――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習126)
毛沢東(=党)から「収穫物を掠め取って食べてしまうからスズメは害鳥」と認定されたら最後。問答無用である。中国のスズメの運命は定まった。かくて人々は考えられる限りの知恵を絞り、ありとあらゆる方法を編み出してスズメ殲滅に狂奔することになる。スズメに対する全面的人民戦争が、挙国一致で展開されてしまったのだから、スズメにとっては大災難。絶滅危惧種どころの騒ぎではない。まさに絶滅不可避種である。
たとえば大人も子供も長い竹竿を手に戸外に飛び出す。たまたま電線や木の枝に止まっているスズメを見つけたら、長い竹竿を振ってスズメを追い払う。スズメが上空高く舞い上がり、別の電線やら木々の枝に止まる。すると次には手にした鍋や釜をガンガン叩きながら追い掛ける。するとスズメは「こりゃタマラン」とばかりに舞い上がり、別の電線や小枝に。竹竿の攻撃と騒音ガンガンの波状攻撃が延々と繰り返される。・・・やがて疲れ果て、哀れスズメは飛び上がる気力も失せて地上に落下。なんせ人民戦争だから攻撃陣は無数であり波状攻撃が続く。こうしてスズメは1羽、また1羽と中国から消えていったのだ。
じつは毛沢東の発言は絶対無謬だから、スズメは害虫を食べてくれる益鳥だなどとは口が裂けても言い出せるわけがなく、人民はスズメ捕りに邁進する以外に方法はない。かくてスズメ駆除では赫々たる戦果を挙げることになるのだが、害虫にとっては天敵のスズメがいなくなったから、収穫された穀物は食べ放題。結果的に害虫が全土に蔓延ることとなった。僅か10年ほど前の苦い教訓を忘れた。いやそうではない。1人1人の国民の脳ミソの中まで入り込み、苦い記憶までも消し去ろうとする――これが独裁権力の実態だと思う。
次は紅小兵を鼓舞する楽曲を集めた『少年児童歌曲選 第一集』(人民文学出版社 5月)である。巻末の「編者的話」に「我が国社会主義革命と社会主義建設を反映した各種の題材、多くの形式(斉唱、独唱、輪唱、合唱、小型歌舞劇など)の作品を収めた」とあるが、全47作品の主立った題名を眺めただけでも、「社会主義革命と社会主義建設」の内実が浮かび上がってくるだろう。
「ボクは北京天安門を愛す」「万歳!偉大な祖国」「我ら毛主席の紅小兵」「紅小兵は毛主席を熱く慕う」「全てを党に委ね紅小兵は成長します」「小さい頃から労働者・農民・兵士に学ぶ」「ボクは公社の小さな社員」「大きくなったら国の守りを」「紅小兵は早起きをして糞集め」「紅小兵は草履を編む」「反帝戦歌」「革命のための野営訓練」「一生を党の命ずるままに」・・・
勇ましい歌は延々と続くが題名紹介はほどほどにして、次に当時、「社会主義革命と社会主義建設」のために求められていた理想的な子供像――「毛沢東のよい子」であり「毛沢東の申し子」――を見ておくことにする。なおカッコ内は歌の題名。
「ボクら毛主席の紅小兵。毛主席の話をシッカリ学び、小さい頃から革命の志を立てる。大きくなったら労働者・農民・兵士になるんだ。シッカリ学んで日々向上。偉大な領袖・毛主席に付き従って共産主義の後継者になるんだ。シッカリ学んで日々向上。偉大な領袖・毛主席に付き従って共産主義の後継者になるんだ」(「我ら毛主席の紅小兵」)
「天には北斗星、地上には北京城、星々は北斗に向かって笑み、北京城の上に太陽が昇る。毛沢東思想は四方を照らし、東西南北が唱いだす。紅小兵の心は真っ赤な太陽を慕い、毛主席の教えは心に刻まれる。しっかり学習日々向上。ボクらは人民を愛し、偉大なる党を熱愛す」(「紅小兵の心は真っ赤な太陽を慕う」)
「狼打つには棒が要る。虎を撃つには銃が要る。侵略者を相手にしたら、人民の武装は絶対だ」(「人民は必ずや武装しなければならない」)
こんな歌を大声で熱唱した幼子も半世紀余が過ぎ、今や習近平の茶坊主・・・かな。《QED》