――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(26)鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(26)鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)
【知道中国 1933回】                       一九・七・丗一

――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(26)

鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

 たとえば日本の高度成長期の1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(TBSブリタニカ)を著し、日本の高度成長の要因を分析したアメリカの社会学者のエズラ・ヴォ―ゲルだが、日本人の高い学習意欲や読書習慣、年功序列雇用や稟議といった経営システム、加えるに大蔵省や通産省に拠る優れた官僚に導かれた官民合体式の経済・通商政策を大いに持ち上げたものだ。だが、彼が指摘した日本の“強み”はワシントンから唆された規制緩和やら年次何とやら、あるいは民活によって、もはや昔日の面影すら感じられない。

 その後、彼は関心を中国に移し�小平の提灯持ち役を演じ、中国を讃え、時折日本のメディアに登場しては日中関係に関して日本に“苦言”を呈している。おそらくヴォーゲル・センセイもまた「皆支那に來ると、支那の保護者となつたような感じを持つ。隨つて支那の問題を自分の問題と考へるやうな心理状態とな」った外国人の1人なのだろう。

 それはともかく日本の要路は、この手の曰く因縁のありげな知日派を“疑似餌”にする不良インテリ外人のゴ託宣を有難がり過ぎないか。この種の愚行は打ち止めにすべきだ。

 次に鶴見は「�育熱の勃興」に関心を移し、辛亥革命によって誕生した中華民国における「代議制度の失敗」について論じた。

 先ず鶴見は形式的にはともかくも、「一九一一年の辛亥革命は、眞實の意義に於ける革命ではなかった」と断定する。それというのも「革命の根柢を爲すところの思想的變化がなかった」からだ。「滿洲旗人の有したる政權を漢人種中の知識階級たる儒者が、代議政體の形によつて奪つた運動と見ることが出來る」。たしかに「辛亥革命以後の支那の政治的中心は議會であつた」ものの、「議会制度パーラメンタリズム」という視点に立てば、「過去十年の政治が成功であつた」わけではない。つまり辛亥革命から鶴見が旅行するまでの10年ほどの間の中華民国の政治を失敗と見た。以下、その原因を論じる。

些か冗長に過ぎると思うが、正鵠を衝いた議論と思われるので丁寧に追ってみたい。じつは目下、『偶像破壊期の支那』の前後に発表され、優れた中国論と高く評価される北一輝の『支那革命外史』と内藤湖南の『新支那論』を比較して読み進んでいる。今から半世紀ほど昔の学生時代、その後の大学院生時代に読んだ時にも、やや大袈裟な表現だが頁を繰る毎に心躍らせ、北と内藤の主張に納得したものだ。だが鶴見を知った今となっては、誤解を恐れずに表現するなら北も内藤もコケ脅しの木偶の坊に過ぎない。殊に内藤は。

とはいえ『偶像破壊期の支那』が終わったら、モノの順序として『支那革命外史』と『新支那論』は避けては通れない。だが読み手として予め告白しておくなら、北も内藤も実にツマラナイのである。だが、そのツマラナサに北の場合は当時の“民間志士”の、内藤の場合は京都帝大支那学の“泰斗”の誤解・曲解・誤謬が潜んでいるようにも思えるから、それはそれとして深く掘り下げる必要はあるはずだ。

さて鶴見だが、「ある人」の説と断りながら、「我が國で謂ふ知識階級の更に狹き意味であ」り「特有の社会階級を有している所謂儒生」による「讀書階級」、「入つては兵士と爲り、出でゝは苦力と爲り、或いは博徒、不頼漢と爲つて支那に浮浪してゐるところの武力を代表する」「遊民社會」、「眞實の産業に親しんでゐるところの農商工業者であつて、支那の實體を構成するとことの」「實業社會」の3つから成り立っていると「支那の社會を大別し」た後、この3番目の「實業社會」が「支那の財力を代表する」と指摘する。

そこで「支那の治亂興亡の岐るゝところ」は、「この三大階級を如何に支配し、統一するか」に掛かっている。特に「治國の要道」となるのが「儒者を如何にして統御するか」だが、儒者を統御するため、古来、弾圧と利用の2つの方法が用いられてきたそうだ。《QED》

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