Sent: Friday, January 25, 2019 3:53 AM
To: 戯迷
Subject: 樋泉です【知道中国 1848回】
【知道中国 1848回】 一九・一・念五
――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(6)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)
数千年の歴史と文明を徒に誇りにはするが、この国に過去はない。極論するなら、彼らにとっての過去は、自らの立場を補強するための方便に過ぎない。確かに歴代王朝の歴史を綴った正史をはじめとして膨大な歴史書群は残されているが、そこに記された史実は真偽を問う前に、専ら善悪が基準となって採用されているのである。
なによりも道徳が基準となって史実が判断されるから、勢い荒唐無稽な議論が罷り通ってしまう。先人の営みを道徳によって裁こうというのだから、どだいムリな話だ。
たとえば文革時、「毛主席の親密な戦友」と持ち上げられ党規約で毛沢東の後継者とされた林彪ではあったが、権力闘争の果てに遂には毛沢東に対する叛徒とされ抹殺されていた。抹殺の理由として挙げられた公式的見解に「林彪は孔子の熱心な信奉者」が加わる。
林彪の書斎を捜索すると「克己復礼」の4文字を発見した。それさえも怪しいが、林彪のモットーは「克己復礼」と断定されてしまう。「克己復礼」は孔子の封建思想の柱であればこそ、林彪は封建社会再興を狙い、毛沢東が目指す社会主義社会建設に反対した。いいかえるなら毛沢東思想による道徳律に照らして悪である孔子の考えを信奉したがゆえに、問答無用で林彪は悪というリクツだ。もうそうなったら最後、林彪の一生は凡てデタラメ・インチキで毛沢東に反対する陰謀で終始していたとされて一巻の終わり。正直な話、林彪が本当に孔子を信奉していたのかなどといった考察は、この際、一顧だにされない。
20世紀後半の社会で、共産党独裁政権内の権力闘争において政敵抹殺の正当性の論拠が古代社会に生きた“聖人”というのだから、奇妙と言う他はない。林彪批判の論拠に孔子を持ち出すことは、たとえるならアメリカでトランプ大統領の政治姿勢を非難するに当たってワシントンやリンカーンを引っ張り出すようなものだろう。どう考えても中国以外では通らない屁リクツの類だろうに。
それにしても林彪批判の材料にされるとは、孔子サマも浮かばれまい。
じつは文革時代、孔子は諸悪の根源であり、封建王朝・封建搾取のイデオローグであり、有史以来の民族最大の大悪人と蔑まれ否定されたものだ。「封建王朝に“至聖”などと崇め奉られる孔子ヤロー」を断固として許すわけにはいかない、というのだ。ところが現在では孔子学院、孔子平和賞(まだ続いているのか!?)など共産党政権の正統性を補強するための“ツール”として重用されている。時に地獄の門の入口にまで墜とされ、時に天高く持ち上げられる。孔子サマとしてもタマラナイ。嗚呼、妄言冷血、鮮ナシ真・・・。
やはり孔子サマにゴ同情申し上げる次第であると同時に、じつに身勝手な屁リクツを捏ね繰り回す民族であることを改めて心に牢記しておきたいもの。であればこそ、こういった思考回路を持つ方々と歴史認識を一致させようなどと、まるで太陽を西から昇らせるに近いほどの不可能事と心得ておくべきだろう。
閑話休題。
河東は旅に古くからの舟を利用したが、なかでも足蹴船と呼ばれる原始的な様式の舟に興味を持つ。
「此足蹴船は、禹の治水時代に人間經濟から割出した進歩した便法であつたものであらう、それが其のまゝに進歩もせずに保留されてゐるのだらう。一方に蒸氣機關や瓦斯エンヂンがとめ度なく發達して行く世の中に、南洋の土人のそれと同じやうに、神代に近い物の其の儘の面影を見得るのを、寧ろ一個の軌蹟としてよりも、文化運動中の有り勝な事相として、反進化論にも相到せしめらるゝものだつた。總ての過去を葬るに吝かならぬ支那人にも、それと兩極端な思想が存することが、別な興味を惹くのでもあつた」という。《QED》