えいきゅう)総統は9月13日、台北で開かれたシンポジウムに出席し、台湾知府だった周懋
琦(しゅう・ぼうき)が残した『全台図説』の記述を基に「釣魚台列島は清朝の版図にあ
り、沖縄の領土ではなかった」「その後、日本は秘密裡に釣魚台列島を不法占拠した」
「日本はこれら全ての島嶼を返還すべきである」などと主張したことを総統府発表として
掲載している。
さらに馬総統は翌14日、「釣魚島の史料を収集している中で、台湾知府を務めた周懋琦
著の『全台図説』を見つけた」と述べ、『全台図説』を引用して、『釣魚台の領有権はい
ささかの疑いもない』と改めて強調している」(10月11日付「毎日中国経済」)と伝えら
れた。
一方、11月6日にラオスでアジア欧州会議(ASEM)首脳会議が開かれたとき、中国の
楊潔●外相が尖閣諸島の領有権を主張し、「中国は明の時代より600年間、釣魚列島を支配
している」「反ファシズム戦争の成果が否定されてはならない」などと主張、これに対し
て野田佳彦首相が「わが国固有の領土であり、解決すべき領有権の問題は存在しない」と
明言して反論した。9月の尖閣国有化以降、首相が国際会議の場で尖閣諸島の具体名を挙げ
て日本の立場を主張したのは初めてだという。(●=簾の广を厂に、兼を虎に)
このように、台湾も中国も尖閣諸島の領有権を歴史文献を基に主張するようになってき
たが、長崎純心大学の人文学部比較文化学科の石井望(いしい・のぞむ)准教授の研究に
よれば、馬総統が発見したという『全台図説』は、実は尖閣が清国の国外だったことを示
していて、逆に「日本の領有権の正当性が改めて証明され、尖閣を日本が盗んだとする主
張も根本から崩れた」と指摘している。
一方の中国の楊外相の「中国は明の時代より600年間、釣魚列島を支配」という発言につ
いて、中国側が根拠とする古文書『順風相送』(じゅんぷうそうそう)という航路案内書
は、約440年前に成立したもので、文中の記述も、尖閣が中国ではなく、琉球に帰属するこ
とを示す内容となっていて、中国側の領有権主張に歴史的根拠がないことを指摘した。
いずれも「八重山日報」が関係図版とともに詳しく伝えている。かなり長い記事だが、
貴重な研究成果なので、下記にご紹介したい。これで台湾も中国も、歴史的根拠が崩れ
た。この石井准教授の研究結果にどう反応するのだろうか、楽しみである。
ちなみに、石井准教授は、平成5(1993)年に蘇州大学研究院古代文学専業修士課程を修
了した後、平成7年に京都大学大学院文学研究科修士課程を修了、長崎総合科学大学講師を
経て、平成20(2008)年から長崎純心大学で教鞭と執っている漢文学者。研究テーマは、
元曲崑曲の音楽、唐人燕楽の音律、漢字音図、蘇州語、長崎の漢文。
◆馬英九総統が国際学術シンポジウムで釣魚台列島の領有権について言及
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=308323&ctNode=3591&mp=202
清国史料、また「尖閣は国外」 台湾総統「発見」が逆証明 中台の領有主張崩壊
【八重山日報:2012年11月5】
今年9月、台湾の馬英九総統が「発見」し、尖閣諸島の魚釣島(台湾名・釣魚台)が清国
に属する証拠とされていた史料が、実際には尖閣が清国の国外だったことを示しているこ
とが分かった。石井望・長崎純心大准教授が4日までに明らかにした。石井准教授は「馬英
九総統は、尖閣が国外だったこと示す史料を、自ら発表したことになる。日本の領有権の
正当性が改めて証明され、尖閣を日本が盗んだとする中国の主張も根本から崩れた」と指
摘している。
台湾側の9月の報道によると、馬総統は1872年(明治5年)に清の周懋琦(しゅう・ぼう
き)が執筆した「全台図説(ぜんたいずせつ)」の中から「釣魚台」の記述を発見した。
該当箇所には「山後の大洋に嶼(しま)あり、釣魚台と名づけらる。巨舟(きょしゅ
う)十余艘(そう)を泊(はく)すべし」と記されていた。
「山後」とは台湾島の東半分であり、文意は「台湾東側の大海に島があり、島名は釣魚
台という。大船十隻余りが停泊可能である」となる。
日本が尖閣諸島の領有を開始したのは1895年で、「全台図説」の成立はその23年前。馬
総統の「発見」は、日本の領有開始前に、尖閣が台湾の領土だったことを示す証拠とし
て、台湾外交部の公式文書中に採用された。
ニューヨークタイムズ紙の著名記者、ニコラス・クリストフ氏のブログ掲載論文でも取
り上げられ、台湾側の主張が世界的に発信されることになった。
しかし石井准教授の調査によれば、「全台図説」のこの記述の原文は台湾東側中部の
「奇来」(今の花蓮)の項目中に掲載されていた。
清国は台湾全土を統治していたのではなく、東側中部の「奇来」は、東側北部の清国領
である宜蘭県の外にあり、清国の国外でもあった。
「全台図説」の前年、1871年出版の官製地理書「重纂福建通志(じゅうさんふっけんつ
うし)」の今の宜蘭県の項目にも、同じ記述が見られることが既に知られている。台湾・
中国両政府はこれまで、尖閣が清国に属していた最有力の根拠として、この記述を挙げて
いた。
石井准教授によると、同項目には、宜蘭県の領域は東北端が台湾東北海岸の「三貂(さ
んちょう)」までと明記されており、海に出ると清の国外になる。その東北170キロメート
ル先の海上にある「釣魚台」は当然、国外情報として記録されたことが分かる。
1852年の官製地理書「葛瑪蘭庁志(がばらんちょうし)」にも釣魚台について、宜蘭県
の境外、すなわち清国外に存在することを示す「蘭界外」と記されている。
石井准教授の研究成果は、12月に発行される「純心人文研究」第19号に掲載される。
領有主張「完全な誤り」 「中国が600年前から支配」 石井氏、学術的に反証 ?尖閣は琉球文化圏?と指摘
【八重山日報:2012年11月9日】
尖閣諸島問題をめぐり、ラオスで開催されたASEMの席上、中国の楊潔●(よう・け
つち)外相が「中国は明の時代より600年間、釣魚列島(尖閣諸島)を支配している」と発
言したことに対し、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)が8日までに「完全な誤りだ」と
学術的に反証した。
石井准教授によると、中国側の根拠となる古文書は600年前でなく、約440年前に成立。
文中の記述も、尖閣が中国ではなく、琉球に帰属することを示す内容となっている。中国
側の領有権主張に歴史的な根拠がないことが、改めて浮き彫りになった。
中国外相が「600年間支配していた」と発言した根拠の古文書は、明国時代の手書き本
「順風相送(じゅんぷうそうそう)」という航路案内書。文中に「釣魚嶼」という記述が
あり、中国、台湾両政府は、この文書が1403年に成立した「尖閣諸島発見の最古の記録」
と主張している。
「順風相送」には「長崎にはフランキ人(ポルトガル人)が在住している。別名籠仔沙
機(ろうしさき)という」との記述がある。
石井准教授によると、長崎にポルトガル人が住むようになったのは、宣教師ザビエルの
鹿児島来航より後、1570年ごろで、史上「長崎開港」として知られる。従って「順風相
送」は1570年以後の成立書となる。海上交流史研究家・内田晶子氏が1985年の論文の中で
既に明らかにしていた。
また石井准教授の調べでは「籠仔沙機」は広東・潮州(ちょうしゅう)語で「ラ(ナ)
ンギャンサキ」と読まれ「ナガサキ」の訛りだという。
また「釣魚嶼」の項目で記述されている尖閣諸島への航路では、船が中国の福建省を出
港した後、台湾北端を経由せずに尖閣方面に到達する。これは航行に熟練した琉球人が、
北寄りの直線的航路を好み、台湾まで南下しなかったことと合致。中国人ではなく、琉球
人特有の航路を表している。
同書のほか、同じ航路を載せる航路書は、18世紀に琉球人が著わした「指南広義」だけ
だ。中国の一般的な航路書では、尖閣方面向けは台湾経由になっている。
石井准教授は「中国側の強調する最古の史料の年代が崩れるだけでなく、同じ史料で逆
に尖閣航路は琉球文化圏であったことを示す可能性が高まった。中国政府がどう反応する
のか注目される」としている。
石井准教授は12月発行の「純心人文研究」19号で「順風相送」に関する研究成果を発表
する。