【はるかなり台湾】「学道即愛人」(道を学べば即ち人を愛す)

【はるかなり台湾】「学道即愛人」(道を学べば即ち人を愛す)

メルマガ「はるかなり台湾」より転載

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去年出版した『日台の架け橋』がきっかけとなって書道家の渡辺光章さんと知り合い、年内に出版予定の本

『台湾〜我が故郷』の題字を毛筆で書いていただき、大変喜んでいます。
渡辺さんは三越デパートを退職後趣味の書道を生かし書道家として退職後の人生を過ごしておられます。

「芸は身を助ける」との格言通りに充実した人生を過ごしていてうらやましい限りです。
本日はそんな渡辺さんの台湾での第二の人生を紹介したいと思います。

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「学道即愛人」(道を学べば即ち人を愛す)
                                                   渡辺光章

1開店準備

平成三年(1991年)二月初めて来台。当時の(株)三越本店より新光三越百貨開店準備室勤務に異動、当時

四十九歳でした。十月の開店を目指し最後の開店準備室スタッフとして赴任しました。
既に準備室には副董事長、‘総経理、副総経理他十二人の日本人スタッフが各担当に配置され活躍していました。

私の管理部門(商品管理、物流、総務、会計等)は全く手が付いておらず、大忙しのスタートになりました。

三月〜六月の四カ月は出張ベースで二十日間台湾、十日間日本と言う勤務の上、専任通訳がおらず、気は焦れど
成果は上がらず本当に間に合うか大変心配でした。
七月ようやく駐在員の辞令が出てホテル住まいからマンションに移り生活面も落ち着き、また現地の日本語が
できる新入社員二名を含め十人ほど私の部門に入社し、ようやく仕事も軌道に乗り急ピッチで作業が進められました。
日系百貨店先発のSOGOへ見学に行き現地の商品管理方法や物流システムを参考にし、日本での経験を生かして夜
遅くまで作業を行ったことも度々ありました。
そして十月半ばに何とか間に合わせ無事開店を迎えた時には熱いものが込み上げ涙が出ました。

その後毎年のように台湾各地に新店舗を開店し、仕事も日本時代より何倍も面白くやりがいもあったので六十一歳
まで新光三越にお世話になりました。長い三越生活の中で最も充実した十二年でした。

2書道家として再スタート

退職後は趣味でやっていた書道(三十四歳より開始)を生かし書道家として第二の人生をスタートさせました。
(退職前の六年程社内に書道部を設立、ボランティアで指導していた)長い経験があるとはいえ書道の本場で
台湾人に書道を指導するということは恐れ多いことで少し怯んだが、共に学んでいけばよいと気持ちを切り替え、
また台湾書法とは違う日本で学んだ格調高い書海社の書風を指導して広めて行きたいと願い開始しました。

 書道部の弟子をそのまま引き継ぎ始めたので比較的順調にスタートしました。書道部の時休みがちの弟子も
月謝を払うと真面目に出席し腕もメキメキ向上していったのは意外な好結果でした。

 弟子も次第に増え天母にも教室を作り、日本の奥様と子供達にも書の楽しさや素晴らしさを知って頂きたく
教え始めました。皆熱心に書を習い日本の競書誌にも出品し大人も子供も四段を筆頭に有段者も多数生まれました。

 しかし私にとって非常に残念なのは大半のお弟子さんは三年ぐらいで帰国されるため、折角うまくなって来た頃、
「今度日本へ戻ることになりました」という挨拶を聞くたび、ああもう少し指導できれば—-という気持ちで一杯
でした。日本へ戻っても出来れば書道を続けてほしいと願うばかりです。
台湾人の弟子たちは始めると長く続ける人が多く、現在入門以来十七年目で師範位を授与された人を頭に九段三人、
八段一人、七段二人を含め十六人の有段者を数えるまでになり、また台湾の書道団体にも加入、毎年何度か国父記念
館等で聯合展にも参加しています。

 私が最もうれしく自慢なことは弟子たちがほとんど美麗な女性である事です。他の先生方からいつも羨ましがられます。
(冗談で面接をやってから弟子をとるのかとよく言われます)
私の台湾生活二十二年の中で個展を三回、師生聯展を三回開催できましたが、これも偏に台湾の方々の絶大なるご支援、
ご協力、ご指導があったからこそと深く感謝しております。
七十歳が真近になった時、私も世の中の為、今何か自分ができることがないかと考えた時、ボランティアで日本人学校の
子供たちに書を教えることを思いつき、保護者の方と相談し学校の課外活動に書道部を設立してもらい。二年ほど前から
教え始めました。お陰様で人気もあり現在二十二名の部員に書の楽しさ、大切さを教えています。
また昨年日本人会婦人部サークルに書道が復活、その講師にもお招き頂きこちらも楽しくやっております。

 展覧会や教室意外のことで少し触れさせて頂きますと、二年半程前台湾の霧社事件(一九三〇年の抗日事件)を扱った
映画で「セデックパレ」という映画の撮影が行われました。林口に日本人が住む霧社街のセットが作られ、警察、学校、
郵便局、旅館、商店、医院等種々看板や映画で使われる毛筆書きのほとんどを揮亳しました。林口のセットへ五日間出張
し、冬の寒い中、震えながら書いたのを思い出します。

3カラオケで日台交流

もうひとつの趣味はカラオケで歌うことです。これも台湾日本人会カラオケ同好会を友人と設立し今年で七年目になり
ますが、昨年日本人会文化部管轄の同好会として公認され、毎月第三土曜日月例会会を開催、三月と九月は発表会という
形で司会者を立て、ちょっとした歌手気分で十八番の歌を披露して頂いております。

 現在会員は二十二名、内台湾人会員が十名の小グループですが、毎回ゲスト参加も認め、日台交流会を兼ね楽しく開催
しております。台湾の方は日本語がほとんど話せなくても日本の古い歌謡曲、演歌はもちろん最近の歌やポッブスも見事
に歌いこなす人が多くいつも感心させられます。皆さまも一度ご参加ください!お待ちしております。

4 趣味で老後の生きがいを

書道や歌を通じ芸術や文化の交流が図れることがとてもうれしく、生きがいになっております。私は欲張りなのか趣味が多く、
来台以降始めたのが彩墨画と篆刻(石材に氏名や字句を篆書で刻印する)です。これは真似ごとで恥ずかしい作品ばかりです
が、大変楽しく、うまく出来た時の達成感は格別です。

 その他体力の低下を出来るだけ防ぐ為、運動を心がけています。中でも自転車は格好から入ったため、自転車や服装に凝り
頭から足先まで統一したスタイルできめています。不思議なもので、これらを身につけると気持ちが引き締まり元気が出ます。
間もなく七十二歳を迎えますが、出来れば自転車で台湾一周ができれば儚い夢を抱いております。

色々書きましたが、最近は一週間のスケジュールがビッシリで多忙ながら全て自分の大好きな事なので、ストレスは全くなく
台湾での生活を満喫しております。


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