傳田 晴久
◆はじめに
蔡英文新政権が具体的に発足するのは5月20日、もう間近です。議会は2月1日から新しい会期が
始まっており、すでに色々な新しい動きが出ているようです。
それを象徴する言葉が、今回のタイトルの「転型正義」です。今回はこの「転型正義」について
お伝えいたします。
◆「転型正義」とは?
この「転型正義」をどのように訳そうか、手元の中日辞典では「転型」は1)(製品の)モデル
チェンジをする。2)(社会の構造や政治制度・生活スタイルなどが)変化するとありますが、
「転型正義」をどのように訳してよいかよく分かりませんでした。
そこへ突然「AC通信」という論説が飛び込んできました。タイトルもそのものヅバリ「転型正
義」です。この「AC通信」というのは、米国のロス在住のAndy Changという方が月に2、3回の
ペースで、台湾、米国、台米、台日関係などに関する日文の論説を配信してくださるものです。
アンディチャンさんは「『転型正義』の言語はRuti G. Teitel氏の創造語でTransitional
Justice、日本語では正義への変遷と言うのだろう」とし、「非民主的国家の政権が民主政権にと
り替わられたあと、過去に起きた非民主的な一切を清算して正義を取り戻すことである」と解説し
ておられます。
一方、インターネットで「転型正義」に関する情報を探していましたら、ワイズニュースに「転
型正義の方向性」と言う記事が目に留まりました。転型正義はやはりTransitional Justiceの中国
語訳で、「移行期の正義」という日本語を当てていました。
Transitional Justiceを調べてみますと、この言葉は「人権侵害救済裁判」に関わる言葉のよう
です。民主政権が樹立されたとき、独裁政権下で発生した人権侵害を告発、真相究明、補償するた
めの訴訟、裁判を意味します。
◆総統選挙後の動き
総統選挙後、新しい動きを予感させる、気になる記事をスクラップから抽出しますと・・・
・1月19日:「新政府への提言」として林佳龍台中市長が立法院を台中に、頼清徳台南市長が総統
府を台南へ移すことを提案。
・2月21日:民進党の高志鵬立法委員が「国父(孫文)の遺影の廃棄」を主張。
・2月22日:台南で「313湯徳章記念日」の請願。湯徳章は228の犠牲者で台湾民族英雄とされてい
ます。
・2月23日:「転型正義の実行」として立法委員が「紅十字会(日本の赤十字社に相当)法の廃
止」を提唱。
・2月24日:台北市は「軍公教」に対する優待入場を取りやめると報道。「軍公教」とは軍人、公
務員、教員の事で各種の優遇措置が取られています。
・3月29日:民進党は「転型正義促進条例草案」を提出。
これらの記事はほんの一部でしょうが、何か変化を感じさせます。
◆何をやろうとしているのか?
民進党が提出した「転型正義促進条例草案」は4つの項目からなっていますが、「AC通信」は
次のようにまとめています。
(1)政治問題。暴虐政治の事実、資料、ファイルの保存と調査。
(2)権力の象徴、銅像や公園、記念館など権力シンボルの除去。
(3)司法問題。違法裁判、事件における歴史真相の調査と解明。
(4)国民党の違法所得財産の調査、処理と返還。
第1の原文は「開放政治档案」となっていますが、この「档案」は手元の中日辞典によれば、
「(所属する職場・機関・団体の人事部門が保管する)個人の身上調書、行状記録。記載される事
項は姓名・性別・生年月日・民族・学歴。結婚・本籍・現住所などの一般的な経歴にとどまら
ず、“家庭出身”(出身階級)、“本人成分”(本人の所属階級)、“政治面目”(所属政
党)、“社会関係”(非直系親族や友人との関係)、“海外関係”(海外華僑や外国人との関係)
など細部にわたる。
中学入学時から記録され始め、以後、一生ついて回り、入試・就職・転勤・昇進・留学などに際
して重要な役割を果たす。“人事処”(人事部)などの人事担当部門に厳重に保管され、本人は見
る事がない」と説明されています。
台湾にもこのようなものがあるのか否か、私には分かりませんが、政治に関するこのようなファ
イルがあったとして、それを調査し、オープンにするとなると、恐ろしい事が想定されます。西尾
幹二氏の著作「全体主義の呪い」を思い出します。
ベルリンの壁が崩壊した後、東独でその「档案」が保管されている建物が発見され、当事者(被
害者)が目にすることとなり、多くの悲劇が明らかになったと言うことです。
保管建屋は膨大なものであり、ファイルを積み上げると数10キロに及ぶそうで、その中には中学
生ころからの記録が書かれていることが分かりました。また、ある婦人議員を密告していたのが夫
であることが分かったとか。全体主義の恐怖がまざまざと・・・・・。
第2の権力のシンボル除去に関しては、蒋介石の銅像の撤去は大分進んでいるようですし、今度
は国父孫文の掲額を廃するようです。なぜ孫文が国父なのか、議論が湧きあがっています。
成功大学の前の通りに「凱旋門」もどきの建造物があり、それが交通の邪魔をしておりますの
で、撤去すべきと思いますが、その建造物に「蒋中正」の文字があるために撤去できないそうで
す。
第3の司法問題も明らかにすべき問題が多々あると思われます。違法裁判、冤罪、裁判への権力
の介入、超法規処置など、疑われる案件が多々あります。中でも陳水扁元総統に対する冤罪の解明
が期待されています。
第4の国民党の違法所得財産の調査、処理と返還問題について、その違法所得財産管理のいい加
減さは次の通りだそうです。
李登輝総統時代の国民党資産は900億元、馬英九総統が引き継いだ総額は700億元、馬英九が党主
席を朱立倫に引き渡した際には350億元に激減していたと言います。そして今回、朱立倫の発表で
は166億元になっている。アンディチャンさんは「国民党の資産とは蒋介石が終戦後に台湾を接収
した際に、日本政府の資産を国民党の資産として着服したものである。すべて日本政府が台湾に残
したものだから国民党の資産ではなく台湾政府の資産であり、詳しく調査して政府に返還しなけれ
ばならない」と述べています。
◆「転型正義」の本質
新しい政権が為そうとしている「転型正義」の内容、すなわち「転型正義促進条例草案」に列挙
されている事項は正に“Transitional Justice”の対象と考えられます。
新政権は非常に注意深く言葉を選んでいると言います。千載一遇の機会を物にしたわけですか
ら、この機会を絶対に生かさねばならず、まかり間違っても前の政権に戻してはならないのであっ
て、揚げ足を取られたり、つまらぬスキャンダルで体制を崩してはなりません。
Transitional JusticeのJusticeを「正義」と訳すのか、司法、裁判、法の裁きと訳すのか。
ひょっとすると意図的に「正義」と訳したのかもしれない。多くの人々は「正義」を否定すること
はできません。
前政権も「正義」の名のもとに事を構え、事をなしたのです。「転型」の意味に「モデルチェン
ジをする」というのがありますが、「正義」には「人の道にかなう」と言う意味の他に「正しい解
釈」と言う意味もあります。
新しい政権が目指す「転型正義」は、従来の特定の政党が唱え続けてきた「正義」を、本来の民
主、人権、法の支配を前提とした「正義」にモデルチェンジすることではないでしょうか。
◆おわりに
改めて知ったことですが、「転型正義」という言葉は、2014年の孫文銅像引き下ろし事件当時に
使われていました。
新政権では、「転型正義」は4つの委員会を設けて推進するようですが、「AC通信」も心配し
ているように、これらの調査には膨大な時間と人材を必要とし、蔡英文政権の任期は4年。国民党
が素直に資料を提供するとも考えにくいので、大変な難事業となりましょうが、これはやり遂げな
ければなりません。何としても必要なことは国民の熱い支持であろうと思います。