ご案内のように、6月22日、芝山巌事件130年記念の「六士先生・慰霊顕彰の集い」が靖國神社において、楫取道明命など六士先生のご遺族12名の方々をはじめ、熊本県や愛知県、群馬県などから70有余名の方々が参列して執り行われました。
非命に斃れた6人の教師(六士先生)は、楫取道明(山口県 かとり・みちあき)、関口長太郎(愛知県 せきぐち・ちょうたろう)、桂金太郎(東京府 かつら・きんたろう)、中島長吉(群馬県 なかじま・ちょうきち)、井原順之助(山口県 いはら・じゅんのすけ)、平井数馬(熊本県 ひらい・かずま)です。
11時30分から、六士先生・慰霊顕彰の集いの出席者だけで昇殿し慰霊祭を執り行いました。
まず拝殿にて、本会の柚原正敬・事務局長が参列者を代表して祭文を奉読。
その後、本殿に上がり代表者の玉串奉奠に合わせて拝礼。
それぞれに六士先生や台湾出身戦歿者に慰霊の誠を捧げました。
この祭文は別途ご紹介します。
慰霊祭が滞りなく終わり、12時過ぎに靖國会館に移動し、柚原事務局長の司会にて第二部の講演会が始まりました。
まず、熊本市から駆けつけていただいた平井数馬顕彰会の白濱裕(しらはま・ひろし)会長が熊本における顕彰活動について話されました。
白濱氏は地元のテレビくまもと(TKU)が今年2月に放映した「台湾近代教育の先駆者〈六氏先生〉平井数馬を偲んで」(13分)の映像を使いながら活動を紹介。
また、これまでの活動の集大成として、今年2月に増田隆策氏の編著になる『『「六氏先生」最年少 平井数馬伝』として出版したことも紹介されました。
・「台湾近代教育の先駆者〈六氏先生〉平井数馬を偲んで」 https://www.tku.co.jp/news/?news_id=20250227-00000011
次に、愛知県西尾市から駆けつけていただいた関口長太郎顕彰会の中川美穂(なかがわ・みほ)前会長が、関口長太郎命の顕彰碑と墓所がある西尾市でどのように顕彰活動が始まったのかについて、2009年11月3日に関口命の生誕150年を祝い感謝する会を岡崎市在住の杉田謙一氏が開いたことにさかのぼって説明。
また、関口長太郎漫画制作委員会編になる『関口長太郎物語』の出版についても言及し、このような顕彰活動により関口長太郎命が西尾市が生んだ偉人の一人として、尾崎士郎(小説家)や神谷傳兵衛(日本のワイン王)などとともに知られるようになってきたことを紹介されました。
◆清宴にてご遺族を紹介
続いて、第3部の「清宴」は、群馬から駆けつけていただいた、中島長吉命のご遺族とも親しい本会理事で群馬地域学研究所代表理事の手島仁氏が開会挨拶を経て、司会から参列された下記12名のご遺族を紹介。
楫取 能彦 楫取道明命曽孫(楫取家当主)公文 静代 楫取道明命曽孫(令孫・小田村寅二郎様ご息女)公文 敏雄 公文静代様ご夫君小田村初男 楫取道明命曽孫(令孫・小田村泰彦様令息)小田村直昌 楫取道明命曽孫(令孫・小田村四郎様令息)桂 盛仁 桂金太郎命令孫中島 力 中島長吉命令孫中島 陽子 中島力様令夫人平井 金吾 平井数馬命令孫平井 燕美 平井金吾様令夫人平井 正道 平井金吾様令息平井 隆幸 平井数馬命曽孫(令孫・平井幸治様令息)
ご遺族を代表して楫取能彦氏が挨拶され、1995年に芝山巌事件から100年の折に、小田村寅二郎氏やご息女の公文静代様、実弟の小田村四郎氏(本会第2代会長)などが台湾を訪問し、新たに建立された六士先生のお墓参りに詣でたことなどを紹介されました。
続いて、訪台するたび六士先生のお墓に詣でている本会の江成雅子・常務理事が献杯の発声を経て「清宴」(懇親会)に入りました。
この場で初めてお会いする方との名刺交換なども行われる中、次第に談笑の輪がそこここにでき、とてもなごやかな雰囲気となっていきました。
なごり尽きない中、最後に本会の廣瀬勝・常務理事が閉会の挨拶を述べ、この日の同時刻に行われていた沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園に建つ「台湾之塔」前における台湾出身戦没者の慰霊顕彰祭にも触れつつ、六士先生を慰霊顕彰することが日本と台湾の絆を深めると述べて締めくくりました。
ただ、予定より早く終わったことで時間的に余裕ができました。
そこで、愛知からは竹上裕子・衆議院議員や伊藤正義・岡崎市議会議員、山本道代・西尾市議会議員、熊本からは熊本県議会の高井千歳議員なども出席していましたので、閉会挨拶が終わった後ではありましたが、議員を代表して竹上衆議院議員に挨拶していただき、130年目の「六士先生・慰霊顕彰の集い」は盛会の裡に幕を閉じました。
会が果て、次は10年後の140年に開くとすればもう年なので参加できないかもしれないという声も聞かれました。
事実、2016年6月に開いた「六士先生・慰霊顕彰の集い」において講演された本会の小田村四郎会長や井原順之助命ご遺族の上田良成氏も亡くなられています。
六士先生・慰霊顕彰の集いは「芝山巌精神」を後世に伝えてゆく場であるとともに、ご遺族の方々が親しくお会いする場でもありますが、ひ孫(曽孫)世代の方の高齢化は避けがたく、次回は5年後の開催も視野に入れて検討しなければならないようです。
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