台湾では台湾独立建国聯盟主催による記念音楽会が開かれ、翌日は台南への墓参が行われ
た。
記念音楽会には、日本から本会の柚原正敬(ゆはら・まさたか)事務局長も現地在住の
早川友久(はやかわ・ともひさ)台北事務所長とともに参加し、黄昭堂先生を偲んだ。
早川所長は翌日の墓参にも参加。音楽会と墓参の模様をブログに関係写真とともにアッ
プしている。下記にご紹介したい。
なお、ちょうど1年を迎えた11月17日、日本では台湾独立建国聯盟日本本部の主催により
「故黄昭堂主席を偲ぶ会」が東京都内で行われた。黄昭堂主席後任の陳南天主席、ご長男
の黄正澄(こう・せいちょう)さんご夫妻、次男の黄(藤堂)正憲さん、三男の黄正嘉も
勢ぞろいし、中津川博郷(なかつがわ・ひろさと)衆議院議員や住田良能(すみだ・なが
よし)産経新聞社相談役など100名ほどが遺徳を偲んだ。
詳しくは追ってご報告したいが、この偲ぶ会に先立って開かれた台湾独立建国聯盟日本
本部の会合の席で、ご長男の黄正澄さんが台湾独立建国聯盟日本本部に加盟、独立建国運
動の一翼を担う宣誓を行った。
黄昭堂主席記念音楽会に出席
【台北事務所ブログ:2012年11月10日】
http://twoffice.exblog.jp/19493736/
昨年の11月17日、急逝された台湾独立建国聯盟の黄昭堂主席を偲ぶ記念音楽会が、台北
市内の「公務人力発展センター」で開かれました。
夜7時30分からの音楽会では、1200席のホールがほぼ満席。ズラリと並んだ来賓の顔ぶれ
もオールスター級の豪華ラインナップ。民進党の蘇貞昌主席をはじめ、陳菊・高雄市長、
蘇嘉全氏、黄昆輝・台湾団結聯盟主席、許世楷大使ご夫妻、蔡焜燦・李登輝民主協会理事
長ご夫妻、黄天麟・元総統府国策顧問ご夫妻、黄昆虎・台湾之友会会長ご夫妻、彭明敏教
授、張炎憲教授らの姿が見えました。
主催の台湾独立建国聯盟を代表し、陳南天主席が挨拶。今もなお、多くの人々から愛さ
れてやまず、慕われ続ける黄主席の急逝を悼み、記念音楽会が開催できることを感謝して
挨拶を結びました。
音楽会では、聯盟のメンバーを中心に結成された台湾雅歌合唱団や、ニューヨークで声
楽を学んだ呉庭和・台独聯盟副主席らも歌声を披露。そのほか、比較的若いメンバーによ
る台湾歌謡を中心とした音楽の調べを楽しみました。
明日は台南へ黄主席の墓参に行って来ます。
黄昭堂主席の墓参で台南へ
【台北事務所ブログ:2012年11月11日】
http://twoffice.exblog.jp/19501817/
昨夜は台北市内の会場で「黄昭堂主席記念音楽会」の夕べ。そして今朝は7時半に集合し
て台南の七股へ黄主席のお墓参りです。
本来なら台南までは新幹線を利用したほうが早くて快適なのですが、嘉義との県境に近
い七股までは、いずれにせよ新幹線嘉義駅からバスを仕立てなくてはならないことや、40
名近い参加者があるということで、台湾独立建国聯盟がバスを用意してくれました。
先日、独立聯盟の王康厚前秘書長から「聯盟がバスを出すけど、一緒に墓参に行きませ
んか」とお誘いいただきました。高座会などのイベント続きでオーバーヒート気味だった
ものの、私の人生を変えたと言っても過言ではない黄主席の墓参ともなれば、不義理をす
ることは「日本人がすたります」。
数年前の日本李登輝学校台湾研修団。当時、台湾で語学留学中だった私は、今後のこと
について選択をしなければいけない時期に来ていました。台湾で引き続き語学を学ぼう
か、本格的に進学をしようか、仕事を探そうか、それとも日本へ帰ろうか。ある人から
は、語学学校はたとえ何年通っても語学学校にしかすぎない、とアドバイスされ、それで
はどうしようか、と。
そんな頃に参加した李登輝学校の講義中、黄主席は突然私の名を呼び「台湾の国際法上
の地位っていうのは、これまでの世界のどこにもなかったような状況なんだ。あんた、こ
れからこのことを研究して論文書いたら面白いのが書けるよ」と言われたのです。そのひ
とことで即断即決、私は台湾で進学し、本格的に勉強することを決めたのです。
それから数年、最初の頃の専門とは多少変わったものの、あのときの黄主席のひとこと
がなければ、私はもしかしたら違う選択をしていたかもしれません。そういう意味で、黄
主席のひとことは私の人生を「変えた」ともいえるでしょう。もっとも、後になって黄主
席にそのことを話したら「あん?私、あんたにそんなこと言ったの?」と言われ大コケ。
とはいえ、独立聯盟のリーダーとして30年以上、有象無象を見抜きながら生きてきた黄主
席一流の「おとぼけ」だと私は思っていますが。
黄昭堂主席の命日は昨年の11月17日、金美齢先生の夫君、周英明先生の命日は11月9日、
今年でもう七回忌。お二人とも偶然にも同じ霜月に旅立たれました。
台南までは台北からバスで4時間弱。早朝に出発したこともあり、高速道路はなかなか快
適です。一眠りして目が覚めると、車窓からはギンギラギンの陽が差していて暑いほど。
気温はなんと32度!外の景色は強い日差しにビンロウの木が揺れる、まさに台湾南部のそ
れです。
途中、嘉義駅で新幹線組や高雄から参加組を拾い、七股の市街地で昼食。台南の海側に
近いため、海鮮が名物とのこと。厚切りの刺身や、台北では見たこともない「サバヒー
(虱目魚)の胃袋」を堪能。
昼食後は、川面に釣り糸を垂らしたり、子供たちが水遊びをする光景を横目に田んぼを
突っ切って「七股納骨堂」へ。実は私自身、お墓があると勘違いしていましたが、納骨堂
に奥様のお骨とともに納められているとのこと。青空に瓦屋根が映える立派な建物が見え
てきました。地元の独立聯盟メンバーの皆さんもお待ちかねです。
今回の慰霊祭には、日本からも黄主席のご長男である黄正澄さんと奥様の淳子さん、三
男の黄正嘉さんも日本から出席。昨夜の音楽会の際にも登壇されて皆さんに挨拶されまし
た。
嘉義から合流した陳南天主席や、姚嘉文・元考試院長、詩人の李敏勇氏らが挨拶。晩
年、奥様を失ってからキリスト教の洗礼を受けた黄主席のため、賛美歌を歌い、聖書の一
節を読み、日本語で「千の風になって」を歌いました。
この「千の風になって」の歌詞は、死しても魂は墓の中ではなく、私たちの身近なとこ
ろにいて、私たちを見守ってくれる内容。思春期の頃から「死」というものを哲学的に考
え続けてきたという李登輝元総統が「生と死」を語る際によく引用されるのもこの歌。6年
前に亡くなった周英明先生も、闘病中、見舞いに訪れた教え子たちに「悲しまなくていい
よ、僕は歌にあるように千の風になるんだから」と話し、涙を誘ったそうです。
最後に遺族を代表して長男の正澄さんが挨拶に立たれました。生前、父である黄主席か
ら「お前たちにはなんの財産も残してやれなかった」と言われたそうですが「財産どころ
か、こんなにも父を慕う先輩方や友人の皆さんに囲まれて、父も私たちも本当に幸せもの
です」と話されました。ご長男の正澄さんは笑うと目尻が黄主席にそっくりです。
参列者全員が黄色い菊を献花し、納骨堂のなかで黄主席と奥様にお参り。無事に1年目の
墓参が終わり、遺族の皆さんも聯盟の方々もホッとされたことと思います。
バスでの帰り道、途中まで同乗していただいたのは黄主席の弟さん。こちらもやはり笑
顔が黄主席そっくりです。今般の台南での慰霊祭一切を準備して下さったとか。また、黄
主席が30年以上にわたり台湾を留守にされている間、故郷台南の家を守ってきた方でもあ
ります。
帰り道は日曜日の渋滞に巻き込まれ、新竹あたりからバスは数時間ノロノロ運転。やっ
との思いで台北に着いたのは午後9時すぎ。台南からなんと6時間以上バスに揺られていた
ことになります。ともあれ、無事に墓参を終えてホッとされたご家族を交え、お酒に目の
なかった黄主席に献杯し散会となりました。