【寄稿】日本は尖閣問題について早急に台湾と對話すべし(五)

【寄稿】日本は尖閣問題について早急に台湾と對話すべし(五)    

       柳原 憲一(医師・平埔族文化研究家)

琉球における米軍の占領政治

 ここで、戦後琉球における占領政治について、検討してみたいと思う。

 戦後、本家本元のサンフランシスコ講和条約による琉球諸島の信託統治は実行されなかった。代わりに、1945年4月1日から琉球列島米国軍政府、1950年12月15日から琉球列島米国民政府による占領政治(施政権)が実行された。1968年11月10日琉球政府行政主席選挙を経て、1972年5月15日「沖縄返還協定」により施政権を日本に返還した。 つまり、1945年4月1日から1972年5月14日まで、絶え間なく琉球列島に君臨したのは米軍による占領政治であり、国連による信託統治制度ではなかった。国連による信託統治制度が実行されていない以上、サンフランシスコ講和条約による日本国から琉球諸島の主権を剥奪することも実行されていない筈である。これがいわゆる米国が主張する日本は琉球諸島における残存主權(residual sovereignty)を有する根拠である。琉球諸島の主権が剥奪されたことがない以上、尖閣諸島の主権だけが剥奪された訳はない。

 では、なぜ米国はサンフランシスコ講和条約が定めた信託統治制度を無視したか?また、なぜそれが出来るのか?について考えてみたい。

 まず、冷戦の時代背景があって、米国にとって、琉球における基地の長期、安定使用が不可欠である。既に1945年4月1日から米軍による占領政治が定着した琉球に、もし信託統治制度が実行された場合、当然ながら、その後、住民自決により琉球が独立国家になる可能性や、独立した琉球国が反米路線を採る可能性も視野にいれなければならない。ここで考え出した方策は、条約の第三条に「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。」という文言を付け加えることだけでなく、さらに「このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」という文言まで付け加えた。

 実際のところ、米国は一度も「信託統治制度の下におくこととする」件について、国際連合に対する提案を行わなかった。結局、提案が行われない以上、可決されることもないまま、米国の想いのまま占領政治(施政権)が実行された。

 これがいわゆる日、米が主張する「サンフランシスコ講和条約に基づく戦後処理」の真相である。基地確保のために考え出した「インチキなやり方」と言われても仕方がないが、一応は合法的であった。もし、第二次世界大戦の付随戦勝国である中国が、主要戰勝国である米国と敗戦国である日本が手を組んで仕掛けたこの「インチキなやり方」に異議を唱えたいならば、やはり国連の場で、日、米を控訴すべきではなかろうか?勝手な実力行使は国連憲章に違反するわけであるため、どうしても自力で対決したいならば、まず国連を脱会してはいかがだろうか?


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