メルマガ「はるかなり台湾」より転載
今回から何回かに分けて「日本と台湾の懸け橋になっている人」を紹介したいと想っています。まず、トップバッターと
して、3年前に『光を恋ひて』を上梓された三宅教子さんを紹介したいと思います。
今から15年前ほどになるでしょうか。台北の日本語グループ「友愛会」の月例会に参加した時に素敵な声で朗読を担当し
ていたのが三宅さんです。その時に彼女が「台湾中央放送局」で日本語放送をしているアナウンサーだと知りました。
それから縁あって三宅さんの担当する「フォルモサ便り」という番組に2回も参加させていただきました。この番組には、
日本語族と言われているいわゆる戦前日本教育を受けた人たちの、生の声を聞きながら大変貴重な話を伺うことが出来て、
よく番組を楽しみにして聞かせて頂きました。その後三宅さんは台湾歌壇の事務局長として、毎月の例会の準備や会誌の
編集や入力作業や発送業務までと多岐にわたって仕事をこなしています。
毎回のように会誌を送ってもらっておりますが、ある日三宅さんから「光を恋ひて」の本が送られてきました。封を切って
開けてみると、淡黄色の和紙に「光を恋ひて」の題と一株の蘭の絵がとても調和して、風雅な表紙になっていました、
目次を見ると、三宅さんの作品は年代別に紹介されていて、1977年から2012年までの35年にわたる歳月の「思い」がすべて
短歌になって現されており、第一ページを開くと、蔡焜燦代表の序文が飛び込んできました。
≪台湾歌壇の重鎮、台湾歌壇の事務局長としてここ数年来歌壇を支えてきた黄教子(本名三宅教子)さんが歌集を出版する
に当り序文を依頼された。
二つ返事で引き受けたが、さて歌歴の先輩であり、和歌を愛する典型的な家庭に育てられ、幼少の頃には朝、明治天皇
御製を朗詠した後に朝食に入る、且つ平成十一年の「宮中歌会始」の御題「時」に詠進され、入選(十人)こそ果たせな
かったが、佳作十五人の一人に選ばれた方の歌集の序文をどうしたものかと、約一ヶ月迷い乍らやっと筆を取り上げた。
因みに三宅さんの詠進された作品は、
「楽しかる 集ひの時の 疾く過ぎて なべては夢の ごときたそがれ」である。
三宅さんから送ってきた歌集の草稿「光を恋ひて」の詠草を読むほどに「流石!」と感嘆するばかりである。年代毎に
作品をまとめているので、その時代の事を思い浮べ乍ら読んで行くと、人を愛し、自然を愛し、美を愛し、祖国日本を
愛し、夫君及び子供達の祖国台湾を愛し、そして光を恋しながら調べの美しい作品が続いている。
あえて取り上げなくても、読者諸氏がこの珠玉をちりばめたような作品を吟味鑑賞されたほうが三宅さんの作品のよさ
が更に身に沁みるであろう。作品の中で、特に私の心を打った一首を書き添えて序文と致す。
わが胸を 打ちてしめらふ 春の雨 せつなきほどに 桜を見たし
台湾歌壇代表 蔡焜燦≫
三宅さんの歌集のあとがきに書かれている文章を読んで、ぼくは目頭が熱くなりました。
≪祖国を離れて「あなたは日本人ですか?」と問われて、「はい、私は日本人です」と答えているうちに、自分に
「日本人です」と言える何があるというだろうかと、それはそれは心細い思いにとらわれてしまいました。(中略)
台湾の日本語世代の方々と一つの時代共にすることができ、どれだけ多くのことを教えていただいているかを
思うと、感謝でいっぱいです。台湾歌壇の皆様と共に短歌を研鑽し合うことのできる環境に生かしていただいている
ことを神様に感謝しつつ、台湾に日本の伝統的な短歌がこれからも生き続けられるように心より願っております。≫
短歌を通して日台間の懸け橋として、また台湾の日本語世代と日台双方の若い人たちの懸け橋としての役割を果たして
いる三宅さんに感謝したく、本日のメルマガで取り上げた次第です。
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