大阪で開かれたG20サミットは、1878年のベルリン会議以来の成功した国際会議となった。ベルリン会議はロシアの地中海進出を阻止する目的で開かれた国際会議であり、英、独、仏、露、伊、トルコ、オーストリアなどが参加した。
主催はドイツの鉄血宰相として知られたビスマルクであり、大英帝国の頂点を極めた名宰相ディズレイリー、英外相ソールズベリー(後に英首相)が参加して英独協調の下で欧州に30年間の平和をもたらした有名な会議である。
G20大阪サミットがベルリン会議に匹敵するのは、当時のロシアの拡大主義に代わって、現在の中国拡大主義に歯止めを掛けるのに成功したからである。G20に先立ってアセアン首脳会議がタイのバンコクで開かれ、インド太平洋構想が採択され中国の南シナ海進出にくさびが撃ち込まれた。
さらに香港で100万人単位の反中デモが起こり、中国は妥協的態度を迫られた。そして大阪での米中会談で、中国は米国製品を買わざるを得なくなり、ファーウェイは事実上、米国の下請けとなり、台湾については米国に苦情すら言えなかった。
G20後、トランプは韓国を訪れ、DMZ(南北非武装地帯)に金正恩を呼び出すという歴史的大パーフォマンスを見せたが、これが単なる見せかけに留まらないのは、朝鮮半島への中国進出に歯止めが掛かったという重大なメッセージを世界に発信しているからだ。
19世紀、ベルリン会議で地中海進出を阻止されたロシアは中央アジアに進出を図り、英国に阻止され(グレートゲーム)、朝鮮半島に進出を図って日本に阻止された(日露戦争)。かくして対外拡張を諦めざるを得なくなったロシアは国内改革に方向転換し1906年、議会を開設し民主化に着手した。
21世紀、中国の北極海航路進出については6月上旬に習近平訪露で、ロシアとの共同開発で合意しており、事実上ロシアにより歯止めが掛かっている。英仏印豪は今回のサミットで自由インド太平洋構想への参加を明確にしており、中国の海洋進出には完全に赤信号が灯った訳である。
こうした四面楚歌の中、中国の取るべき道はかつてのロシア同様、対外拡張を諦め国内改革に着手するより他はあるまい。
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鍛冶俊樹(かじ・としき)軍事ジャーナリスト1957年(昭和32年)、広島県生まれ。埼玉大学教養学部卒業後、1983年4月、航空自衛隊に幹部候補生として入隊。主に情報通信関係の将校として11年間勤務の後、1994年に一等空尉で退職。その後、軍事ジャーナリストとして評論活動を展開。1995年、第1回読売論壇新人賞佳作入選(「日本の安全保障の現在と未来」に対して)。主な著書に『エシュロンと情報戦争』(文春新書、2002年)、『戦争の常識』(文春新書、2005年)、『国防の常識』(角川学芸出版、2012年)、『領土の常識』(角川学芸出版、2013年)など。共著に『総図解 よくわかる第二次世界大戦』(新人物往来社、2011年)『図解大づかみ 第二次世界大戦』(KADOKAWA/中経出版、2015年)など。監修本に『超図解でよくわかる! 現代のミサイル』など。