令和4年1月29日
西豊穣
<プロローグ>
台湾中央山脈最南の三千メートル峰、台湾五嶽の一座である大武山(現在の北大武山)に連なる西側支脈に「鱈葉根山」という名の山がある。この山名の由来を訝(いぶか)る前に、まず日本語ならどう発音すべきだろうかと考えた。無論、台湾人ハイカーはそのまま華語で発音している。この山名が然(さ)るパイワン族の旧集落名に由来しているのに気付くのに随分時間が掛かった。筆者の疑問は、日本時代、基本、原住民語発音を忠実にカタカナ音訳していた原住民集落(日本時代の行政区画では「社」)名が、戦後どのようなルール(一般則)で漢字化されたかということだ。
<地名の日本化>
台湾全土に日本風の地名が多いことは日本人なら渡台した折り、あるいは地図を眺めている時、直ぐに気付く。それこそ枚挙に暇(いとま)がない。筆者が居住している高雄(たかお)もその一つだ。試しに筆者が居住する近辺の高雄市とお隣り屏東県から拾い出してみる。( )内は日本時代の発音である(註1):
岡山(おかやま)、小港(こみなと)、高樹(たかぎ)、竹田(たけだ)
、鳥松(とりまつ)、美濃(みの)
ここに挙げた例はたまたま日本語漢字の訓読みで統一されているが、たとえば「屏東」は、高雄と同じく日本時代に作られた地名で(へいとう)と発音されていた。旧地名は阿[糸候](糸偏に侯)だ。また、従来の伝統地名から日本化されたパターン(変更則)も様々である。パターンとは以前の投稿でも言及したことがある「高雄」を例に採ると、「元々の地名(打狗)の台湾語発音(ターカオ)に似た訓読みを持つ漢字(高雄、タカオ)を充てる」(註2)ということになる。台湾人の中にはこれらを「日式」地名と呼ぶ人々がいる。
日本統治期間中、地方行政制度の改編は七回実施されている。その内、台湾の地名が大量に日本化されたのは、大正9年(1920年)、それまでの12庁体制から5州(台北、新竹、台中、台南、高雄)3庁(台東、花蓮港、澎湖は6年後に制定)体制へ移行した際である。この時日本化された地名の多くが戦後もそのまま引き継がれ現代に至っている。このことは、大東亜戦争後入台した国民政府が「植民遺毒」を完全に排除すべく、徹底した反日教育を施したことと明らかに矛盾している。要は日本化した地名全てを変更するだけの手が廻らなかったというのが真相のようだ。日本風地名の書き換えは、行政区画の下部(日本時代の大字(おおあざ)、小字(こあざ)、市街地では町、丁目)では徹底されたが、それらより上位区画の地名(日本時代の州、庁、市、郡、庄、街)はそのまま残されたのが現実だ。国民政府に依る地名改編は「二字化」、「雅化」、「国民党党是称揚」と言われる(註3)。前者二つに関しては後述するが、後者の例については「三民」(三民主義)(例:高雄市三民区)と「民族」、「民権」、「民生」だけを挙げておくだけで十分だと思う。
台湾に於ける地名の起源と変遷に関する研究に関しては、戦前は安倍明義の『臺灣地名研究』(昭和13年・1938年初版)が金字塔とされる。戦後も、官学双方のアカデミアに依る地名辞典の編纂を始め、草莽の研究家も巻き込みながら台湾地名学は引継がれている。特に、上述の大正9年の地名大改編に関しては古くて新しい研究テーマとされている印象を受ける。政府所属機関である国史館台湾文献館編纂の『臺灣地名辭書』のような大部の研究書もあるが、簡便に地名変遷の歴史を閲覧するには、やはりネット上で提供されている関連サイトが便利だ。ウィキペディア中文版中にも相当の情報がある(註4)。内政部の公式サイト『内政部戸政司全球資訊網』(以下『戸政司』)(註5)では、日本時代の住所番地と現在の行政区画の対照表を瞬時に提供してくれるサービスもある。筆者がこの稿を起こすに当たり専(もっぱ)ら閲覧したのは、内政部が運営を「中華民国地図学会」に委託している『地名資訊服務網』(以下『地名資訊』)(註6)である。原住民族関連地名の解説にはカタカナ表記も混じっている。
以上、台湾地名の日本化に関し少しく述べてきたが、筆者の冒頭の疑問の答えにはなっていない。このリサーチの途中で、葉高華氏の「民國時代創造的日式地名」(註7)と題された評論に往き当たった。題名はずばり『国民政府が創った日本風地名』だ。前述したように日本化した地名を完全排除しようと企図したにもかかわらず果たせなかったばかりでなく、国民政府自体が逆に日本風地名を作成したという意味だ。内容が逆説的で興味深い上に短い評論なので紹介する。
葉氏は具体例を5つ挙げているがいずれも原住民集落である。「 」内は日本時代の表記、後列は現在の行政区画である。各集落の原住民族名については、原住民族委員会の公式サイト『臺灣原住民族資訊資源網』(以下『臺灣原住民族』)(註8)の中での紹介に依拠した。
1)「カスガ社」-屏東県春日郷春日村(パイワン族)
2)「アヲバ社」-屏東県三地門郷青葉村(ルカイ族)
3)「タバホ社」-新竹県尖石郷秀巒村(上/下)田埔部落(タイヤル族)
4)(日本時代は原住民集落なし)-台東県達仁郷森永村(パイワン族)
5)「タマホ社」-高雄市桃源区玉穂(山、渓、温泉:所在地は同区勤和村)(ブヌン族)
上出の『地名資訊』と、『臺灣全圖』(昭和14年台湾総督府警務局第五版、30万分の1地形図)(註9)を突き合わせながら、補完的に既出のその他資料、さらに国立中原大学の論文『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』(林宏一、2017年)(以下『蕃地駐在所』)(註10)を参考にし、少々筆者のコメントを加える。
1)と2)は非常に判り易いのだが、どちらも『臺灣全圖』上ではカタカナ表記を確認できず、1)は『地名資訊』上の同社設置の経緯紹介の中で「カスガ」のカタカナ表記あり、2)は『地名資訊』上では「アラ(ウ)バ」と紹介されているが、『蕃地駐在所』ではその通り「アヲバ」の表記になっている。
3)は三文字のカタカナから二文字を選び漢字化した要は「たんぼ」という意味だろう。但し、『臺灣原住民族』に依れば、現在「田埔」という部落名は存在せず、「上田埔」と「下田埔」に分れている。ちなみに、筆者は同秀巒村内に(上/下)「水田」部落(タイヤル族)も存在するのを見付けた。これも日本語だ。
4)は『戸政司』上では森永村の旧社名として「タリリク社」が対照してあるが、これは戦後国民政府の指導で移遷してきた旧パイワン族三社の一つと考えられる。日本時代、当地で「森永星奈園株式会社」がキニーネ(マラリアの特効薬)、コーヒー、茶等の農場を経営していたので、戦後その会社名がそのまま行政区画名になったというのが通説である。
5)は今現在は中央山脈奥深くにあり、嘗て「理蕃史上最後の未帰順蕃」(昭和8年/1933年帰順式)と謂われるラホアレの故地である。「玉穂」の地名が現在残る場所は、旧タマホ社から遥か南、高雄市桃源区勤和村、関山越嶺古道を襲った台20線(南部横貫公路、通称南横)沿いである。前出の資料の中で、旧タマホ社の人々がこの勤和村に移遷してきたという経緯を示唆しているのは、唯一『蕃地駐在所』上で提供されているGPS座標のみだ。
以上、いずれの例も3)を例外として(「水田」なら例外なし)確かに日本語として固有名詞が存在する。国民政府によりそのまま地名として採用されたというわけだ。
葉氏は更に興味深い例として、合歓山群峰下に水源を有し、台湾の豪快な自然美を代表するタロコ渓谷を削り出し太平洋に注ぐ、立霧渓を取り上げている。立霧も明らかに日本語であるが、このタロコ族の集落名、日本時代はタツキリ、或いはタッキリとカタカナ書きされており、漢字化されたのは戦後になってからと評者は述べ、戦前、戦後の地形図を並べその証左の一つとしている。筆者も再確認のために『臺灣全圖』と引き比べてみたら、タツキリ渓左岸に「立霧山」(現在台湾小百岳の一座)の表記があった。評者が引用した日本時代の地形図には標高のみ記され山名の標記はない。「立霧」は戦前から使われていたと言えるかもしれない。ところで今更ながら気付いたこと―日本では現在河川名は「川」で統一されているが、少なくとも日本統治下の台湾では「渓」で統一されており、これは戦後そのまま引継がれている。
日本の台湾領有以前、清朝羅大春提督に依る北路(蘇花古道)開鑿時の表記は「得其黎」、現在台湾では立霧以外に「塔次基里」、「達基利」、「達吉利」、「得吉利」等複数の表記法が存在する。河川名への立霧の使用は固定されているが、後は使用者の裁量次第とも見受けられる。台湾人でも「立霧」が断然相応しいと思うはずだ。ちなみに、タツキリ社の末裔が居住する現在の行政区画名は花蓮県秀林郷崇徳村である。徳は「タ」の音訳であり、「崇」の訓読みは「あがめる」なので、元々の原住民語発音の一部を漢字一文字で代表させ、残りの一字に雅語を入れ込む「二字化」と「雅化」の典型的な変更例と言えそうだ。
<エピローグ>
冒頭で一座の山名を紹介したのは、余りにも奇抜な漢字の組合せだったからだ。この一座も含む同じ大武山支脈を形成する現在の山名表記、原住民集落名(『臺灣全圖』上の表記)、現在の行政区画を東側(大武山に近い方)から順に並べてみる。残念ながら『臺灣全圖』上にこれらの山名の表記はないので、山名と旧社名の関係は筆者の予測である。これらの山々は、高雄・屏東市からのアクセスが便利な上、特に高屏平野方面の眺望が抜群であることから、多くのハイカーに親しまれており筆者自身もよく足を運んでいる。旧社は全てパイワン族ブツル群(註11)の集落、現在の行政区画では先頭のみ屏東県泰武郷、残りは同県瑪家郷に属する:
日湯真山-ピユマ社-平和村
鱈葉根山-タラバコン社-崑山部落(瑪家村)
真笠山-マカザキサヤ社-瑪家村
白賓山-ハクヒヨウ社-北葉村
笠頂山-カサギサン社-佳義村
鱈葉根山の旧カタカナ表記音からの漢字化は特に「傑作」である。日本語漢字音訳だ。このように訓読みをそのまま入れ込んでいるということは、日本語に堪能な官吏か、国民政府の立上げのために居残った日本人官吏によるものかもしれない。或いは、頭目等日本語に秀でた原住民を通じて確認作業が行われたかもしれない。いずれにしても、筆者にとりいまだに大きな謎だ。
ちなみに、旧タラバコン社の現在の行政区画名は「コン」で旧集落名を代表させ二字化したものだ。筆者の手元の市販地図帳では笠頂山の表記の横に括弧付きで「笠置山」と併記してある。大和三山の一座だ。笠置山が常用されるようだと、葉氏の評論中の例と同じく「完璧」ということになろうか。こちらの方は「カ」と「ギ」で旧集落名を代表させ、加えて「ギ」に「義」という雅語を充てた例だ。
試しに、確認作業として『臺灣全圖』上にカタカナで山名が表記してある山を探し、現代の漢字表記と比較してみた。上記パイワン族より北側に居住するパイワン族ラバル群(註11)の聖山、現代表記「大母母山」は『臺灣全圖』上では「タイボボ山」の表記になっているという説明に留めておく。
日本時代、基本カナカナ表記されていた原住民集落、山、川等の、戦後の漢字化にルールは存在しないかわりに、行政区画名については「二字化」と「雅化」は徹底されている。他方、その背景は判らないが、日本語漢字音訳がかなり入り込んでいるというのが筆者の発見である。(終り)
(註1)葉高華「臺灣日式地名新論」(ブログ『地圖會説話』、2010年10月1日)
https://mapstalk.blogspot.com/2010/09/blog-post_30.html
(註2)李南衡「一九二○年台灣地名變更及其語音變化」(『地理研究』第48期、2008年5月)
http://www1.geo.ntnu.edu.tw/files/archive/632_305a7539.pdf
(註3)黄清琦「從清領、日治到民國的政權轉移,如何影響臺灣的地名更替?」(聯合新聞網、2021年7月30日)
https://udn.com/news/story/12681/5635152
(註4)たとえば、以下のウィキペディア中文版サイトである:
-ウィキペディア中文版「臺灣舊地名列表」
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%87%BA%E7%81%A3%E8%88%8A%E5%9C%B0%E5%90%8D%E5%88%97%E8%A1%A8
-ウィキペディア中文版「臺灣日治時期行政區劃」
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%87%BA%E7%81%A3%E6%97%A5%E6%B2%BB%E6%99%82%E6%9C%9F%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8D%80%E5%8A%83#%E8%A1%97%E5%BA%84%E7%A4%BE%E5%90%8D%E6%94%B9%E6%AD%A3%E8%88%87%E5%A4%A7%E5%B0%8F%E5%AD%97
(註5)『地名資訊服務網』(内政部委託「中華民國地圖學會」(國立臺灣大學地理環境資源學系))
http://gn.geog.ntu.edu.tw/GeoNames/index.aspx
(註6)『内政部戸政司全球資訊網』
https://www.ris.gov.tw/app/portal
(註7)葉高華「民國時代創造的日式地名」(『MPlus影樂書年代誌』、2016年10月2日)
https://www.mplus.com.tw/article/1353
(註8)『臺灣原住民族資訊資源網』
http://www.tipp.org.tw/index.asp
(註9)林宏一『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』(2017年、国立中原大学)
https://www.ntl.edu.tw/public/ntl/4216/%E6%9E%97%E4%B8%80%E5%AE%8F%E5%85%A8%E6%96%87.pdf
(註10)地理資訊科学専題中心『臺灣百年歴史地圖』
http://gissrv4.sinica.edu.tw/gis/twhgis/#4
(註11)葉神保『日本時期排灣族「南蕃事件」之研究』(国立政治大学、2014年)
https://www.ntl.edu.tw/public/ntl/4216/%E8%91%89%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E5%85%A8%E6%96%87.pdf
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