日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載
宮元 陸(加賀市長・日本李登輝友の会理事)
昨年10月に石川県加賀市長に就任し、今年7月にかねてより希望をしていた台湾との正式な国際
交流をようやく実現いたしました。
人口188万の台南市とは友好都市協定、人口278万の高雄市とは観光交流協定、そして高雄市の中
の行政区である人口13万5千の鼓山区とは友好交流都市協定を締結することができました。
これは石川県の自治体としては初のことでありますし、日本の自治体としても、同時に3ヵ所の
台湾の自治体との交流協定も初の試みだろうと思います。
思い返せば、私と台湾との関係は県議会時代に遡ることになります。
平成14年当時、県議1年生だった私が歴史教科書採択の運動を進める過程で、李登輝・元台湾総
統の幻の三田祭講演録「日本人の精神」に触れて感動し、李総統そして台湾への関心が高まったこ
とを今でも鮮明に思い出します。
その後、日本李登輝友の会に入会し、平成16年の第1回台湾李登輝学校研修団に参加。李登輝先
生に直接お目に掛ることができ、その思いはさらに強いものとなりました。
同年に「石川県議会日台友好議連有志の会」を結成し、翌17年には「石川県議会日台友好議員連
盟」を正式発足させ、18年に当時の台南県議会との間で友好交流協定を締結するに至りました。こ
れは日本の県議会と台湾の県議会との初の交流協定となり、注目を集めることとなりました。
また、平成20年6月に石川県の小松空港と桃園空港との間にエバー航空が定期便を就航。これも
日台友好議連が主導し、森喜朗元総理のご尽力をいただきながら就航に至りました。
このように石川県における公的な日台友好運動は、まさに私を始めとした県議会が主導してまい
りました。もちろん、その背景には烏山頭ダムを建設した金沢市出身の八田與一技師の功績があ
り、それを民間団体が草の根運動として下支えしてきたのは言うまでもありません。
八田技師という郷土の偉人を輩出しながら、台湾との正式交流が進まなかったのは、言うまでも
なく中国の存在であります。石川県と台湾との交流に常に強く干渉してくるこの国の存在をして正
式交流が阻害され、また卑屈なまでの政府および自治体の非礼な対応に問題があったわけです。
平成17年当時、台南県の蘇煥智知事からの再三再四の姉妹都市交流の申し出に、石川県は答えま
せんでした。そのことを当時、私は県議会でも再三追求してきたにもかかわらず、放置されたまま
今日に至っています。
今でも、当時のことを思い返しますと悔しさが募り、日本人として誠に恥ずかしい思いでありま
した。李登輝先生が繰り返し指摘されている、日本人としての誇り、武士道を中心とした日本精神
を忘れず胸を張れ、という言葉が常に脳裏をよぎっていました。
あれから10年近くが経過し、積年の思いを実現できるチャンスがようやく巡ってまいりました。
加賀市長という首長としての立場をいただきましたので、台南市や高雄市との都市提携を実現する
ことができました。
こよなく日本を愛し、慕ってくださる台湾の多くの人々に誠心誠意答えて行くことにより、日台
の運命共同体としての絆はより強化されて行くものと確信しています。
私は、日台のさらなる友好交流の先頭を常に走る、そんな先導的な役割を担える自治体交流を目
指しています。
また、我々とともに台湾との交流を目指す自治体を増やしていくことが、李登輝先生が言われる
日本人としての誇りと自信の復活につながるものと確信しております。
【機関誌「日台共栄」12月号 台湾と私(36)】