人民』と『勝利属於英雄的越南人民』は体裁・内容共に同じ。一卵性双生児ならぬ双生本(!)だ。

たとえば「アメリカ帝国主義を民族の仇として恨む」人民は、共に手を携え立ち上がった。「人民戦争こそが勝利を決定し」、我々の「一切はアメリカの強盗に勝利するためにある」。我々両民族は「中国とヴェトナムの限りなく深く厚い友誼」によって結ばれ、共に「断固たる抗米の誓いを高らかに宣言する」。圧倒的な米帝国主義の航空兵力によって奪われていたヴェトナム上空の制空権だったが、人民戦争によって打ち破った――などという勇ましい文言だが、ヴェトナムを朝鮮に置き代えれば、『勝利属於英雄的越南人民』は『英雄的朝鮮人民』に早変わりしてしまう。なんとも驚くばかりに簡便至極な本作りである。

『勝利属於英雄的越南人民』と『英雄的朝鮮人民』は体裁・内容は共に大同小異だが、敢えて探してみると小異が見つからないわけではない。

たとえば『英雄的朝鮮人民』では金日成の輝ける姿が熱く語られているが、『勝利属於英雄的越南人民』ではホー・チミンに対する言及が極めて限定的だ。そればかりか余りにも冷め切った表現である。また『英雄的朝鮮人民』は「鮮血で固められた中朝人民の戦闘的友誼」の常套句で彩られているものの、『勝利属於英雄的越南人民』が語る中越人民の友誼は「鮮血で固められる」ほどに強烈でもないし、熱く語られてもいない。とは言え大仰な常套的形容句の羅列には、読んでいるこちらが気恥ずかしくなる思いは同じだ。

朝鮮とヴェトナムは、東と南の端と違っているものの中国の端にへばりついているという地政学的位置や、強大な漢民族政権に隷属しながら小中華意識を内に秘めて大中華に反発し自らの立場を持ち続けてきた点は似通っている。

にもかかわらず、なぜ小異が生じてしまうのか。

その背景を考えるに、ホー・チミン(1890~1969年)を失ったハノイと金日成が絶対的権力を振るう平壌に対する、中国共産党政権の温度差だろう。ハノイは文革に言及することを意図的に避ける。対する北京はハノイのソ連接近を苦々しく思う一方で、ヴェトナム戦争長期化の先に強大な米軍の敗北を目論む・・・呉越ならぬ中越同舟の化かし合い。《QED》


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