「ヴェクトル21」7月号より転載
鈴木上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家
6月1日の夜九時過ぎ、大型客船「東方之星」が中国湖北省堅利県の長江で沈没した。自力で脱出した12名を除き、454名の犠牲者を出した痛ましい事故だった。
●不可解な行動様式
この事故には多くの不可思議な点があった。まず、2千2百トンほどの大型客船が本当にあっという間に沈没してしまったのか。船長と船員たちが救命胴衣を装着して逃げる余裕があったのに、何故警報も出さずに逃げたのか。船と運命を共にする責任感が微塵もない点では韓国のセウォル号事件とそっくりだが、岸辺に泳ぎ着いた船長たちが三時間経ってからようやく通報したのはなんとも不可解だ。まさか完全に船が沈没するのを待ってから通報した等と言うことは邪推であって欲しい。
通報を受け、中国政府は4000名の中国人民解放軍を動員して救助に当てた。その一方で岸辺では武装警察が事故現場に駆けつけようとする犠牲者の家族たちを強制的に排除していた。親族や友人の最期の場所を確認したり、献花したりすることは世界中どの国においても至極当然な行為であるが、中国ではそれさえも許されないのである。
中国当局は「安全上の理由」から犠牲者家族を救難活動の見えない場所へ締め出し、数キロ離れた場所でのみ献花の許可をしている。犠牲者家族に救助活動を見られてどのような安全上の問題が生じるのか当局は明らかにしていないが、実際は何もやっていないことを見られて困るということだろう。実際に、中国政府はマスコミを現場から締め出している。それだけではなく、生存者、船会社、旅行会社など関係者たちへの取材をも禁止しているのだ。取材を許されているのは、国営の中央テレビと新華社通信だけであり、他のマスコミはそれらの報道を引用することしかできない状態だ。これほどの前近代的な情報操作は中国ならではである。
●生存者の救出は重要ではない
事故発生の72時間後、逆さまで沈没した船は反転させられ、クレーンで船体を引き揚げられた。空気の残る船底に生存者がいる可能性があるだけに、全く理解しがたい行動である。このことに似た行動を中国政府は2011年に温州で起こった高速鉄道の事故処理中にもおこなった。まだ乗客が生き残っている可能性がある事故車両を土に埋め、翌日になってまた掘り出したのである。しかし、この一見どう見ても合理性のない行動こそが、中国の権力者の思考回路を窺い知る手掛かりになると言えよう。遭難者の救出は手間がかかるため、中国の権力者にとっては船を反転させて船底に残る人間を溺死させたり、事故車両を土に埋めて乗客を窒息させたりして事故処理をさっさと終わらせる事こそが重要なのである。つまり、生きた人間を救出するよりも遺体を搬出する方がはるかに簡単だから、そちらを選んだだけのことなのだった。
●何より怖いのが真実
それにしてもなぜ中国政府はそれほど事故の処理を急ぐのか。答えは実にシンプルなもので、事故があらゆる事実を晒してしまうからだ。ウソで固められた中国共産党の一党独裁統治にとって、何より怖いのが真実そのものである。例えば、2008年に起こった四川大地震では、学校建築のほとんどに鉄筋の入っていないおから工事だということが明らかになった。著名な芸術家の艾未未氏が反体制派の活動家に転身したのもこの無責任なおから工事を知ったからである。分りやすく言えば、事故は中国共産党体制のウソに風穴をあけ、真実の一面を露出させてしまうのである。だから中国当局は自国民に真相を知られることを極度に恐れている。そのため、今回も中国当局は事故発生してからわずか7日にして、事後現場の岸辺で遺族不在の追悼会を開き、遺体の搬出を日中に行わず、わざと日没になってから暗い中で行ったわけだ。
●「美談」で真相を覆い隠す
また、中国当局は報道を厳しく管制する一方、救助活動の「美談」を連日新聞の一面に飾らせ、テレビのトップニュースとして報道している。「美談」とは、軍人たちや現場で指揮を執る当局が如何に不眠不休で身を顧みずに救助に当たっているというものだ。「中国人に生まれて本当に幸せだ」「献身的に救助する兵士たちは格好いい」「兵士はハンサムな美男子ばかりだ」と救助自体には何ら関係がないものばかりで、悲しむべき事故の真相を「美談」で覆い隠す国は中国をおいてほかにない。ではその「美談」の裏に隠された真実とは何なのか。船舶130隻、クレーン船5隻、ヘリコプター5機を出動させ、4000名の軍人を動員し、不眠不休で頑張った結果、一体どれほどの人を沈没した船から救出したのかといえば、結局一人もいなかった。生存者12名の内、7名は自力で岸辺まで泳ぎ、5名は客船から脱出して川で救助されたのだ。不眠不休で救助した結果そのものは、中国政府の無能さの証明となっただけである。
●権力闘争のきっかけになる
事故になった船会社は国営の重慶東方輪船公司で、クルージングの参加者を募集する旅行会社もその傘下にある子会社である。この船自体は自社で建造したもので、その後二回の改造を行い、構造的にはかなり問題があると指摘されているが、なぜか検査をすり抜けている。つまり、運営の問題、検査の問題、監督責任など、政治に絡む問題が山ほどあるのだ。中国の指導者はその情報を握り、自分や仲間に及ぼす恐れがあればそれを握りつぶし、政敵が関与するとなれば激しい一撃を与える武器にすることもできる。中国で事故とは権力闘争のきっかけになり、自分が攻撃されることも有り得るが、敵を攻撃するための武器を手に入れることにもなる。このような事例は中国ではいくらでもある。胡錦濤の側近であった令計画が息子の交通事故をきっかけに展開した権力闘争で失脚したのは周知の通りである。
●自国民が怖い
それにしても、一沈没事故に対してこれほど厳重な言論統制は本当に必要なのだろうか。中国では「維穏」(治安維持)にかかる予算は国防予算を上回っている。それは中国の権力者にとって敵は外国より自国の国民であることを意味したものだ。中国当局が民衆の注意を引く事故に異様なほど神経を尖らせているのは、1989年に起きた天安門事件のきっかけが胡耀邦への追悼会だったのように、いかなる事故や事件でも瞬く間に燎原の火と変化していくほど中国社会には不満が充満しているからだ。言論の自由を許さない中国政府の根底にあるのは、人民に対する極度の恐怖感であろう。だから今回の客船沈没事故の際にも、マスコミ統制、ネット統制など駆使して民衆の発言を押さえ、真相の追求をも許さないのだ。強大に見える中国は、本当はどの国よりも脆い。