【盧千恵のフォルモサ便り】
東日本大震災の被災者のために
台湾から日本へ 復興応援「ずーっとそばに居るよ」
〔SANKEI EXPRESS 平成23年5月20日〕
台湾では、今でもよく東日本大震災関連のニュースが流れています。何回見ても、いつ見ても、涙が出ないときがないほど、悲惨な状況が画面に出てきますが、同時に、あー、なんと力強く立ち上がろうとしているのだろうと、心打たれます。
震災直後、涙をこらえようとしながらこらえきれず、それでも最後まで答辞を述べきった気仙沼市立階上(はしかみ)中学の卒業生代表。日本人は大人だけでなく、15歳の中学生までが、「苦境にあっても、天を恨まず、運命にたえ、助け合って生きていくことが、わたし達の使命です」と述べることができたのは、世界中の人々に感動を呼び起こしたに違いありません。隣国に住む台湾の同じ年頃の学生たちは、そのような姿を見て、「日本の友とともに苦難を」と強く願い、同時に多くを学んでいます。
■寄せ書き・募金呼びかけ
台中市の名所、宝覚寺の真向かいにある、新民高校日本語学科の学生が呼びかけ、書いた寄せ書きの一部です。
−地震、津波、原子炉、予測できなかった災害が起こった今、わたしは、人類がお互いをもっと大事にし、励ましあい、支援しあうことの大切さを感じています。
−心が痛くて、悲しくて涙がとまりません。わたし達は皆様の心を暖めますから、寒い中、決してあきらめずにがんばってください。
−ずーっとそばに居てあげたい、心の傷が癒やされるまで。もっと大きな被害にならないように、お祈りしています。日本的未来−定会更好。
−ニュースを見ると、心が痛みます。涙がこぼれます。同時にあなた方を尊敬してしまいます。このような天災に会いながらも、規律正しく、天を恨まず、しなくてはいけないことを整然と行っているのをみると、わたし達も見習わなくてはという気持ちが沸き起こってくるのです。
−「日本人!」この民族は団結の代表選手です。
−わたしも愛する人を失ったことがあるから、あなたたちの痛みが分かります。絶対にいのちを粗末にしないで生きてください。
新民高校の赤十字社青少年奉仕グループは、学内募金で集めた50万元(150万円)、学校理事会の寄付金100万元(300万円)と一緒に、寄せ書きを赤十字社台中支部へ届けました。1時間のアルバイト料、お弁当が2つ買える100元を入れてくれた友人たちに「ありがとう」を間断なく言い続けたと、学生が話してくれました。
大度山台地にある静宜大学では、日本人留学生の呼びかけに日本語学科が応え、ある先生のことばですが、「歩いたり、走ったりして募金を行っていました」。この居ても立ってもいられない気持ちが、大学全体を動かしたのでしょう、「祈福会」を始め、「祈福壁」が作られ、祈りのことばを書き込んでもらっていました。
台湾キリスト教会国連加盟推進協会の羅栄光牧師は「日本の苦難を分かち合おう」と呼びかけています。1999年9月21日に起こった台湾大震災のとき、赤い制服の日本救助隊が余震の続く東勢地方の倒壊した王朝ビルから、閉じ込められていた被災者を担架で担ぎ出したのを目撃し、涙がとまらなかったと「呼びかけ文」に書いていました。そう、あの時、いち早く台湾に救援隊、救助機械、医療隊、救援金を送り込んでくれた隣国日本の真摯(しんし)な友情を思い出した人は多かったでしょう。
■「必ず立ち上がる」
わたし達が前駐日代表だったということで、大勢の人から「日本は大丈夫ですか?」「発電機が200台集まりましたが、どこへ送ればよいでしょう?」などの電話がかかってきました。駐台日本交流協会の電話はパンク状態だったと聞きました。今、台湾人は手を合わせ、日本の復興を祈り、限りない連帯の思いを寄せていることをお伝えします。
世界台湾人大会にスピーカーとしてこられた櫻井よしこ先生は、3月20日、冒頭演説を終えられた後、中、南部観光を取りやめ、「人類が経験したことのない3つの苦難に直面している日本」へもどっていきました。「日本国は必ず立派に立ち上がると確信しています。日本人は文字通りこの未曾有の試練を立派に乗り越えなければなりません。わたしはその国家再建の先頭に立つつもりです」ということばを残して。(許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵/SANKEI EXPRESS)
[写真]募金活動をする台中市新民高校赤十字社支部の学生隊=3月17日、台湾(盧千恵さん提供)http://sankei.jp.msn.com/world/photos/110415/chn11041516140002-p1.htm
■ロー・チェンフィ 1936年台中生まれ。60年国際基督教大学人文科学科卒業後、国際基督教大助手。61年許世楷氏と結婚。夫とともに台湾の独立・民主化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できなかった。台湾の民主化が進んだ92年に帰国し、2004年〜08年、夫の駐日代表就任に伴って再び日本に滞在。夫との共著に「台湾という新しい国」(まどか社)がある。