【台湾の心】無礼に報ゆるに寛容を以てす

【台湾の心】無礼に報ゆるに寛容を以てす

産経新聞2012年4月21日

            産経論説委員・鳥海美朗 

 東京都渋谷区の全労災ホールで18日から、東日本大震災の被災地をボランティアの視点でとらえた写真展「心でつながろう」が開かれた(21日まで)。企画したのは台湾に本部を置き、国連経済社会理事会の特別協議資格をもつNGO(非政府組織)「台湾仏教慈済慈善事業基金会」だ。

 主催者側の気持ちが凝縮された作品を見つけた。岩手県大槌町で中年男性のボランティアが高齢の女性被災者に見舞金を手渡しているスナップ写真。頭を下げて受け取る被災者よりも、渡す側の方が頭を一層低く下げている。

 若手ボランティアの陳量達さんが説明した。

 「心を込めてお渡しすれば、自然に頭が下がります」

 ◆台湾の「心」

 台湾の被災地支援はめざましかった。大震災発生翌日の昨年3月12日、馬英九総統は2億8千万円の緊急援助金と救援隊の派遣をいち早く発表し、夫人とともに日本への義援金を呼びかけた。草の根の義援金は増え続け、これまでに250億円を超えたという。

 日本とは外交関係がない、人口2300万ほどの台湾から、日本の外務省が集計できた義援金(93の国・地域・国際機関から総計175億円余り)をはるかに上回る志が寄せられた事実は重い。

 1966年創設の慈済基金会は仏教精神を柱とするが、入会に人種や宗教、国籍を問わない。日米など30以上の国・地域に支部をもつ。中国・四川大地震(2008年)やハイチ大地震(10年)などにも救援隊を派遣した。

 東日本大震災では「政府や自治体の救援の手が回らない地域に行こう」と決め、のべ4千人以上が毛布などの物資の持ち込みや炊き出しに奔走した。

 見舞金は住宅半壊以上の被災者を対象とした。1人世帯は3万円、2、3人は5万円、4人以上は7万円とし、岩手、宮城、福島3県の25市町村で計10万世帯に直接手渡した。総額50億円である。

 ◆花束一つで揺るがない

 台湾側のこのような活動を知ってか知らずか、日本政府は道義にもとる失態を演じた。3月11日に東京で行われた政府主催の大震災一周年追悼式典で、外務省は台湾の在日大使館に相当する台北駐日経済文化代表処から出席した羅坤燦(ら・こんさん)副代表を1階の来賓席ではなく、企業関係者らがいた一般席に案内した。しかも、国名などを読み上げる「指名献花」の対象からもはずした。

 この問題は参院予算委で取り上げられ、野田佳彦首相は「心からおわびしたい」と全面謝罪したが、経緯からみて、政府には台湾とは国交がないことに基づく杓子(しゃくし)定規な判断があったとしか思えない。同じ日付の台湾主要4紙の1面に、日本の対台湾交流窓口である交流協会が支援への感謝広告を掲載したのに台無しである。

 対照的に、台湾側の対応は冷静だった。

 翌日、交流協会台北事務所が開いた追悼・復興レセプションに出席した馬総統は「被災地の観光促進のため」として、福島第1原発の半径30キロと計画的避難区域を除く福島県への渡航警戒警報の解除を発表した。立法院本会議でも楊進添外交部長(外相)が「(日台)関係は花束一つで揺らぎはしない」と答弁している。

 日本側の接遇に苦情を申し立てるよりもはるかに効果的に、台湾は存在感を示したのである。

 日本駐在が計16年に及ぶ羅副代表は淡々と語る。

 「私が多くの日本人の友人に恵まれているように、台日間では個人レベルでの確固とした友情が積み上げられている」

 ◆広がる親日感情

 それにしても台湾の人々の日本への思いやりは、なぜこれほどにあついのか。

 見舞金を寄せた多くの人々が口にするのは、台湾中部大地震(99年)や台風豪雨被害(09年)で日本から受けた迅速な支援への「恩返し」である。日本統治時代(1895〜1945年)に教育を受けた、いわゆる日本語世代の親日派には、この「恩に報いる」意識が濃厚だ。

 だが、今回見舞金を寄せた人々の年齢層はまちまちで、反日意識が強かった時代を経験した中高年世代や、総統の直接選挙が始まった96年の民主化以降に成長した若者世代も含まれる。世代を超えた親日感情の広がりがうれしい。

 追悼式典をめぐって台湾が見せた「外交」は、老子風に「無礼に報ゆるに寛容を以(もっ)てす」とでも要約できよう。

 現実の国際政治状況ではまれな、こういう隣人関係は大切にせねばなるまい。平野達男復興担当相が写真展に顔を見せたのは賢明だった。ちなみに今年は日台断交40年の節目にあたる。(とりうみ よしろう)