産経新聞12月12日
劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞に対し、中国外務省の報道官は「政治的茶番劇」と非難したそうである。「茶番劇」とは、すぐ底が割れるようなバカバカしい行為を指す日本語だ。中国にもそっくり同意義の言葉があるらしい。
▼劉氏へのノーベル賞には、中国の民主化こそ平和への道だという国際社会の願いが込められている。そんな真摯(しんし)な願いに背を向け、授賞式を妨害しようとし「茶番劇だ」と切って捨てる。まるで世界中が中国に従うべきだ、と言わんばかりの傲慢さである。
▼それでも「茶番劇」と言うのなら、中国には正真正銘の茶番劇があった。ノーベル賞に対抗して、にわかに設けたらしい「孔子平和賞」である。第1回の授賞式を行うというので、北京市内の会場を訪れた各国の報道陣は、お粗末さに苦笑するしかなかったようだ。
▼第一、授賞式だというのに受賞者がいない。むろん劉氏のように当局が出席を妨害したからではない。「初の受賞者」に選ばれた台湾の連戦・元副総統が断ったためだという。もともと連戦氏に正式の連絡がいっていなかったという失態も明らかになったという。
▼ノーベル賞への嫌がらせにすぎなかったことが明らかになったが、そもそも各国に対する授賞式への欠席要請も茶番劇だった。一部の国を除き民主主義国のほとんどが出席、儀式は粛々と行われた。受賞者の不在は、中国の傍若無人ぶりを際だたせただけに終わった。
▼経済や政治の冠を頭に載せているだけで、民主主義や文化、礼儀といった衣服は纏(まと)っていない。そんな「裸の王様」と国際社会から見られていることに中国もそろそろ気付かねばならない。日本も良き隣国として忠告すべきなのだ。