8月9日、日本台湾交流協会と日華議員懇談会の合同で森喜朗・元首相を団長とする弔問団として日帰りで訪台した。森氏は安倍晋三首相の名代として臨んでいる。参加した国会議員は、自由民主党から古屋圭司、岸信夫、中山泰秀、衛藤征士郎、長島昭久、国民民主党から榛葉賀津也、公明党から富田茂之、日本維新の会から石井章、立憲民主党から中川正春の9議員。いずれも超党派でつくる日華議員懇談会のメンバーで、会長は古屋議員、副会長は長島議員と富田議員、幹事長は岸議員。これに日本台湾交流協会の谷崎泰明・理事長が加わった。
森氏らは羽田空港からチャーター機で松山空港に向かい、台湾到着後、総統府において蔡英文総統と会談、その後、台北賓館にて追悼献花に臨み、弔辞を捧げている。
実は、森氏はうつむきがちに弔辞を述べていたのでマイクが声を拾いにくく、映像ではほとんど聞き取れなかった。その弔辞を日本台湾交流協会台北事務所のホームページが全文を紹介している。ここにご紹介したい。
—————————————————————————————–森喜朗元総理による李登輝元総統への弔辞(於:台北賓館献花台) 【日本台湾交流協会台北事務所:2020年8月9日】https://www.koryu.or.jp/news/?itemid=1801&dispmid=5287
弔辞
李登輝先生、
あなたの98年の生涯を思う時、私は人間と人間の絆の強さと素晴らしさを思います。私たちは何度も、肩を抱き、笑い合って、楽しい時間を過ごしました。あなたは台湾総統の経験者として、私は日本国総理として、それぞれの立場はありましたが、お互いの人間としての友情や尊敬は一度も揺らぐことはありませんでした。本日、私がここに立っているのもその証です。ただ、私の心が深く痛むのは、これが私たちの友情を確かめる最後の機会となってしまったことです。
私の父は、台湾ラグビーの星で、日本代表主将も務めた、柯子彰選手と同年でありまして、二人は早稲田大学ラグビー部で同じボールを追いかけていたそうです。総理を退任し、2003年に台湾を訪問した際、私は柯子彰選手の墓前で、父との友情への感謝と、二人の日台親善の思いが、父の世代、私の世代、そして更に次の世代へと受け継がれていくことを祈りました。それから17年、先日東京で、あなたの追悼記帳に伺った際、私は、大勢の日本人が長い列をつくって、あなたの遺影の前で祈りを捧げ、日台親善を願っているのを目にしました。
私たちの人間としての絆が、海を越え、立場を越えたように、今や台湾と日本の間には、沢山の人と人との絆が出来上がっています。台湾は、あなたが理想とした民主化を成し遂 げ、台湾と日本は、自由と民主主義、人権、そして普遍的な価値を共有する、素晴らしい 親善関係・友好関係を築き上げました。きっと、あなたと私の友情も、次の世代へしっかりと受け継がれ、日台の親善関係はますます強固なものになっていくでしょう。
私の父と柯子彰選手が、国籍を超えて、同じラグビーボールを追いかけたように、あなたと私は、お互い政治的立場を超えて、アジアと世界の平和と繁栄という、同じ夢を追いかけました。戦後処理の嵐の中で、敗戦した日本が領土的一体性を守ることができた経緯を教えてくれたのも、あなたでした。私は、これからも、スポーツの力で世界の人々を繋いで、あなたの分も、同じ夢を追いかけていきたいと思います。
昨年、日本で開催されましたラグビー・ワールドカップは大成功をおさめ、そして来夏は、新型コロナウイルス感染症で一年延期となった東京オリンピック・パラリンピック競技大会が幕を開けます。東京のあなたの追悼記帳台では、あなたが好きだった「千の風になって」の音楽が流れていました。今日またこの御霊前で「千の風になって」を聞くことが出来ました。2021年7月23日、東京オリンピックの開会式には、きっと優しい風が吹くことと思います。その時、私は、空を見上げて、東京オリンピック・パラリンピックの成功を祈ってくれている、李登輝先生、あなたの魂とあの笑顔を感じるでしょう。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
森喜朗※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。