盧 千恵
【SANKEI EXPRESS:2011年11月18日「盧千恵のフォルモサ便り」】
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111118/chn11111817040004-n1.htm
写真:旋風を巻き起こしている三匹の子豚の貯金箱=2011年、台湾(蔡英文選挙事務所提供)
長い夏が去り、涼しい風が吹くうれしい秋がやってきました。その涼しい風の中にギン
モクセイのやさしい香りがただよい、それでいて大空の明るい11月は、わたしの一番好き
な月です。この時期、若者は日月潭(にちげつたん)から合歓山東峰を望む台湾道路の最
高地点、標高3275メートルの武嶺へ、自転車でいどみ、元気なシルバー族は、モーターバ
イクに乗って、台湾一周の旅に出かけます。
ところが、今年はいつもと違って、毎週末街中が爆発しています。総統選挙と国会議員
の立法委員選挙が、来年年初の1月14日に行われるので、にぎやかなことが好きな台湾人は、
二大政党の中国国民党候補、現総統の馬英九(ば・えいきゅう)(61)と、台湾派の民主
進歩党現党首の蔡英文(さい・えいぶん、55)のどちらかにつき、応援に出かけるからで
す。
◆監察院の警告きっかけ
台南市での蔡英文候補の選挙演説会場に、三匹の子豚の貯金箱を持ってきた三つ子がい
ました。「三匹の子豚」の物語を連想させる、三つ子の可愛い顔と子豚の貯金箱が新聞や
テレビをにぎわし、人気を呼んだのはいうまでもありません。ところがすぐその後、監察
院といういかめしい機関から民進党に「未成年者から政治献金を受け取ってはならないと
いう条例に抵触する」という警告が出されたのです。台南市の民進党本部は勧告に従って、
子豚の貯金箱を返しにいきました。三つ子のおじいさんは、ポケットから3万元(約8万円)
を取り出し、「孫たちの明るい未来のために」と、寄付をしました。
大型献金を拒否し、小型献金を呼びかけている民進党は、子豚の貯金箱を最初は3000、
さらに5000、最後には15万個まで増やし、支持を求めました。監察院の大人げないやり方
に憤慨した人々は、貯金箱を手に入れようと党本部前に並び、15万個の貯金箱はすぐなく
なりました。
台中市の選挙事務所成立の朝、蔡英文さんは、スピーチの冒頭で、子豚の貯金箱をみん
なに見せながら、「この2、3日、この子豚の方が、わたしより人気があるんです。民進党
の相手は、膨大な党産(その大部分が戦後日本人の残していった資産を接収したもの)を
持つ中国国民党です。『くじらとえびの対抗試合』だと揶揄(やゆ)されることもありま
すが、子豚たちはわたしと一緒に、狼をやっつけようとしています。民進党は12月に子豚
の里帰りを予定しています。それまで、皆さん、子豚を大事に育ててください」と呼びか
けました。そして、総統に当選したらオフィスのデスクに、多くの人々の思いがこめられ
た子豚の貯金箱をおき、財団に頼らず、クリーン選挙を戦い抜いたことをいつも思い出す
ようにしますとも、決意を述べていました。
◆在任中の成果強調
馬英九総統は各地での演説会場で、在任中消費促進のため800億元の消費券を発行し、中
国と協力して「おれおれ詐欺」を減少させた、米酒の価格を180元から25元に値下げさせた
などの実績を挙げました。大きな波紋を呼んだのは、再選後、中国と和平協議を結ぶと述
べたことでした。その後、「中国と和平協議を結ぶのは台湾人の願望であり、民進党はな
ぜ『和平議題は危険』だと反対するのか」と大きな新聞広告を出しました。
この広告に対し、チベット青年議会顧問の扎西慈仁さんと、台湾を訪問していた日本ウ
イグル協会代表のイリハムさんが、記者会見でこう述べました。
「前科累々の中国和平協議に乗ってはいけない」
「チベットは1951年に北京政府と17カ条の和平協議を結んだ。8年後、ダライラマはチベッ
トを離れ、最近、僧侶の焼身自殺が頻発している」
「中国と協議を結ぶため北京に出発した東トルキスタン代表は、飛行機事故に遭い、その
直後、解放軍は『新疆』に進駐して今日に至っている」
産経新聞から出版された『凛(りん)として』に、国連ボランティアの中田厚仁さん(19
68〜93年)がカンボジアで選挙監視員として活動中に襲撃され、射殺されたことが書かれ
ています。国連はカンボジアが真の平和と復興を成し遂げるには、自由で公正な選挙が必
要だと言う考えから、使命感を持ったボランティアを派遣していたというのです。中田厚
仁さんのような方が選挙日の来年1月14日に大挙して選挙視察に来てくださるよう願っ
ています。
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盧千恵(ろ・ちえ) 許世楷・前台北駐日経済文化代表処代表夫人。1936年、台中生まれ。
60年、国際基督教大学人文科学科卒業後、国際基督教大助手。61年、許世楷氏と結婚。夫
とともに台湾の独立・民主化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できな
かった。台湾の民主化が進んだ92年に帰国し、2004年〜08年、夫の駐日代表就任に伴って
再び日本に滞在。夫との共著に『台湾という新しい国』(まどか出版)がある。