真相求めて70年/4止 暗闇に光を照らした タブーに挑んだ闘士
毎日新聞2017年2月25日 東京夕刊
http://mainichi.jp/articles/20170225/dde/018/040/029000c
台北市の日新小学校に約5000人が集まった。1987年2月14日夜。台湾の国民党政権が台湾住民を武力弾圧した「2・28事件」から40年を前に、言論の自由を求める活動家、鄭南榕(ていなんよう)さんらが事件の真相究明を訴える講演会を開いた。戒厳令下の当時の台湾では事件を口にすることさえできなかった。当局が反体制派の無差別逮捕や言論統制など「白色テロ」を続ける中、真正面からタブーに挑んだ。
翌15日、鄭さんらは台南で初めて真相究明を求める街頭デモを実施。デモ隊は約30人で出発したが、公園に到着すると、周りの群衆は約500人に膨れ上がっていた。事件で当局から民衆の命を守ったために逮捕された湯徳章(とうとくしょう)さん(当時40歳)が公開処刑された公園だ。湯さんは日本の中央大学卒業の弁護士、父親は日本人だ。日本名は坂井徳章(とくしょう)さん。人々は「ここで湯さんが射殺された」と涙を流して訴えた。
鄭さんとデモの先頭に立った台南の牧師、林宗正(りんしゅうせい)さん(66)は「鄭南榕氏に『一緒に歴史を変えよう』と言われて決意した。(デモは)台湾の暗闇に光を照らした」と語る。5カ月後、38年間続いた戒厳令が解除された。89年4月、鄭さんはその後も続く言論抑圧に抗議して焼身自殺した。41歳。壮絶な死は台湾人の心を揺さぶり、民主化への大きなうねりとなった。妻の葉菊蘭(ようきくらん)さん(68)は「多くの人の血と涙と犠牲があった。この悲劇から学び、台湾に正義を取り戻してほしい」と願う。
昨年5月に国民党から政権を奪還した民進党の蔡英文政権は事件の真相究明に本腰を入れる。23日には事件に関する新資料が出版され、事件発生直後の3月2日、台湾の陳儀行政長官が国民党トップの蒋介石に派兵を求めた電文が初めて公開された。しかし、被害認定を担う財団法人「二二八事件記念基金会」の薛化元(せつかげん)理事長は「政府関連機関には公開していない資料がもっとある」と指摘する。「事件は台湾社会の亀裂の根源。事件に正面から向き合うことで真の和解をもたらし、社会を変えることができる」と訴える。
蔡総統は23日、海外在住の事件の遺族らと面会した。真相究明の調査や情報公開を約束し「これは使命だ。逃げたりしない」と決意を語った。【台北・鈴木玲子】=おわり