――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習121)
頁を繰ると、ソ連のミグ戦闘機をライセンス生産したと思われるジェット戦闘機、軍艦、大砲、坦克(タンク=戦車)、手榴弾、地雷、大刀(青龍刀)、歩銃(ライフル)など兵器が並んでいる。次の頁は槍を肩に分列行進の訓練をする軍服を着た紅小兵の集団が描かれた軍訓(軍事訓練)、スイミング・キャップの女の子のクロール姿の游泳(水泳)、三つ編みの女の子がイチ、ニッ、サンと体を動かす做操(体操)など子供の遊びだ。
稲、米、麦、高粱などの穀物、牛、羊、馬、猪(ブタ)、鶏などの家禽類、鍋、碗などの日用雑貨、枇杷、梨、桃子(桃)などの果物などに続き、これまた毛沢東バッチを胸に抹?(テーブル拭き)、掃地(庭掃除)、拍蒼蝿(ハエ取り)、種樹(植樹)など手伝いに励む良い子たちが描かれている。
まさに文化大革命の時代である。なには差し置いても真っ先に毛沢東が描かれていてもよさそうなものだが、そうではないところが興味深い。とはいうものの、当時の共産党が求めていた理想的な中国の子供――毛沢東の「申し子」であり「よい子」――の一端を垣間見せてくれる絵本といえるだろう。
これを言い換えるなら、こういった“勇ましくも猛々しい絵本”を眺めながら幼少期を送り、長じて『毛主席語録』を打ち振って暴れ回った「毛沢東の申し子」たちが、現在の習近平一強体制を支えている次世代権力層であることを忘れてはならないだろう。
当時は、彼らがヴェトナム南部における「民族解放闘争」と呼ぶヴェトナム戦争の真っ盛り。共産党政権はヴェトナムの小さな戦士の英雄的な戦いを「毛沢東の申し子」の脳髄に刷り込もうと懸命だった。そのうちの1冊が『越南小戦士 阿亮』(姜維 人民美術出版社)である。
南ヴェトナムで生まれ育った13歳の阿亮クンにすれば、マクナマラ戦略によって大量投入されたアメリカ軍は憎悪を込めて殲滅すべき敵でしかなかった。それというのも阿亮クンの村を武力で占拠したアメリカ軍は、民族解放のために決死の戦いを続ける戦士を殺し、北ヴェトナム侵略のための飛行場を建設すべく豊かな田畑を焼き払ってしまったからだ。
アメリカ兵の横暴を阻止しようとした父親は拉致されて行方知れず。母親は激しく打ちのめされ虫の息。だが阿亮クンは涙を見せない。怒りの炎は小さな胸に燃え滾る。やがて英雄的に反米救国の戦いを続ける南ヴェトナム民族解放戦線のゲリラ闘争に参加し、小さいながらも一人前の兵士としての訓練を黙々とこなす。勇敢にも阿亮クンは、「来るなら来い。小汚いアメリカ猿の侵略野郎ドモ」と、手榴弾でアメリカ兵に立ち向かった。
ある日、隊長から「農民の子供に変装し、敵の飛行場を探るべし」と、重要な斥候の任務が下される。ジャングルを分け入って進む阿亮クンの2つの眼は、獲物を探す鷹よりも鋭く光る。と、なにを認めたのか、阿亮クンは大木にスルスルとよじ登り、鳥の鳴き真似をして叫んだ。その合図を耳にした勇敢な戦士たちは兵器を手に強行前進し、ジャングルの端に大砲やら迫撃砲を据え付ける。
「テーッ」と隊長。米軍の飛行場めがけて大砲や迫撃砲が民族の怒りを込めて一斉に“正義の火”を噴く。駐機している戦闘機は破壊され、アメリカ兵は「お父さん、お母さん、助けて」と泣き叫び、逃げ惑うばかり。本当は彼らは弱虫だったんだ。
逃走を図ろうと次々に離陸するヘリコプターに照準を合わせ、阿亮クンは手にしたライフルの引き金を引く。バキューン、バキューン。ヘリコプターは次々に撃墜され、地上に衝突して炎上。「助けて、許して」とアメリカ兵は銃を差し出し命乞い。情けない奴らだ。
アメリカ軍基地に囚われていた人々は解放された。嬉しいことに、その中に、阿亮クンの父親も。「阿亮、偉いぞ。立派なもんだ。スゴイ働きだ」と、誰もが褒め称える。《QED》