“8月8日の「世界と日本 大図解シリーズ」にある「台湾を中国が取り戻した」は誤り”として「訂正文の掲載」「販売の停止」要求を!
■訂正要求先:中日新聞社東京本社(東京新聞社)サンデー版デスク
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※目下東京新聞は訂正を拒否している。
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中日新聞(東京新聞)に中国の歴史捏造宣伝
ブログ「台湾は日本の生命線!」より
ブログでは関連写真も↓
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■「終戦の日を考える」に問題あり
中日新聞(東京新聞)が毎週日曜日のサンデー版で掲載する見開き二頁の「大図解シリーズ」は、「大型イラストや図表をふんだんに使い、時のニュースや季節の話題を分かりやすく解説」(同社HP)するもの。
テーマは「国際問題から政治、経済、社会、文化、科学まで多岐」にわたり、「家庭だけでなく、学校の教材としても活用されてい」るのだそうだ。だからバックナンバーの販売も行っている。
しかし「学校の教材」にもされていると聞けば、ますます黙っていられなくなる。
八月八日掲載のそれに、重大な誤りが含まれていたからだ。
これに関しては現在、愛知李登輝友の会(日本李登輝友の会愛知県支部)が中日新聞に訂正を求めているところだ。
八日のテーマは「終戦の日を考える」。日本では一九四五年八月十五日が「アジア太平洋戦争終戦の日」だが、他の国々では別のそれとは別の日を「戦争や終戦を記憶に刻む“記念日”」としている。そう言ったことを紹介する内容だ。
そしてそれによると、米国は「日本と連合国の間で降伏文書調印」の九月二日を「VJデー」としている。韓国は「朝鮮総督府が降伏文書調印」「四八年、韓国独立の記念式典が開かれた」八月十五日を「光復節」に指定している。中国は「勝利を祝う記念式典が開かれた」九月三日を「抗戦勝利記念日」としている。
では何が問題かと言うと、台湾についてである。「安藤利吉・台湾総督と陳儀・中華民国台湾省長官との間で降伏文書が調印された」十月二十五日を「光復節」と呼んでいると言うのだ。
「光復」とは倒れた王朝を復活させるの意味だが、ここでの「光復」は台湾が中国に復帰したことを指す。だがこれが事実に反しているのである。
■四五年十月二十五日の歴史真実
そこで「光復」に先立つ歴史経緯を簡単に見てみよう。
日本が連合国との間で降伏文書に調印した九月二日、マッカーサー連合国最高司令長官は、日本に武装解除、戦闘停止などを命じる「一般命令第一号」を下し、日本本土や外地の日本軍の降伏すべき相手を規定した。そして台湾にいる日本軍は中国(中華民国)軍に降伏するものとされた。
その際の中国軍の降伏受け入れ責任者は、台湾に進駐した台湾省警備総司令官の陳儀大将だった。これに対して降伏する日本軍の代表は第十軍方面軍(台湾を担当)司令官である安藤利吉大将だった。
かくして十月二十五日、台北において両軍の代表者の間で降伏文書の調印が行われたのだが、ここで陳儀大将はマッカーサーの命令を逸脱する越権行為に出た。
陳儀大将には軍司令官とは別の「台湾省行政長官」なる肩書きがあった。中華民国は台湾で「行政」を行う、つまり日本領である台湾を、勝手に自国の領土に編入するつもりだったのである。
一方、安藤大将は台湾総督と言う行政官でもあった。そこで陳儀は行政長官として、安藤総督に行政長官としての「第一号命令」を下した。そこには「台湾、澎湖列島の領土、人民、統治権、軍政施設および資産を接収する」とあった。
こうした命令に対し、総督府側は戸惑っていた。なぜなら戦争の結果に伴う領土の変更とは、講和条約によって決められるのが国際法上の常識だからだ。そもそも台湾総督などに、領土の一部を勝手に他国に割譲する権限などあるわけがないのである。
しかし敗戦国としてはその命令の受領書に署名せざるを得なかった。かくして中華民国は即日、こうした無効の手続きを経て、「光復」を宣言したのだった。
ソ連は終戦直後、日本領である千島列島と南樺太を不法に強奪したが、中華民国もそれと同様に台湾を占領していたのである。
■台湾に「光復」(中国への復帰)などなかった
このような経緯なのだ。だから「大図解」が「安藤利吉・台湾総督と陳儀・中華民国台湾省長官との間で降伏文書が調印された」日を記念し、台湾の中華民国は「光復節」と呼んでいると解説するのはおかしいだろう。「降伏文書」調印の結果、「光復」となったわけではない。
たしかに中華民国側も、しばしばそのような歴史解説を行っている。どうも中国人は細かい事実関係などどうでもいいようだ。歴史事実より政治宣伝の方が大切なのだろう。
だから「大図解」もそれに従ってしまったようだ。
それでは「大図解」は、ただたんに「降伏文書」を「行政長官第一号命令」に書き換えればそれで済むかと言えば、必ずしもそうではない。なぜなら上で見たとおり、「光復」自体が大嘘だからだ。
■「台湾を中国が取り戻した」は作り話だ
この日の「大図解」のメインの解説文である加藤聖文氏(人間文化研究機構国文学研究資料館助教)の「アジアの視野で終戦問い直そう」にも、その嘘の宣伝が反映されていた。
そこには「日本では…八月十五日が、戦争が終わった日であると一般的には認識されています。ただ、これはあくまでも今の日本国内に当てはまることであって、…植民地であった台湾を中国が取り戻したのは十月二十五日になってからでした」とある。
要するに「アジアは八月十五日を境にすべての地域が平和になったのではないのは明らか」「『終戦記念日』を日本の歴史という狭い枠組みにとらわれて、悲惨な戦争が終わって平和国家日本の歩みがはじまったと理解するだけで良いのか、いまいちどアジアという広い視野に立って考え直してみる必要があるのではないでしょうか」と訴えているのだが、ここでの間違いは言うまでもなく、「台湾を中国が取り戻したのは十月二十五日」との部分である
ちなみに日本が連合国との間で五一年に調印したサンフランシスコ講和条約で、日本は台湾の主権を放棄させられている。
日本が「放棄」したと言うことは、その時点でもなお台湾は、中華民国に占領はされてはいたものの、法的になお日本の領土だったと言うことだ。なぜなら領土でなければ放棄しようがない。
■「アジア」の視野で中日(東京)新聞へ訂正要求を
ところがそうした事実を無視し、一九四五年十月二十五日に中国が台湾を取り戻したとするのが、台湾を自国領と主張し、その統治を正当化したい中華民国の政治宣伝であり、台湾を中華民国から継承したと主張し、その併呑を正当化したい中華人民共和国の政治宣伝なのである。
そしてその政治宣伝を鵜呑みにしているのが加藤氏を含む日本人なのである。
しかしそろそろこうした嘘は見破られなければならないだろう。なぜなら中華人民共和国がこの「光復」を根拠に、台湾併呑のための軍備拡張に驀進しているからだ。
もし台湾は「中国が取り戻した」のだから、台湾併呑は中国の内政問題であり、日本は口出しをしてはならない、と思う日本人がいれば、それはまさに中国の宣伝にすっかりやられていると言わざるを得ない。
なんとも恐ろしい宣伝ではある。だからこそ中日新聞(東京新聞)は、八日の「大図解」については訂正文を掲載する必要があるだろう。またこれを「学校の教材」として販売するにも反対だ。それは直ちに停止してほしい。
戦後の平和を思うには「いまいちどアジアという広い視野に立って考え直してみる必要がある」とする加藤氏の主張には賛同する。
我々はまさにそうした視野に立ち、終戦後のドサクサの中で中華民国の支配下に投げ込まれたため、三十年以上も恐怖政治に脅かされ、そして今や中華人民共和国の侵略の危機にさらされ続ける台湾人の境遇と、それに対して日本人はいかに救援の手を差し伸べるべきかを、考えなければならないはずである。
そしてそのようにすることが、日本を含むアジア全体の平和防衛にも繋がるのだ。
そしてそのためには先ず、中日新聞(東京新聞)に、「光復節」の誤った解説、「植民地であった台湾を中国が取り戻した」との不適切な記述の訂正を求めるべきではないだろうか。
「アジアという広い視野に立って」行動を。