【台湾紀行】氷河時代の「生き残り」-タイワントドマツ

「台湾の声」【台湾紀行】氷河時代の「生き残り」-タイワントドマツ
令和3年7月16日
西 豊穣

<プロローグ>
前回の投稿で花と氷河の話しをしたので、もう一回植物と氷河に纏(まつ)わる話しをしたい。今回登場を願う植物は、台湾山岳の風貌の大きな構成要素である、永年勇壮に起立し続ける針葉樹林である。

針葉樹とは学術上は球(毬)果植物門マツ網マツ目に属する植物である。球果とは所謂「松かさ」、「松ぼっくり」の事である。以下、針葉樹の代表であるマツ目下のマツ科とヒノキ科の台湾固有種(台湾では「特有種」)の樹木の話となる。

日本人にとって卑近な針葉樹は、マツ(松)、スギ(杉)、ヒノキ(檜)だと思う。日本で植樹面積が最も広いのはスギとヒノキで、木材需要を反映しているそうだ。一般の日本人が想起するマツとスギに関しては、台湾でも松、杉と表記する。例えば、台湾二葉松、台湾杉という具合に。ところがヒノキとなると少し事情が異なる。「台湾扁柏」(タイワンヒノキ)と表記する。尤(もっと)も、日本人にも馴染みのある阿里山のヒノキは「台湾紅檜」(タイワンベニヒ)と日本表記をそのまま使っている。因みに、日本のマツはマツ科、スギとヒノキはヒノキ科に属する。

前回の投稿「台湾の桃源郷-南湖大山とシャクナゲ」で紹介したように、シャクナゲ、ツツジ等の台湾に於ける中国語表記が日本人を大いに惑わすように、前出の樹木以外の台湾のマツ科、ヒノキ科の樹木の中国語表記も日本人を十分に混乱させる。マツ科の場合「杉」の名の付いた樹木が目立つ。ヒノキ科では「柏」だ。

台湾の植生帯の垂直分布は、標高の低い順から大まかに次の様に区分されている(註1):広葉樹林帯(標高2,000メートル以下)、針広混合林帯(同2,000~2,500メートル)、針葉樹林帯(同2,500~3,600メートル)、高山植生帯(同3,600メートル以上)。タイワンヒノキは針広混合林帯に、ニイタカシャクナゲは高山植生帯に属する。針葉樹林帯は更に具体的な種を以て二つの植生帯に区分されている:タイワンツガ・ニイタカトウヒ帯(標高2,500~3,100メートル)とニイタカトドマツ帯(同3,100~3,600メートル)である。台湾で唯一高山植生帯に生育する針葉樹はニイタカビャクシンだ。「帯」と言う限りはあくまでガイドゾーンであり、各帯の境界線はその高低帯の植生との混合林が形成される。例えば、ニイタカトドマツの生育上限には既にニイタカビャクシンが入り込んでいるという具合である。

ここまで、台湾固有種であるこれらの針葉樹の和名をカタカナ書きしてきたが、日本人が常用している漢字表記では、ツガ=「栂」、トウヒ=「唐檜」、トドマツ=「椴松」、ビャクシン=「柏槇」であることを付記しておく。ここからは、これまでの筆者の体験から記憶に深く残る三種の台湾高山針葉樹林を選び、各々に対する印象を綴ったものだ。

<タイワンツガ:台湾名「台湾鉄杉」、マツ科ツガ属>(写真1)
「鐵杉」と旧字体で書いた方が、台湾山岳中、地理的には南北最も広範に分布しており、樹高50メートル、胸高直径(大人の胸部附近の幹直径、以下幹径)200センチ程まで成長するこの針葉樹に対するイメージに相応しい。台湾鉄杉は幹が延びるに従い頭が垂れて来る傾向があり、且つ傾斜地、岩場での生育を好み、笠状を呈する枝振りを以て独特の景観を創り出しているので、筆者のような素人でも特定が比較的容易だ。冒頭で、針葉樹林は台湾山岳の風貌を構成する重要な要素と書いたが、その大部分を担っているのが台湾鉄杉の群生であるというのが筆者の印象である。筆者は、「鉄」の由来を幹の色合いが鋼色(はがねいろ)をしているからだろうと漠然と想像していたが、実は針葉樹の中で物理的に一番硬いからだそうだ。針葉樹(softwood)は広葉樹(hardwood)に比べ繊維構造上の相異で柔らかい。その中でも台湾鉄杉が最も硬いという意味だ。

台湾最南の三千メートル峰、北大武山(標高3,081メートル、日本時代の「大武山」)に初めて登った時、山頂に繫がる稜線までやっと辿り着き、その稜線が、台湾鉄杉の黒光りする幹と、四方八方に延びる枝から吹き出しているような濃い緑の葉でびっしり覆い尽くされているのには圧倒された。加えて、その稜線には同じ樹木の火災による立ち枯れも起立しており、新旧樹木の対象が鮮烈であった。北大武山一帯は台湾鉄杉の生育南限でもある。

2009年の八八水災(モーラコット台風)以降、北大武山登山口に至る産業道路が崩壊、今はこの旧登山口に至るまで更に3キロ登山道が追加された。お陰で、新登山口から山頂までの登山道総延長は12キロ、落差は2,000メートル近くになってしまった。登山道7キロ、標高約2,100メートル地点にある檜谷山荘で一泊して翌日山頂を目指すのが定番コースだ。詰り、二日目は残り5キロ、落差1,000メートルを稼ぐ必要がある。山頂稜線の標高は既に3,000メートル前後あるので、山荘から稜線までの落差は約900メートル、距離約3.5キロの区間は急登を強いられる。この間、標高2,500メートル附近に大武神木と呼ばれる台湾紅檜の巨木がある。上述の様に、丁度(ちょうど)針広混合林帯と針葉樹林帯との境界となり、以降稜線に至るまで、台湾鉄杉の大木が天を突くように群生しているのだが、山頂稜線上の群生が断然印象的だったのは、苦しい登りのせいなのだろうか。

或いは、山頂まで残り1キロの稜線上にある高砂義勇隊顕彰碑(忠魂碑)と大武山祠(昭和17年、1942年鎮座)の当時60年の風雪に耐え続けた木製鳥居(現在は既に倒壊、樹種判らず)に迎えられ気分が高揚していたのも手伝だったかもしれない。檜谷山荘附近は日本時代、台湾五岳(註2)の登山道開削調査の際、偶々発見された地で、檜山と呼ばれ、大武山祠を建立する為の作業小屋兼宿泊所が前身、その後日本人登山客の為に供され、戦後は取り壊され木材は地元の屏東県泰武郷泰武村(パイワン族クワルス社)の小学校建築に使われたそうだ。

<ニイタカトドマツ:台湾名「台湾冷杉」、マツ科モミ属>(写真2)
ウィキペディア等によると、トドマツの分布は北海道のほぼ全土、千島列島南部、樺太、カムチャッカ半島である。つまり、現在の日本の領土だと北海道のみが生育域であり、本州、四国、九州、南西諸島、沖縄諸島を飛び越え、台湾に生育する摩訶(まか)不思議!氷河時代が終わっても取り残され活き続けている生物という意味で、台湾では「冰河孑遺物」(ひょうが・げついぶつ)という表現を用いる。日本語だと氷河遺物だ。台湾にも氷河遺物としての動植物は少なからず生息・生育しているのだが、台湾冷杉はその代表である。同時に、台湾はトドマツの生育南限ともなる。冷杉の最大規模の純林(同一種樹木の自然森林)は台湾第二の高峰雪山(日本時代の次高山、標高3,886メートル)への登山道沿いで存分に観察できる。台湾鉄杉と異なり真っ直ぐ起立した木立(こだち)になる。又、縦長の球果が直立し、熟する前の段階は鮮やかな濃紺色を呈するのが特徴で、門外漢が台湾冷杉を特定する際の判り易い手掛かりだ。

雪山山頂への定番コースは、武陵国家森林遊楽区内にある登山口から入り、途中、二つの山小屋を経て、最後は嘗て鹿野忠雄が雪山山系で特定した第1号圏谷(カール、台湾では「冰斗」)、台湾最大の圏谷壁を攀(よ)じ登り山頂に至る約11キロ、落差は1,700メートル強。その間、登山口から5キロ地点の東峰(標高3,205メートル、日本時代の次高東山)下方から台湾冷杉の生育域に入り、二つ目の山小屋である三六九山荘を経て、登山道約9キロ地点、圏谷壁下端の標高3,600メートル辺りまで生育している。台湾冷杉の生育帯として最高所である。

三六九山荘後方には、火災により立ち枯れとなった真っ白な台湾冷杉が起立しており、雪山白木林と通称される。その下方のナナカマド(七竈:台湾では「巒大花楸」)の群生が秋になり真っ赤に紅葉すると、その紅白のコントラストは一幅の絵だ。紅葉したナナカマドは日本の高山地帯ではお馴染(なじ)みの秋の風物詩なのだが、同じ風景に台湾で往き当たった時には驚いたものだ。

又、三六九山荘上方登山道約8キロ地点から圏谷最下端までの凡そ2キロの区間は、登山道が台湾冷杉の純林帯の中に開削されており、昼なお暗しという意味で特に「黒森林」と呼ばれている。黒森林は台湾冷杉純林の代名詞である。台湾冷杉の樹高、幹径は通常各々35~40メートル、100センチ近辺で紹介されているが、黒森林の場合、実際どのくらいあるのか、雪覇国家公園管理処委託事業の研究報告(註3)で確認してみた。雪山東峰から主峰に掛けての区域で、台風等で倒壊した台湾冷杉の測定調査結果があり、その中から黒森林のサンプルの最大データを引用すると、樹高25.0メートル、幹径100センチ、樹齢254年となっており台湾冷杉の平均数字として解釈して差し支えないと思う。

<ニイタカビャクシン:台湾名「玉山圓柏」、別名「香青」、マツ科ヒノキ属>(写真3)
玉山圓柏はマツ科ではなくヒノキ科の針葉樹だ。日本でも園芸用植物として通販でも容易に購入ができる程にポピュラーだが、その鉢植えの苗から、或いは公園の植え込みから台湾山岳の最高部に生育している玉山圓柏の姿態は想像が付かない。山の芸術家にして自身が芸術作品という表現が当たっているかもしれない。活きて人間の想像の及ばない枝振りを誇る姿態から、火災に身を焦がした後も艶(あで)やかな木肌を晒(さら)しながら自己主張を止めない玉山圓柏の立ち姿は何時まで眺めていても飽きない。さながら山の美術館の趣がある。

前稿の続きになるが、雪山山頂直下、最後の登りに差し掛かると、背中を銀色に染めた無数の動物が、争いながら山頂を目指しているように錯覚してしまう、火災で丸裸にされた背の低い玉山圓柏の群生に出会う。奇観としか言い様がない。

次に、雪山山頂から西側に少し下ると1号圏谷の背面は長いガレ場(大小様々な岩石の斜面)となっており、通称雪山西稜と呼ばれる山域の入口に当たる。そのガレ場を1時間程降り切った場所に翠池(すいち)と呼ばれる湖沼がある。先のガレ場も翠池も氷河地形である。翠池の標高は約3,300メートル、台湾最高所の湖沼である。翠池の周りは台湾で最大、約90ヘクタールの玉山圓柏の純林であり、中には樹齢が数千年を越えるものもあると謂う。雪山山頂付近の群生は丈が低い低木(台湾では「灌木(かんぼく)」、幹が無い樹木)だが、翠池のものは高木(台湾では「喬木(きょうぼく)」、幹が有る樹木)で真っ直ぐに起立したものが純林を形成している。玉山圓柏は、樹高35メートル、幹径100~300センチという紹介を通常目にするが、これは神木級の古木の数字だろうと思う。林務局委託事業の研究報告(註4)の中に、翠池の玉山圓柏は、平均樹高12メートル、幹径25~60センチの範囲、但し中には180センチに及ぶものありとの記述がある。台湾国家公園の公式サイト(註5)の説明では、玉山圓柏の成長速度は非常に緩慢で、幹径1センチの成長に必要な時間は22.8年だそうだ。つまり、幹径5センチの若木にしか見えない玉山圓柏は、実は樹齢100年を優に越えていることになる。

話しを先に戻すが、前出の雪覇国家公園委託事業研究報告の中で、ニイタカトドマツは、氷河遺物であることが明確に言及してあるので本稿のタイトルにも使った。他の一般向けの台湾サイトでリストアップされている針葉樹の中の氷河遺物は、各サイトで相違はあるが、総合すると本稿で触れた全針葉樹、即ち、タイワンニヨウマツ、タイワンスギ、タイワンヒノキ、タイワンベニヒ、タイワンツガ、ニイタカトウヒ、ニイタカビャクシンも全て台湾特有種であり、且つ氷河遺物であることを付記しておく。

<エピローグ>
特に三種の針葉樹林を選びそれらの印象記を書き並べたが、三つながらにして筆者が受けた強い印象の源は、火災による白木(しろき)との取り合わせという結果になってしまった。眼前に立ち現れる針葉樹林の壮観に対し、そのコントラストは更に大きな視覚的なインパクトが網膜に焼き付けられるからだろうと思う。各々火災の原因が自然発火なのか、人為の失火かは判らないが、後述するように、後者のケースが殆(ほとん)どのはずだ。

今年5月初旬、玉山国家公園内、八通関(はっつうかん)古道西段の大水窟山(だいすいくつさん、標高3,630メートル)南斜面で山火事が発生した(註6)。杜鵑露営地(日本時代の躑躅(つつじ)山駐在所跡)に露営中のハイカーが朝食の準備中にガスコンロを倒し失火させたのが原因である。今年は台湾全土、冬から春に掛けての降水量が極端に少なく乾燥していたのも手伝い、瞬(またた)く間に延焼、12日間に71ヘクタールを焼いて漸(ようや)く鎮火した。この間、消火活動に投入された林務局職員と国軍兵士の延べ人数は910人、ヘリコプターの出動回数は83回にも及んだ。現場は標高3,000メートルを越えた高山地帯であり、幅20メートルの臨時防火帯を開削する労力は非常なものだった。加えて、八通関を越えて八通関山登山口から大水窟登山口の間の古道周辺(日本時代の駐在所跡では、バナイコ、秀姑巒(しゅうこらん)、躑躅山、南の各駐在所の範囲に相当)は、台湾二葉松の分布域で、樹林下は松の落ち葉が30~40センチの厚みで腐葉層を成し、独特の古道景観を創り出している区間である。松は多くの油を含み森林火災の際に燃料に変じてしまう上に、腐葉層に火が入り込み「地下火」が発生すると云う具合で、近年稀(まれ)に見る大規模な森林火災に発展し、二週間連日大きく報道された。

台湾では毎年の森林火災の発生件数は平均20件程度だが、2018年46件、2019年44件、2020年52件、そして今年は上述の玉山大火も含め、5月中旬時点で、既に62件を記録しており明らかに異常だ。理由は、台湾では10~20年周期で出現すると謂われる異常乾燥年に当たった為だ(註7)。

森林火災は、元々自然の摂理として森の生命力を活性化させる為に、人類出現以前から繰り返されて来た。古木の年輪を具(つぶさ)に観察すれば、火災履歴が判るそうだ。人類出現以降、人間は火を使うことを覚え、生活空間を急速に広げるのと反比例し、森との距離を縮めてきた。お陰で、森林火災は猛烈な勢いで増え続け現代に至っているわけである。

実は、玉山大火が発生する前の3月、地理的には玉山のお膝元とも呼べる阿里山でも森林火災が発生したばかりだった。原因は煙草の吸殻である。又、玉山の排雲山荘に次いで登山宿泊客が多いと想定される雪山の三六九山荘一帯では、失火、即ち火の不始末による森林火災を頻繁に繰り返している。最近では2019年2月、それ以前も2014年1月、2008年12月、2001年2月という具合に、5~7年に一度のペースで発生している。気温が氷点下まで下がり、且つ空気が乾燥する冬場に集中しているのだ。

火災に遭遇しても、本来具有する復元力(レジリエンス)により森は驚く程のスピードで恢復する。とは言え、失火により徒(いたずら)に生態系を一時的にせよ破壊してしまう功罪は争いようがなく、加えて、玉山大火の稿中で具体的な数字を並べたように、消火活動に関わる社会的なコストだけでも膨大だ。一旦森に入れば常識人に徹し森を守ることが我々各人の努めである。(終り)

(写真1)北大武山山頂稜線上から山頂を背にし南方向を撮影した、火災による立ち枯れも含んだ台湾鉄杉の群生。2003年4月撮影。
https://taiwan-mountain.up.seesaa.net/image/Voice20of20Taiwan-003.jpg

(写真2)雪山東峰から雪山(主峰)東壁の眺望、写真手前右側の大山塊は甘木林山、その斜面にびっしり張り付いているのが台湾冷杉の純林。雪山山頂は、写真最上段左側、逆三角形状の斜面に真っ白に雪を被った平面の最高点、即ち、雪山圏谷1号の圏谷壁最上段である。尚、甘木林山の東斜面最下段に三六九山荘は設営されており、山荘の名前は甘木林山の旧標高が3,690メートルだった為。2004年1月撮影。
https://taiwan-mountain.up.seesaa.net/image/Voice20of20Taiwan-004.jpg

(写真3)雪山山頂直下の登山道脇、争うように山頂を目指し這い上る火災に丸裸にされた玉山圓柏の群生。写真下段に写る圓柏の中に根本に焼け跡が見えるものがる。又、写真左側には過去の火災を凌ぎ生き残った一群も見える。2014年10月撮影。
https://taiwan-mountain.up.seesaa.net/image/Voice20of20Taiwan-005r.jpg

(註1)玉山国家公園公式サイト(日本語)
https://www.ysnp.gov.tw/Jp/StaticPage/PlantJp

(註2)台湾五岳とは、標高の高い順に:玉山(新高山)、雪山(次高山)、秀姑巒山、南湖大山、北大武山(大武山)。

(註3)雪覇国家公園管理処委託事業『雪山黒森林臺灣冷杉更新與物候調査』(2019年12月、国立中興大学)
https://www.spnp.gov.tw/Upload/ResultReport/20200217170323_%E3%80%8C%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E9%BB%91%E6%A3%AE%E6%9E%97%E8%87%BA%E7%81%A3%E5%86%B7%E6%9D%89%E6%9B%B4%E6%96%B0%E8%88%87%E7%89%A9%E5%80%99%E8%AA%BF%E6%9F%A5%E3%80%8D%E6%88%90%E6%9E%9C%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf

(註4)林務局東勢林区管理処委託事業『雪霸自然保護區翠池地區玉山圓柏天然更新調査』(2008年6月、国立中興大学)
https://conservation.forest.gov.tw/0001155

(註5)台湾国家公園公式サイト 玉山圓柏
https://np.cpami.gov.tw/%E4%BF%9D%E8%82%B2%E8%88%87%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E4%BF%9D%E8%82%B2%E6%88%90%E6%9E%9C/%E7%94%9F%E6%85%8B%E6%AB%A5%E7%AA%97/9293-%E7%8E%89%E5%B1%B1%E5%9C%93%E6%9F%8F.html

(註6)「玉山大火為何花12天才撲滅?火場指揮官賴龍輝細談高難度滅火始末」(06/17/2021、環境資訊中心)
https://hiking.biji.co/index.php?q=news&act=info&id=20277

(註7)「玉山林火燒出的課題:歩上野火新常態、台灣準備好了嗎?/王世宇、柳婉郁」(06/04/2021、環境資訊中心)
https://e-info.org.tw/node/231349


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(写真1)北大武山山頂稜線上から山頂を背にし南方向を撮影した、火災による立ち枯れも含んだ台湾鉄杉の群生。2003年4月撮影。

(写真2)雪山東峰から雪山(主峰)東壁の眺望、写真手前右側の大山塊は甘木林山、その斜面にびっしり張り付いているのが台湾冷杉の純林。雪山山頂は、写真最上段左側、逆三角形状の斜面に真っ白に雪を被った平面の最高点、即ち、雪山圏谷1号の圏谷壁最上段である。尚、甘木林山の東斜面最下段に三六九山荘は設営されており、山荘の名前は甘木林山の旧標高が3,690メートルだった為。2004年1月撮影。

(写真3)雪山山頂直下の登山道脇、争うように山頂を目指し這い上る火災に丸裸にされた玉山圓柏の群生。写真下段に写る圓柏の中に根本に焼け跡が見えるものがる。又、写真左側には過去の火災を凌ぎ生き残った一群も見える。2014年10月撮影。

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