台湾を消滅させたいのは中国だけ[前台湾駐日代表処代表 許 世楷]

7月10日に離任した許世楷・前台湾駐日代表処は盧千恵夫人とともにふるさとの台中
市に帰った。早速、13日に台中市内のホテルでコンサート歓迎会が開かれ、合唱団が台
湾の民謡などを披露し、許氏は「ふるさとは人情味があって一番いい」と述べるととも
に、駐日代表として4年間力を尽くしことを振り返ったという。

 7月8日の産経新聞に許世楷前代表の日本最後となったインタビューが掲載されたが、
このインタビューのさらに詳しい内容が13日付のMSN産経ニュースに掲載された。許
前代表のまさに「愛国外交官」としての含蓄深い見方がよく伝わってくるインタビュー
だ。

 それは「台湾を消滅させたがっているのは中国だけだ。他の国ではない。日本ではな
い。台湾はそれを見定めないと間違ってしまう」という言葉に端的に現れている。つま
り、台湾の敵は中国ということだ。

 尖閣問題などで反日感情を煽る、台湾と中国の統一を企てる台湾内部の中国系台湾人
の策謀に乗ってはいけないことを改めて教示している。         (編集部)


政権交代で揺れる対日姿勢 許世楷・台北駐日経済文化代表処前代表
【7月13日 MSN産経ニュース「グローバルインタビュー」】

 台湾の駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表処代表の許世楷氏(74)が7月10日
に離日した。退任を控えた6月、尖閣諸島沖で日本の巡視船と接触した台湾の遊漁船が
沈没する事件が起き、台湾の劉兆玄行政院長(首相)が「(日本との)開戦も排除しな
い」と発言するなど一触即発状態に。事故を巡る台湾への説明が曲解され、与党である
中国国民党の議員から「台奸(たいかん)(台湾の売国奴)」と非難された許氏は、「
志し有る者は殺されても辱めは受けない」との言葉を残して即刻辞意を表明。馬英九総
統の承認を得て、4年の任期をちょうど終える形で台湾に戻った。8年ぶりの政権交代で
掌を返すように対日姿勢を変えた台湾。離日前の最後のインタビューで許氏の考え方を
聞いた。(河崎真澄)

【4年間を振り返って】

 この4年間はいろいろな(対日関係上の)目標を立て、実際にさまざまな人の協力を
得て動かした結果、そもそも考えていたような形で実現することが多くあった。むろん
日本政府の強力な支援のおかげだが、2005年2月の日米安保条約に基づく定期協議で「台
湾海峡の平和維持」が共通戦略目標に挙がり、同年8月には訪日台湾人へのノービザ(査
証)措置の恒久化が取られ、運転免許の日台相互承認も実現した。昨年は李登輝元総統
の退任後のご夫婦3度目の訪日で「奥の細道」探訪もようやくかなった。

 さらに国交がない台湾と日本の間で、表立っては話せない高度な進展もあり、自分自
身は充実した4年間だったと思っている。駐日代表に赴任したのは2004年7月のこと。た
しか4日か5日だったと思う。私の誕生日は7月7日で満70歳だった。ちょうど4年間。この
4年間に悔いはない。体調もこの4年間どうにかもって、やらせていただいた。

【故郷の台中地区への思い】

 1992年に(李登輝政権時代になって国民党政権が)私たちの「ブラックリスト」を解
いて、(日本への留学後)初めて台湾に帰った。すぐに台中に帰って住むことを決めた。
民主化や自由化で台中は弱い面がある。かつて日本統治下には台中は(自由化を求める)
文化運動の中心地だった。そういう意味で政治的に弱くはないのだが、現在は毎回の選
挙が示すような(国民党優勢の)結果になっている。ぜひここは民主化を強化したい。
90年代には自分が育った故郷で大学でも教え、文化方面から意識の水準を高めてきた。
憲法教室を開いたりした。今後も地方は大事だ。今回の総統選挙結果をみてもそうだ。

 帰ったらまた故郷の台中の自宅に住むつもりだ。そして(当時は駐日代表に就任する
と考えておらず)4年前にやろうと計画していた書き物や調べ物をしたい。台中や彰化
で地域の民主化や人間のモノの考え方を促進することを手伝えたらいいなと思っている。
もう中央(台北政界)に関しては一段落させてもらいたい。

【言論の自由と選挙の意義】

 前回、台北から東京に戻る際、(台奸と非難され辞意を表明した後に)空港で囲まれ
た新聞記者たちから「あなたは今の台湾に失望して、もう台湾を捨てて帰ってこないつ
もりか」と聞かれた。しかし私はこう答えた。「そんなに失望はしていない。民主化と
いうのは進んだり、後退したりする」。私たちが40年以上前に(日本で台湾独立運動を)
始めたとき、東京にいても(当時の蒋介石政権は)私たちを捕まえて台湾に強制的に連
れ戻すんじゃないか(と心配だった)。あるいは台湾で(独立運動をしたら)すぐ捕ま
って銃殺だ。

 それが今日は何を話してもいい。選挙もある。いろんな不正があるにせよ、選挙があ
って開票結果が公表される。この2つは当時に比べれば大変な民主化の進展だ。そして
今後も台湾の自由と民主を促進するには、現在は決して悪い足場ではない。だから私は
喜んで、台湾に帰って、みなと一緒に台湾の進歩のために働きたいと思っている。今回
の総統選挙や今回の(尖閣諸島での衝突)事件をみると、(民主化が)少し後退したか
なという印象を受けるが、基本的には周辺諸国のさまざまな政治的な問題を考えても、
まだ投票がちゃんとできる(だけでもいい)。こうした基礎に立って働くのであれば、
なにも失望することはない。

【台湾消滅を図る中国】

 台湾の外交にこの4年間携わって改めて思い知らされたのは、台湾にとっての最大の
課題はどうやって国際社会で生き抜いていくのか、ということにつきる。いつでも中国
によって台湾の存在が消滅させられる可能性がある。武力を以てでも、と言っているし、
実際に国際的な台湾の活動を締め付けてくる。国連加盟どころか世界保健機関(WHO)
年次総会へのオブザーバー参加ですら、できるだけ追い出そうとしている。国連に入っ
ていない台湾は国際社会においては「戸籍がない」のと同じ。生き抜くのが最大の課題だ。

 イラクのように戦争で荒廃しても(国連加盟国として)国は生き残る。だが台湾はま
かり間違ったら消滅だ。消滅させられてしまったら、他のモノ(経済力など)が進展し
ていたとしてもすべてが消えてしまう。消滅してしまえば、台湾では例えば宗教活動も
言論の自由もすべてが失われる恐れがある。どんなにお金持ちになってもしようがない。
だが台湾の内部でも一部には中国と合体しようかとの動きもある。これも最大の課題だ。

 今後も台湾はさらに民主化していく、自由化していく。これは国際社会で台湾が生き
抜いていく大きな資源になる。民主化、自由化だからこそ日本も米国も同じ社会的価値
観をもつ台湾を大事にしてくれる一面がある。これは中国と違うんだという認識で、台
湾を中国に追いやることはせず、むしろ中国が台湾に強い態度で出ると台湾にとってい
い方に日米が動いてくれるのも「資源」があってのことだ。

 台湾を消滅させたがっているのは中国だけだ。他の国ではない。日本ではない。台湾
はそれを見定めないと間違ってしまう。中国が国際社会における一つの国であるとして
日本や米国と同列に扱ってはいけない。危ない。あそこはいつでも食いかかってくる。
すぐ近くに位置しているし、歴史的にも文化的にもいろいろな関係にあるから、関係を
もたざるを得ないが、ふっと気を緩めると台湾はだめになっちゃうんじゃないか。

【尖閣沖衝突事故の苦悩】

 仮に日本や米国と一時的にいざこざがあっても、それは本質的なものじゃない。(今
回の尖閣沖衝突事故で)日本を敵と間違えることは、台湾が生き抜いていくということ
を考えていない発言だ。日本は事故について「遺憾」と表明した。台湾の与党は「遺憾」
を中国語の「残念」というほどの意味にしか受けとらず激怒したが、私が日本では「遺
憾」が実際、「謝罪」の意味で使われると過去の例を挙げるなどして説明したことが「
日本の立場に立っている」と曲解された背景だ。私を「台奸」と非難したのだが、この
ことは「天につばするこ」と言ってもいい。台湾の新聞記者には「台奸という人自身が
自分が台奸でないかどうか、よく考えなさい」といった。私はこの4年間、いかに台湾
が国際社会で生き抜いていくか努力してきた。その私を「台奸」という人たちは、「台
湾が生き残っていかない方がいい」と思っている人たちだ。この人たちこそ台湾消滅を
願う「台奸」じゃないかと強く言った。そうしたらその後、この言葉は出てこなくなっ
た。

 事故の後で「軍艦を出せ」「一戦も辞さず」という発言があった。私も勇敢な発言を
することだってできた。ただ、その場の雰囲気だけで動かされているのではだめだ。台
湾が生き抜いていくためにどうしなければいけないのか。しかも事実に基づいて、最前
線にいる人間として事実を伝えたことに対し、後ろでワーワー騒いでいるのはおかしい。

【国家生存のための外交】

 この「台奸」騒動の後、ある方に「許さんは小村寿太郎ですね」と言われた。(日露
戦争における戦時外交を担当して1905年に日本全権としてロシアと交渉し)ポーツマス
条約を結んで帰ってきたとき(条約締結は弱腰だと)批判もあった。しかし当時の日本
は国力はさほど強くなく、そのまま強行していれば大変な目にあっていたかもしれなか
った。大声で強いことを言うのが外交ではない。日本の多くの方は理解してくれる。

 外交というのは戦争になる前の責任を持っている。戦争に引き継がせてしまえば、そ
れは国防部(国防省)の話であり、外交は失敗したということになる。ぎりぎりまで外
交は粘って、そこで解決しなければならない。簡単に「開戦」だとか「軍艦」だとか言
ってはならない。これは外交をやっていないに等しい。しかも今の時代に簡単に戦争ま
で話を持っていってしまうとは…。すでに日本側は謝罪していたが。

【馬英九政権の外交戦略は】

 3月の総統選挙で馬英九候補は700万票以上を獲得した。(票数からみて馬氏に)投
票した台湾の人の中には中台併合派もいれば台湾独立派もいるだろう。幅広い層が投票
した。それを反映して5月20日の総統就任演説で馬総統は、一方で中華民族との表現か
ら台湾精神まで、こちらも幅広い認識を盛り込んだ。この幅の中で彼が今後、どのよう
な形で(外交を)やろうとしているのか、だんだん見えてくるだろう。

 日本の方からよく聞かれるのは、馬政権は反日か、親日かということだ。私は5月8日
に馬氏が(戦前の台湾南部で水利事業に生涯尽くした日本人土木技師の)八田與一さん
の命日の慰霊祭に出席したこと、大変いい滑り出しだったと思っている。しかし私が(
馬総統の対日感情を)推測して言うのと、あなた(記者)が推測して言うのとあまり変
わらない。(国交がない以上)政府間では交渉できないから、自民党の幹事長など相当
地位の高い方が党として、一度、台湾に(国民党首脳に)に会いに行って直接確かめた
方がいいと思う。プラスが大きい。

 馬総統は(中国の反発で)日本訪問ができない。だが国民党と共産党が党対党で中台
関係を話し合っているのと同じ理屈で、こっちも自民党の首脳が早急に台湾にいって今
後の関係を確認することが日台の関係安定化に役立つのではないかと考えている。台湾
の対中国だけでなく、外交上の大きい問題についていつでも、なるべく早く日本側に説
明できる態勢。台北でも東京でも情報や信頼性の混乱を避けるため、台北でも東京でも
責任ある人物を決めておいて、本当の窓口をしっかりさせておいたらいい。

 2003年だったか、自民党の麻生太郎さんが台湾に来たことがあった。当時の麻生さん
は政調会長(であり実績がある)。今後は個人の資格ではなく党としての外交を、きち
んとしたルートで台湾との間で結んだらいい。日中間でも首脳同士が直接会って話し合
えば理解できることもある。だが馬総統は(日本の首脳と話し合う)チャンスがない。

【米国とカナダのような関係】

 このたびの岩手・宮城内陸地震では私は6月26日に岩手県と宮城県を訪れ、震災義援
金をそれぞれ300万円ずつ贈呈してきた。台湾中南部でも1999年9月21日の大地震があり
大きな被害があった。台湾から138万人の渡航客が日本を訪れているが、(同じ地震国と
して)被災地のことが気になる。能登半島でも以前地震があった。李登輝氏が旅行で訪
ねたこともあるが、能登半島には台湾人観光客がいっぱいくる。(被災地に同じ境遇の
人間として)関心をもっている。(地震から逃れられない)日台は運命共同体だ。

 すでに社会的価値観を共有している上、自然や気候でも地震や台風、あるいは湿気と
いった生活感を日本と台湾は共有している。これだけ類似している2つの国。国交など
なくとも、友好関係を増やすことで、例えば米国とカナダのような関係に発展すること
もできる。国交以上の関係に発展すればいい。それがアジアの安定にも結びつく。米国
とカナダ。戦争は考えられないし、カナダから米国に毎日、国境を越えて働きにいくこ
とも不思議でない。自国と同じような生活。これはもう国交以上のものだと思う。

 (今回の尖閣沖事故のように日台間には)時に「兄弟げんか」もあるだろう。だが、
漁業問題では主権をさておいて、漁民が安心して操業できる環境を整えてあげることが
国の責任だ。日台間で実務的な解決を急がないといけない。(日台の)2つの国が本質
的に敵国でないならば、70〜80%解決すれば「よし」としなければいけない。残りは他
のことで埋め合わせもできる。100%の解決を求めることは難しい。夫婦関係と同じだ。
問いつめると離婚になっちゃう。相手が謝っているならば解決できる。日台もこんな時
だからこそできる新たな関係拡大の方法もあるだろう。そうすれば空気も緩和される。

【駐日代表の後任人事】

 見当がつかない。羅坤燦副代表が代表を代行する。ただ馬総統は慎重に、きちんと続
く人を探しているのだと思う。現在の台北駐日経済文化代表処の態勢で事務処理は問題
なく遂行できる。(馬総統が)これはと思う人物。私が希望するのは、馬総統の考え方
をよく分かる人が好ましい。総統が国防、外交、大陸政策を管轄する。米国や日本の代
表も総統が直接派遣している。最前線の現場から総統を説得することもできる。

【盧千恵夫人から許氏に一言】

 台湾の台中に帰って、主人には私のもとに帰ってきてもらいたいと思っています。4
年間の代表在任中に、主人は7キロも体重が太りました。台中ではお散歩したり音楽会
にいったりするつもりです。日本のみなさまには本当にお世話になりました。ありがと
うございました。

許世楷(コー・セーカイ) 台湾大卒業後、早大大学院で政治学修士、東大大学院で法
学博士。その後、津田塾大に奉職し教授など歴任。夫人の盧千恵(ローチエンフィ)さ
んとともに日本で台湾独立運動に加わる。以前の国民党政権にパスポートを没収されて
ブラックリスト入りしたが、李登輝総統時代の民主化で1992年に帰台。台中の静宜大教
授、台湾憲政研究センター委員長などを経て2004年7月から台北駐日経済文化代表処代表。
7月10日に離任し台湾に戻った。74歳。台湾彰化生まれ、台中育ち。