――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(2)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)
「これらの天然生理的な大まかさに際會」するほどに、「何事にもコセコセした親」のアラが気になってしまう。
たとえば第1次世界大戦の結果、アジア・太平洋の海運覇権は日本の手に落ちた。だが船舶にせよ港湾施設にせよ、日本は明らかに欧米に劣っている。やはり「偶然の成果は必然に敗れる」。「餘計なことを穿鑿しなくとも、今日の米國の造船能力のおそるべき發達を見てもわかることだ。平和克服の後に太平洋の航行權が誰によつて爭覇戰を開かるゝか餘りに見え透いた事理でなければならない」。であればこそ「偶然の成果に醉つて、其の必然の未來を閑却する所以はないのだ」。
にもかかわらず「今日海運界の覇者を以てをる郵船會社は、戰時的利�の配當を思ひきり過分に頒つてゐる」。それはそれとして否定はしないが、「やがて來るべき近き將來の船戰」に備えるべきではないか。我が「郵船會社の老大な點は支那のようであり、官僚的な點は寺内内閣のようだ」。「局課の分業的な合議制度は枝葉に拘泥して大局の打算を閑却する、習慣と約束に支配されて事務の急に應ずる機會を失してしまふ、それが支配の漫々的であり、官僚の臭氣紛々たる所以だ」。
かくして日本の郵船会社に向かって、「正に其の立場を辱めない抱負を中外に宣明」せよ。現状を遥かに「超越する大經綸の計劃」を持て――と、河東は「我が郵船の爲に、敢てこれ丈の苦言を呈」した。
生涯を俳句の可能性に奉げた河東による「これ丈の苦言」が、あるいは第1次世界大戦の勝利に湧きたっていた当時の日本の偽らざる実情――漸弱性、勘違い、一時の思い上がり、そして蹉跌――を示しているようだ。「偶然の成果は必然に敗れる」ということか。
広州の雑踏を歩く。
「この群集の叫喚と、色彩の阿吽の攪亂し洶湧している渦中に、どれ程冷靜に沈着に自己を守つてゐようとしたつて、それは出來ない相談なのだ。弱い個人性は、絶大な世界の雰圍氣に引きずられてしまふ。けれども、其の混亂には中核がない、混亂の裡に蔵する規律がない、あとからあとから押し寄せる充實した力がない。たゞ無鐵砲な、浮はついた、日の光りのさすと同時に消えてしまふ濃霧のやうな混亂なのだ」。いうならば「混亂のための混亂に過ぎないのだ」。
その「混亂のための混亂に過ぎない」街で先ず目についたのが、「表つきは金碧燦爛として、如何にも堂々として目を奪ふやう」だが、その実はチャチな造りの公認賭博場だった。なにせ立派な建物の「七八分通りこの賭博場だつたのだ」。「賭博を公開してまで、軍費を支辨せねばならない没義道」を感ずると同時に、大っぴらに営業を続ける賭博場の多さから、河東は「支那の大部分の生活は、總てが其日暮しの氣分に滿ちてゐる」と看做す。
賭博場を後にして、「十何楷かの圖抜けた高さ」の屋上に立ち、そこに設けられた「廣東人の大半が徹夜の茶飲みをするのだ」という喫茶店を横目に、夜の広州の街を見下ろした。
「其の包まれた明るさ、壓し詰められた騒ぎは、寧ろ氣宇の豁達な、動作の剽悍な昔の廣東人の氣概の現代的空氣に腐蝕した今日の廣東の或る象徴とも見える。マカオに葡萄人を迎へ、香港に英吉利人と接触して後に廣東人は、大方の秩序も規律も傳統も習慣も、根底から覆へされた」にであった。
そして中央権力から遠くに位置する広東であるだけに、「其の覆へされた土臺に新たな建設を認容する時間と寛量とを與へなかつた」。かくして「得てさういふ傾きを持ち易い支那人に、我は我の觀念を開放してしま」い、「總てが銘々ごつこになつた」というのだ。《QED》