【産経新聞「正論」:2020年3月19日】
新型コロナウイルスの感染がなお収まらない。日本政府の対策についてのジャーナリズムの批判も感染の拡散と同時に起き、これも収まるどころかますます厳しいものとなっている。代案を示すこともない一方的な批判で何か益するところがあるのか。わが国には国家緊急事態に関する憲法規定が不在である。
その制約下で既存の法律を総動員し、なお残る首相権限を能(あた)う限り行使して事態に対処しようという安倍晋三氏の意思は固いのではないか。
◆2人のリーダー児玉と後藤
ウイルスの正体がいまだ明らかになっておらず、それゆえ感染拡大のメカニズムも不鮮明な状況下において確かな代案があるとは思えない。手洗いを励行し群(クラスター)行動を控えるといった誰にも実行可能なやり方を徹底せよといった主張を繰り返すより他ない。法の不整備、検査・医療体制をこの期(ご)に嘆いてみたところで問題の解決に資することはない。
首相が緊急事態に進退をかけて対処するといっている以上、その方針にしたがうことは民主制度の正当な手続きを経て首相を選んだ国民として当然のことだと私は考える。首相の対処方針への批判、ましてや糾弾は事態の収束後、徹底的な検証を経てからのことにしてはどうか。
日本の賢明な指導者であれば緊急事態に対して何を成し得るか、このことを示す近代史の好例はいくつかあろうが、私は児玉源太郎、後藤新平という2人のリーダーが日清戦争後に戦地から凱旋(がいせん)する多数の兵士に対して行った検疫事業のことがすぐに頭をよぎる。感染症罹患(りかん)者への対処、危機に際しての指導者の立ち居振る舞いという観点からして、日本人が改めて思い起こしていい教訓的示唆に富むストーリーである。
日清戦争での犠牲者は戦死者は1417人である一方、病死者は1万1894人であった。コレラ汚染が特に著しいという報が入る。明治28年6月から8月末までに23万人が400艘(そう)以上の船舶で凱旋してくる。戦争に国力を蕩尽(とうじん)していた日本の緊急事態である。
◆非難と憤懣を乗り越え
陸軍次官・児玉源太郎が事態対処の指揮官であった。事業予算確保に目処(めど)はついたが、行政的手腕において優れ、かつ専門的知識をもつ者はおらぬかと目を凝(こ)らす。ロベルト・コッホ研究所に留学経験のある内務省衛生局長の後藤新平に着目、抜擢(ばってき)。相馬事件といわれる奇怪なお家騒動に巻き込まれて連座、入獄の後、無罪が証明されたものの、衛生局長を辞し浪々(ろうろう)の身をかこっていた後藤の復活がこうしてなった。
大事業の開始である。検疫の場所には、広島宇品(うじな)の似島(にのしま)、大阪の桜島、下関の彦島の3つの離島を設定、兵舎の造営はもとより大型の蒸気式消毒罐(かん)と呼ばれるボイラーを導入しての対処を決意。コッホ研究所で起居をともにし、細菌学者としてすでに名をなす北里柴三郎の大いなる助力を得て消毒罐の設置が可能となった。
1日に600人以上の兵士を消毒罐の中で15分間、60度以上の高熱に耐えさせコレラ菌を消滅させるという設計であった。船舶消毒、沐浴(もくよく)、蒸気消毒、薬物消毒、焼却施設を整え火葬場まで建設した。勝利の錦を故郷に飾りたいと帰心矢の如き兵士たちに憤懣(ふんまん)が募る。指揮を執る後藤に対しての非難には轟々(ごうごう)たるものがあった。これを制したのは果断をもって知られる児玉の機略と権威である。
後の記録によれば、3つの離島の検疫所で罹患が証明された兵士の数は、真性コレラ369人、擬似コレラ313人、腸チフス126人、赤痢179人であった。この数の罹患者が検疫なくして国内各地に帰還していった場合に想定される事態の深刻さはいかばかりのものであったか。
◆気概をもって事態に対処
戦争に明け暮れる欧州諸国は日本の検疫事業に強い関心を寄せ、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は児玉・後藤の事業を規模と効率性において先例のないものだと評し最大の賛辞を惜しまなかったという。後に、後藤は台湾総督として赴任する児玉に同道、総督府民政長官として植民地経営史に名を刻む事業を次々と展開していった。
新型コロナ汚染もいずれ収束に向かうことになろうが、時期を特定することは3月中旬の小稿の執筆時点ではまだ難しいようだ。
犠牲者や重症化した人々の人口比を低減させ、収束の時期を短縮することができれば、現下の日本の対策のありようは、児玉・後藤の大事業が賞賛されたごとく、後世に名を遺(のこ)す「日本モデル」となろう。民主制度・機構、人権尊重といった観念のいずれも往事と現在とでは隔たりがある。単純な比較は難しい。
しかし、わが国の指導者、指揮官にはその並大抵ではない苦労がやがては報われ、新しい日本モデルの構築へとつながるのだという気概をもって事態に対処してほしい。新しい地平を拓(ひら)いた者の名誉は、後世の人々がこれを必ずや大いに顕彰するにちがいない。(わたなべ としお)
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渡辺利夫 [わたなべ・としお]1939年(昭和14年)、山梨県甲府市生まれ。1970年、慶應義塾大学経済学部を経て同大学院博士課程満期取得。経済学博士。専門は開発経済学・現代アジア経済論。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学教授を歴任して拓殖大学学長、総長に就任。2015年12月、同大総長を退任し学事顧問に就任。2016年3月、日本李登輝友の会会長に就任。2018年4月、一般社団法人日米台関係研究所理事長に就任。公益財団法人オイスカ会長、国家基本問題研究所理事。第27回正論大賞受賞(2011年)。月刊「正論」2019年1月号から「小説台湾─明治日本人の群像」を連載(2020年3月『台湾を築いた明治の日本人』として単行本化)。主な著書に『成長のアジア停滞のアジア』(吉野作造賞)『開発経済学』(大平正芳記念賞)『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)『神経症の時代─わが内なる森田正馬』(開高健賞正賞)『新脱亜論』『アジアを救った近代日本史講義』『国家覚醒─身捨つるほどの祖国はありや』『放哉と山頭火─死を生きる』『士魂 福澤諭吉の真実』『決定版・脱亜論─今こそ明治維新のリアリズムに学べ』『死生観の時代─超高齢化社会をどう生きるか』など多数。
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