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――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(8)東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

【知道中国 1868回】                       一九・三・初七

――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(8)

東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

一行は漢口から汽車で北上して北京へ。

車窓から見えたのは「洋式の新らしい建物が立ち、大きな圓いタンクが幾つも列んで居る」風景だった。「塀に記した厖大な廣告の字を見ると、スタンダード石油會社の出張所だ」った。同社と「英米煙草トラスト(英美煙公司)の廣告は、如何なる山村僻地にも行渡つて、しかも並外れた大きな奴を出して居る。兩社の抱負と支那に於ける勢力を窺ふに足りるであらう」。

湖北から河南を経て北京へ向かう二等寝台車の中はシッチャメッチャカ。

「三四本のウヰスキーは、何時か幹事の室から影を隱して、何處かで消費されてしまつた」。「何時も元氣なのはボート部の常連で」、「汽車や船の中でも、吞助、メートル屋、攪亂者などの尊號」を賜り、「二六時中大抵は猩々の樣な赤い御顔」で、「ウヰスキーなどは何時でも缺かしたことはない樣だつた」というが、先ずは若者の稚気として許そうか。

だが単調な車窓の風景に飽きた果てに、「停車場につくと汽車の車窓から、苦力や赤裸の小供の群の中に抛り投けて、拾ひくらをさせて喜んで居る」となると、余り褒められた行為ではない。いやワルフザケが過ぎる。東京高商・・・躾が悪いぞ。

北京での宿舎は三井洋行の社宅。「久し振りに純粹の日本食の御馳走に預かる」。

萬寿山、紫禁城、昆明湖、天壇、など定番の名勝古跡を回ったが、その中の孔子廟での思いを、「縱令看板だけなりとも、支那が今尚孔子を以て、四億民衆の儀長となせるは、同じく孔子の流れをくみて、今日の文化の基礎を築いた日本の人民として、我々の大に喜びに堪えぬ事柄ではあるが、この孔子の廟に於てすら、例の門番が、一門毎に金錢を要求するのを見ては、我々は何とも云へぬ不快を覺えざるを得なかつた」。

加えて「俗稱東交民巷の列國公使館街」である。北京のど真ん中に位置する同地は義和団事件の事後処理によって生まれた外国人居住区で、「條約上支那人は一切居住を許さ」ず、「列國の使館にあらざれば、即ち商社、官署、兵營、邸宅であつて」、当然のように「支那人街とは全然別乾坤を呈して居る」。「背後は北京の大城壁を負ひ、前面には濠を設け、障壁を周らし、内に砲壘を築き、軍隊を備へ、いざと云はゞ直に應戰し得る準備が出來て居る」。

首都のど真ん中に治外法権状態の地があり、しかもそこには外国の軍隊までが駐屯しているというのは、「支那の爲には悲しむべき事である。しかもこの屈辱を自覺して、陰忍持久よくその力を養なひ、興國の大志を延べんとする意氣、國内に磅礴たるを見ることが出來ないのは、更に悲しむべきことである」・・・と、ここまで綴って思う。大正の若者が蘇り、彼らにとっては百年ほど後になる現在の日本を目にした時、果して「この屈辱を自覺して、陰忍持久よくその力を養なひ、興國の大志を延べんとする意氣、國内に磅礴たるを見ることが出來ないのは、更に悲しむべきことである」と嘆かないだろうか、と。

北京と周辺を満喫した後、一行は三井洋行の人々に送られ天津行きの汽車に乗る。

天津では「船津總領事の好意で、一行立食の饗宴に預かることになつた」。その際、同領事の「支那に關する感想談があつた」。その中に「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふことを近頃漸やく知るに至つた。それが、何故かは知らぬが、丁度日本人が『ジヤツプ』、米國人が『ヤンキー』と云はれる樣に、侮辱の代名詞に聞えて、非常に惡感を催ふすそうだから、我々は中國人、又は支那の人と呼ぶことにして居る」と。

ということは、この時代、すでに「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふこと」に気が付き、「中國人、又は支那の人と呼ぶ」日本人がいたことになる。《QED》

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