【台湾を救った奇跡のダム】台湾人が尊敬する「もう一人の日本人」〜5

【台湾を救った奇跡のダム】台湾人が尊敬する「もう一人の日本人」〜5

『Japan on the Globe−国際派日本人養成講座』より転載

「飲水思源」

台湾の実業家・許文龍は2008年春に二峰シュウを訪れ、丁教授から鳥居信平の功績を詳しく聞いて、胸像の制作を決意した。信平の胸像は3体、制作され、一体は二峰シュウの仕組みや歴史を展示した現地の「水資源文物展示館」に、もう一体が丁教授の務める台湾国立屏東科技大学に、そして残る一体が信平の郷里である静岡県袋井市に寄贈された。

袋井市の原田英之市長は、胸像寄贈の申し出に、「外国の人が昔の日本人の功績を忘れずに称えてくれる。なかなかできることではありません。その心がなによりも嬉しいではありませんか」と受け入れを快諾した。

原田市長は、信平の活動に「報徳運動」が影響しているのでは、と指摘している。

報徳運動とは小田原出身の農学者二宮尊徳の事績を源とし、質素、倹約、至誠の生活によって、農民・農村の救済・改革を実現しようとする教えである。袋井一帯には、昔から報徳思想の普及を目指す「報徳社」が設立され、そこの農民もそれに従った生活を心がけてきた。

その袋井で育った信平は、子どもの頃から、家庭や地域で、報徳思想に親しんできただろう。なによりも農業土木の専門家として30年もの間、灌漑と農地改良に打ち込んできた信平の生き様は、二宮尊徳の人生を髣髴(ほうふつ)とさせる。

台湾の庶民は「飲水思源」という気持ちを持っているという。「水を飲む者は、その源を思う」という意味で、まさしく丁教授のように信平の事績を伝えてくれている人々の思いは、この言葉に現されているのだろう。

同時に、二宮尊徳から報徳社の人々を経て信平を生み出した歴史の流れにおいても、われわれは「飲水思源」の思いを忘れてはならないだろう。現在の我々を支えてくれている歴史伝統の恩恵を受けている我々は、その源を思わねばならない。それが明日の日本を作ろうという志につながるはずだ。

文責:伊勢雅臣

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