【盧千恵のフォルモサ便り】台湾のサプライズ 希望と生命力あふれる玉山

【盧千恵のフォルモサ便り】台湾のサプライズ 希望と生命力あふれる玉山
7月23日 SANKEI EXPRESS 

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/419259/

小さな島台湾には富士山より高い山が13もあるんですと言うと皆さん驚かれる
のですが、

原住民の学生にとっては「小さな島台湾」という表現が気になるようで、「台湾
は小さくありません。雄大で壮麗な中央山脈が南北を走り、周りは世界一広い太平洋に連なっているんですよ」と訂正されます。本当にそうだな、と思います。

太平洋の西南方に浮かぶサツマイモのような形をした台湾は、九州よりやや小さ
く、それでもベルギーよりは大きく、周りの島々を入れると3万5700平方キロメートルになります。東の口湖郷から西の豊浜郷の東西の直線距離は140キロしかありませんが、北端の富貴角(岬)か

ら南端の鵝鑾鼻までは380キロあります。おおよそ東京から名古屋までの距離
です。台湾の屋根といわれる中央山脈、玉山山脈、雪山山脈、阿里山山脈の尾根が南北に連なり、台湾の

最高峰・玉山は3952メートル。それを取り囲んだ東西南北群峰の次に、38
86メートルの雪山、3800メートルの秀姑巒山が続き、3000メートル級の高山が258座もあるのです。

■不動の姿に学ぶ

友人の建築家、黄木寿さんは「一生にひとつだけでも他人ができない仕事を台湾
の地に残したい」と、誰もが尻込みしていた玉山の北峰に中央気象局玉山気象台を作る仕事を請け負いました。38歳の誕生日のことです。登頂回数23回、艱難辛苦の2年をかけて、2000年に完成させました。台湾の最高の地点に建物を建てた感激と誇りは、その間の苦労を補っても余りがあると満足げです。「玉山に何度登っても、その偉大さの前に小さな自分を発見し、この山の下で生きている人々は、理解し合い、助け合っていかなければならないという思いに駆られます」と語っていました。黄木寿さんは、謙譲と連帯を教えるこの山に、台湾人は若いときに一度は登るべきだと主張し続けています。

もう一人、玉山に魅せられた劉俊成さんという若い画家がいます。その美しさと
荘厳さに対峙(たいじ)したときの感動を残したい、刻一刻と変幻する姿を絵筆で表したい、とキャンバスに絵の具で描き続けています。とくに台湾にとって不確定性の多い時代、独立か統一か、主権確立か中国隷属への移行かに揺れ動いている時代に、不動の玉山から見る日の出は希望に満ち、その

ふもとに咲く高山植物のあふれんばかりの生命力、天の青を映した湖面の色彩は
私の創造力をかきたてました、と25枚の大作を前に話してくれました。

■山のもてなし
日本から友人が訪ねてくると、私たち夫婦は現地の友人にお願いして南投県の方
へ車を出してもらいます。南投をゆったりと囲む連山は、いつ行っても豊かな光を反射し、時には濃い緑、時には霞がかった紫の美しい色彩で大切なお客さまをもてなしてくれるからです。そこには台湾のおへそに当たる重心点、埔里があり、景勝地の日月潭(じつげったん)は日本人によって計画された台湾最初の発電所があります。

日本駐台前代表(大使)の齋藤正樹ご夫妻離任の前にも南投へお連れし、海抜3
275メートルの武陵まで行きました。松雲楼でランチを取ったとき、齋藤夫人と私の2人は頭がくらくらしたのですが、後になって酸素が薄かったことに気づきました。齋藤代表からは「小さな記念の石を持ち帰り、机の上で見るたびにあの日の思い出がよみがえってきます」とお便りを頂きました。

台中へきてくださった国会議員の方たちを、かわいらしい集集駅へお連れしたと
きは、道端で売っている人さし指大のモンキーバナナを食べ、「これはおいしい。ダイエット中の家内が喜びそうなサイズのバナナだ」と何本も召し上がっていました。

フランス駐台協会前主任(大使)のパンボエフ満里子夫人は「台湾、サプライズ
!」という著書の第1ページで、「台湾には故宮博物館しかないと思っていませんか?」と、問いかけております。いいえ、東京だけが日本ではないのと同じように、台北だけが台湾ではないのです。多くのサプライズが各地に隠されています。ぜひ、一度お越しください。

(許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵
/SANKEI EXPRESS)

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■ロー・チェンフィ 1936年台中生まれ。60年国際基督教大学人文科学科
卒業後、国際基督教大助手。61年許世楷氏と結婚。夫とともに台湾の独立・民主化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できなかった。台湾の民主化が進んだ92年に帰国し、2004年〜08年、夫の駐日代表就任に伴って再び日本に滞在。夫との共著に「台湾という新しい国」(まどか社)がある。

       ◇
■フォルモサ 台湾の別称。16世紀、ポルトガル船が台湾を見つけ、船員たち
が「イラ(島) フォルモサ(美しい)」と叫んだことが名前の由来とされる。