韓国人も賠償請求 沖縄の遺族も
1947年に国民党政権が住民を武力弾圧
毎日新聞2016年10月29日 15時00分(最終更新 10月29日 15時00分)
【台北・鈴木玲子】台湾で1947年に国民党政権が住民を武力弾圧した「2・28事件」で、今年2月に外国人で初めて日本人遺族に損害賠償が認められたのを受け、外国人の賠償請求申請の動きが出ている。これまで公的な記録になかった韓国出身の被害者遺族も申請し、毎日新聞の取材に応じた。
2月に沖縄県浦添市の青山恵昭さん(73)に対し、事件で犠牲になった父恵先さん(当時38歳)の損害賠償が認められた。これを知った台湾新北市に住む韓国人、朴鈴心(パク・ヨンシム)さん(76)らきょうだいは3月15日、父の朴順宗(パク・スンジョン)さん(同32歳)が事件で死亡したとして、被害認定を担う財団法人「二二八事件記念基金会」に賠償請求を申請した。韓国出身者の被害は公的報告書には書かれていない。
日本植民地だった朝鮮半島南部の巨文島出身で船乗りだった順宗さん一家は42年、当時暮らしていた北九州から新たな仕事を求め台湾北部の基隆に移住した。
戦後、台湾は国民党政権が接収。事件発生後、住民らの抗議を鎮圧するため国民党軍が基隆に上陸した3日後の47年3月11日、順宗さんは三男の誕生日を祝うため魚を買いに出かけ行方不明になった。
鈴心さんの母の尹正葉(ユン・ジョンヨップ)さん(故人)が目撃者らから聞いた話では、順宗さんは漁港で兵士に捕らえられた。船乗りが使う小刀を持っていて誤解されたらしく、兵士が使う中国語(北京語)は話せなかった。拘束後、殺害されたとみられるという。
身重だった尹さんは心労が重なり、生まれた娘はすぐに亡くなった。母と子供4人の生活は困窮し、長男の朴性泰(パク・ソンテ)さん(82)は14歳で船乗りになった。
鈴心さんらは93年に申請しようとしたが、外国人は対象外と聞き断念したため、記録に残らなかった。鈴心さんは「父が犠牲になったことは知られてこなかった。犠牲者名簿に父の名を刻み、この悲劇を後世に伝えてほしい」と涙ぐむ。
今回は、日本人の天江喜久・長栄大台湾研究所副教授が関連資料を発見し、申請を後押しした。台湾にあった韓国系組織「台湾韓僑協会」が当局に提出した文書などから、事件で韓国出身の3人が死亡し、2人は寄航中の船員2人。残る1人が順宗さんとみられる。
事件は69年たった今も台湾社会に暗い影を落とす。遺族の高齢化と共に、賠償は時限立法で来年5月の期限が迫る中、11月2日には沖縄県・与那国島出身の2人の遺族が台北で賠償請求を申請する。2人は船乗りだった仲嵩実(なかたけ・みのる)さん(当時29歳)と石底加禰(いしそこ・かね)さん(同39歳)で、船の部品を入手するため渡航した基隆で事件に巻き込まれた。遺族たちは「今こそ犠牲者と認めてほしい」と願う。
2・28事件
1947年2月27日、ヤミたばこ売りの取り締まりをきっかけに、台湾を接収した国民党政権への台湾人の不満が爆発した。翌28日、抗議のデモ隊に当局が発砲したのを機に抵抗が全土に拡大。国民党政権のトップだった蒋介石が中国大陸から派遣した軍が3月8日に基隆に上陸し、武力弾圧で多数の台湾人らを殺害した。その後も、反体制派を逮捕するなど弾圧が続いた。台湾では87年まで戒厳令が敷かれ、事件はタブー視された。政府は92年に事件の死者数を1万8000〜2万8000人と発表した。