「ヴェクトル21」6月号より転載
鈴木上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家
●中国に媚びへつらう朱立倫
台湾の朱立倫国民党主席と中国の習近平国家主席が去る5月4日、北京で会見した。日本のマスコミはこの「会見」を「会談」と報道しているが、中国は「会見であり、会談ではない」と明言している。それは日本でもしばしば使われる「会ってはやるが、話し合いはしない」という、高圧的な態度で相手に心理的圧力をかける中国外交の常套手段だ。
対する朱立倫と言えば、習近平の「三中一青」という対台湾工作指針に合わせて、訪中の一行を構成させた。「三中」とは中小企業、中流階級、中南部住民を、「一青」とは青年を意味し、この「三中一青」は、民進党の支持基盤でもある。中国共産党にとって台湾の大企業はすでに籠の中の鳥も同然で、次なる対台湾工作を今まで対象外であった「三中一青」に焦点を当てた。習近平にとって「三中一青」への工作は台湾を併呑する最後の一里塚なのであろう。習近平の台湾政策に合わせて朱立倫は慣例であった財界トップの随行をやめ、「三中一青」で構成させた。自国に領土野心のある相手の歓心を買おうとする朱立倫が軽蔑されるのは自明の理であるが、更におかしいのは、朱立倫一行の中国滞在費用は全部中国が持つことだ。これでは、中国の子分であると自ら宣言するようなもので、愚行以外の何物でもないだろう。
●「両岸同屬一中」とは台湾を中国に併呑させること
それゆえに、5月4日に行われた朱立倫・習近平会見は見るに堪えない惨めなものとなった。習近平は「一つの中国」を前提とする92年コンセンサスを守らないと平和もないと露骨的に台湾を脅した。この習近平の恫喝に対して朱立倫がした事と言えば、反論するどころか「両岸同属一中」(台湾と中国は同じ中国に属する)という中国の「反国家分裂法」で使われた用語で習近平に迎合したのである。これはまるで「私の財産もあなたの財産もあなたの名義である」と言っているに等しい馬鹿げた発言だ。
案の定、朱立倫の「両岸同属一中」発言は台湾で厳しく批判された。それまでフレッシュなイメージを持たれていた朱立倫だが、売国奴のレッテルを貼られた。アメリカのAP通信をはじめとする世界各国のマスコミも「両岸同属一中」発言に、朱立倫の対中スタンスは「eventual reunification」(最終統一)と報道した。この批判に対して朱立倫は、帰国後の記者会見で「同属一中」の「中」とは「中華民国」の意味だったと苦しい言い訳をするのだが、「誰が信じるか」「何故習近平の前で言わないのか」「台湾人を馬鹿にするのか」と非難をエスカレートさせただけであった。あまりの批判から朱立倫はAP通信に抗議し、記事を取り下げるように要求した。だが、朱立倫の抗議に対してAP通信は書き方を変え、より詳しく朱立倫が「最終統一」であるかを説明するようにし、そのスタンスを一層鮮明にした。この抗議は、折角中国で買った習近平の歓心も一瞬にして水泡とさせた。八方美人の朱立倫は結局、八方ふさがりの笑えない結果を招いてしまったのだ。
朱立倫は本来、民主・自由・人権という普遍的価値に言及すべきなのだが、度胸の欠片も無い朱立倫は習近平を前に一言も言えなかった。彼が恐る恐る口にしたことは「求同尊異」(同を求め、異を尊重する)という、異なる制度を尊重しながら同化しようと習近平に懇願しただけである。それさえも習近平は「聚同化異」(同を強化し、異を解消する)と言って朱立倫の懇願を一蹴したのだった。習近平は民主主義制度を尊重するなど毛頭にないのである。
●「台湾の二千三百万人のことはどうでもいいのだ」
朱立倫の軟弱さを示すエピソードはもう一つある。訪問中、「大陸台商協会」(在中国台湾商会)主催のパーティーで、ある女性企業家が「重要なのは国民党と共産党が協力し合うことで、台湾の二千三百万人のことはどうでもいいのだ」とスピーチした。この台湾人をこき下ろすスピーチに対し、朱立倫は何の反論もしなかったのである。興味深いのは、このスピーチの一部始終をある参加者が隠し撮り、民進党の関係者に映像を送ったことだ。中国で商売をしている台湾企業家もこの朱立倫の軟弱な態度を見兼ねていたということだろう。台湾では、このパーティーでの出来事が朱立倫の訪中の焦点となり、この女性企業家の発言に反論しなかった朱立倫は厳しく追究された。弁解のしようもない朱立倫は、この件について何の説明出来ず逃げる一方だった。
今回の訪中で朱立倫は自らの無能さと軟弱さをさらけ出してしまった。尚且つ国民党は所詮、中国共産党の手先であり、台湾を中国に併呑させる尖兵であることを台湾人に認識させた。実際に民進党が行った世論調査では66.7%の台湾人が朱立倫の「両岸同属一中」説に反対するとされ、マスコミも朱立倫批判一色だ。朱立倫の訪中は、昨年の統一地方選挙以来低迷している国民党の支持率を更に下げた。このままの情勢では来年の総統選挙及び国政選挙において、国民党の大敗は必至であろう。国民党党首になった朱立倫の最初の仕事は、どうやら国民党に引導を渡すことのようだ。
●欲しかったのは中国の利権代理
しかし、「政治精算師」というあだ名を持つほどに計算高い朱立倫が、一体何故中国へ行ったのか。表向きの理由は、習近平と会うことで権威づけになるということだが、結果から見れば、習近平との会見は朱立倫にとってプラスになるものは何一つなかった。果たして、これは事前の予想に反したことなのであろうか。卑屈な態度で臨む習近平との会見など、そもそも自分を高められるものではないのだと想像も出来ないほどに朱立倫の想像力は貧困なのであろうか。朱立倫はただ、政治的得点よりも実利をとりたい一心で習近平と会ったのだ。つまり、彼の欲しかったものは己の権威付けなどではなく、連戦と同じような中国利権の代理人という立場なのである。分りやすく言えば、中国と台湾との間の経済ブローカーという立場だ。朱立倫は義理の父、国民党の長老である高育仁の中国利権路線を忠実に守っただけなのである。自分は恐妻家だと習近平の前で告白した朱立倫は、妻の指示通りに台湾を中国に売ったのだった。
それでも朱立倫にはたった一つだけ貢献したことがある。何せ朱立倫こそがこの訪中劇で国民党にとどめを刺し、70年間台湾で悪事の限りを尽くした国民党をこの地球から消してくれるのだ。それはミスターデモクラシーの李登輝元総統でさえも出来なかった偉業なのである。