【毎日新聞】台湾2・28事件 真相求めて70年/1

台湾2・28事件

真相求めて70年/1 

47年・国民党のエリート弾圧 連行された父に何が 声を上げる遺族

毎日新聞2017年2月22日 東京夕刊

[写真(略)]2・28事件で犠牲になった王育霖さん(背景は日本での検察官時代の写真)の足跡をまとめた書籍を出版し、出版発表会で真相究明を求める長男の王克雄さん=台北市の二二八国家記念館で、鈴木玲子撮影

 中国大陸から台湾に渡った国民党政権が台湾住民を武力弾圧した1947年の「2・28事件」から28日で70年になる。事件は長らく台湾社会のタブーとされてきた。しかし、昨年5月、国民党から民進党に政権が交代し、蔡英文政権は真相究明に取り組むと約束している。真相を求め続ける遺族らの思いをたどる。【台北・鈴木玲子】

 「王育霖は誰だ?」。台北市の自宅に6人の軍人が押し入ってきた。47年3月14日の昼下がり。妻の陳仙槎(せんさ)さん(94)が「ここにはいません」と答えたが、王さんが着ていた服の襟元裏に刺しゅうされた名前から見つかってしまった。「夫は悪いことはしていません」。訴える陳さんの喉元に軍人は銃を突きつけた。軍用車で連行される27歳の夫の姿が最後の記憶になった。

 陳さんは知人に助けを求めて回った。3月下旬、見知らぬ男が伝言を持ってきた。夫の筆跡だ。命の危険が迫っていると書かれていた。行方はつかめなかった。それから、市内で身元不明の遺体が見つかったとうわさを聞けば、生後数カ月の次男を背負って捜しに行った。遺体は見つからなかった。

 弟の王育徳さんにも危険が迫り、日本に亡命した。台湾語研究者で明治大学教授を務めたが、国民党のブラックリストに掲載されていたため、故郷に戻れぬまま85年に61歳で他界した。

 45年の日本の敗戦後、中華民国(国民党政権)が台湾を接収。「祖国復帰」を歓迎していた台湾住民たちも、次第に腐敗した一部官僚の横暴に不満を募らせていった。

 47年2月27日、当局のヤミたばこ取り締まりをきっかけに台湾住民と当局が衝突。翌28日、当局による抗議集会への発砲をきっかけに、デモが台湾全土に広がった。国民党政権トップの蒋介石が中国大陸から派遣した軍隊が3月8日に台湾北部の基隆から上陸。抵抗する住民らを次々と拘束し、殺害した。

 国民党が狙ったのは日本統治時代(1895〜1945年)のエリート層だった。台南の裕福な卸問屋に生まれた王育霖さんは東京帝国大学に進み、司法試験に合格。京都地方裁判所検事局の検察官に任官した。当時、台湾出身でただ一人の検察官だった。

 終戦の翌46年に帰郷し新竹地方法院検察処(地検)の検察官になった。新竹市長が絡む物資の横流し事件で、市長が派遣した警察に捜査を妨害されたことに抗議して検察官を辞職した後、新聞「民報」の法律顧問となり、人権や法治の重要性を訴えていた。

 台湾では87年に戒厳令が解除され、政府は92年に2・28事件の死者数を1万8000〜2万8000人と発表した。その後、公開された死亡者名簿に王育霖さんの名があった。だが、死亡状況などは一切書かれていなかった。

 「今父のことを残さなければ、自分の子供たちにも分からなくなってしまう」。長男の王克雄(こくゆう)さん(72)は危機感を募らせる。次男の克紹(こくしょう)さん(70)と一緒に先月、父の足跡をまとめた書籍を台湾で出版した。「なぜ多くのエリートが殺されたのか、(台湾当局は)今こそ明らかにしてほしい」と訴えた。=つづく

出典:
http://mainichi.jp/articles/20170222/dde/007/040/030000c


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