【寄稿】日本は尖閣問題について早急に台湾と對話すべし(六)

【寄稿】日本は尖閣問題について早急に台湾と對話すべし(六)    

       柳原 憲一(医師・平埔族文化研究家)

三、台湾住民の視点から

日本が1895年4月17日下関で調印した日清講和条約と同年6月2日基隆沖で行われた引き渡し手続きにより、清国から手に入れたものはただ台湾に対する出兵の権利に過ぎない。なぜならば、実は同年5月25日台湾民主国は既に成立した。台湾における日清両国間の主権並び行政権の移行手続きは物理的に不可能になってしまった。

日本軍は清国の代表者からの引き渡しを待たずに、1895年5月29日から10月21日まで、台湾の西部平野地域で対台湾民主国作戦、対台湾民衆蜂起作戦を行い、また、1914年8月6日まで、東部山岳地域で対台湾先住民族作戦を展開した。日本はこの二つの戦争(日台戦争)を勝利に収め、史上始めて台湾全島を領有した。従って、1951年調印したサンフランシスコ平和条約で日本が台湾の主権を放棄するとき、当然、日台戦争の相手側である台湾の西部平野地域住民と東部山岳地域先住民族つまり台湾住民が唯一の放棄の対象である。台湾住民は大西洋憲章の精神に基づき、戦争によって強奪された主権及び自治を回復する権利がある筈である。

歴史に「もし」はない。でも、「もし」を考えると面白い。

もし、戦後の台湾は沖縄と同じように米軍の占領下に扱われ、同じような住民投票が行われたらどうなったでしょうか?まず、蒋介石は行き場を失い、中国で消滅されてしまったに違いない。台湾人は共産中国も選ばず、台湾を空爆し、占領したアメリカも選ばず、独立建国を選んだに違いないと思う。そうすると1972年に占領軍は相変わらず尖閣諸島を沖縄県の一部として扱うかどうかが面白い。

もし、1968年琉球の行方を決める琉球行政主席選挙に、琉球の独立を訴える野底武彦が当選し、琉球国が独立した場合、いくつかの判断がありえた。
占領軍は尖閣諸島を1)日本国に帰属するか、2)琉球国に帰属するか、3)台湾国に帰属するか、4)中華人民共和国に帰属するか、5)引き続きアメリカが占領管理をするか?  

当然、アメリカは何があっても4)を選ぶはずがない。また、5)にしても尖閣諸島の単独占領管理は物理的に難しい。もし、1)が選ばれたら、台湾国より先に琉球国から猛抗議が飛び出すに違いない。目の前の島が遥か1,800キロも離れた大和政府の物になることは到底納得できない。残った選択肢は2)と3)にしかない。
もし、尖閣諸島を琉球国に帰属することになると、台湾国はどのように抗議することになったか?

1)日本政府は1879年すでに琉球処分を行い、沖縄県を設置したにもかかわらず、1895年1月14日、わざわざ閣議を開き尖閣諸島を領土に編入した。つまり、1895年1月14日以前の尖閣諸島は、琉球王国のちの沖縄県に所属してはいなかったことが自明である。

2)尖閣諸島は沖縄本島(300km)より台湾本島(170km)に近いし、琉球の附属島与那国島( 147km)より台湾の附属島彭佳嶼(140km)に近い。

3)郭汝霖の「上奏文(石泉山房文集)」(1562年)に「琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼と名づけられる。」と記した。赤嶼(大正島、赤尾嶼)が界地である以上、大正島より西にある魚釣島(釣魚台)、久場島(黄尾嶼)、南小島、北小島、沖北岩、沖南岩、飛瀬(飛岩)は地勢的に台湾に属すべしである。

4)日本は1895年1月14日、尖閣諸島を領土に編入し、同年5月29日台湾に出兵し、台湾を占領した。台湾住民、特に一度も中国の統治を受けたことなく、台湾の50%強の面積を支配する山岳地域先住民族は告知されたこともなければ、異議する機会も与えられなかった。

 このような抗議を受けたアメリカは果たして尖閣諸島の帰属を琉球国にするか?台湾国にするか?

つまり、歴史的にも、地勢的にも尖閣諸島との関係について台湾は琉球より近いこと、1895年日本政府が立て続いて尖閣諸島を沖縄県に編入したり、台湾を軍事占領したりしたことより考えると、戦後同じアメリカの占領下から独立した台湾国と琉球国は、尖閣諸島の帰属について、互角の立場であると考えられる。

もし、戦後に独立した台湾国と琉球国が尖閣諸島の帰属について、互角の立場であれば、独立を選んだ台湾国と本土復帰を選んだ琉球とも互角であったはずだ。

もし、戦後同じアメリカの占領下から独立した台湾国と本土復帰を選んだ琉球が尖閣諸島の帰属について、互角の立場であれば、戦後蒋介石亡命政権の占領下から独立した台湾国と米軍占領下本土復帰を選んだ琉球とはやはり互角でなければおかしい。

つまり1895年5月25日に成立した台湾民主国は同年5月25日から日本の攻撃を受け、それに屈服したため、同年1月14日に発生した日本の尖閣諸島占領に対して異議を唱えることが出来なかった。台湾民主国にとって、日本の尖閣諸島占領は決して和平かつ継続的な國家権力の行使とは言い難い。また、日本が敗戦、降伏後の1945年10月15日より、台湾は連合国マッカーサー将軍が派遣した中華民国軍により再占領されたため、住民自決による国家樹立も出来なければ、米国主導による日本の尖閣諸島領有に対しても異議を唱えなかった。よって、台湾国が成立し、台湾国が日本国と尖閣諸島の領有権について、交渉が出来るまで、両国間の「紛争」は持続していると考える。「決定的期日」(critical date)も同様に先送りにすべきと考える。

要するに、明王朝、清王朝や中華民国の後継政権ではなく、サンフランシスコ平和条約、大西洋憲章の精神に基づき、台湾先住民族の歴史に基づいて立国した台湾国であれば、自由民主主義で第一列島線を守る台湾国であれば、尖閣諸島帰属問題に関して、国際司法裁判所への提訴も、日、米政府と議論する余地も十分あると考えられる。頑張れ!台湾。


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