1週間ほど前の日本経済新聞に、中村裕・台北支局長による「台湾」の呼称に言及する記事が掲載された。
中村記者は、10月10日の双十国慶節における蔡英文総統が行った演説で「『台湾』という言葉を使ったのは40回以上もあったが、『中華民国』は、わずか6回のみの使用にとどまった。さらに興味深いのは、蔡氏が『台湾』と『中華民国』を合体させ、『中華民国台湾』と表現した回数が3度もあった」と指摘していた。
なぜ蔡総統は「中華民国台湾」と表現したのか、中村記者はその理由を「蔡氏は、中国からの圧力が強まるなか、単に『台湾』とは演説せず、『中華民国台湾』とすることで『中華民国』を愛する国民党支持者や中立派などにも配慮し、広く台湾人の団結を促したとみられる」と指摘している。中国や国民党支持者への配慮だろうという見方だ。
この記事を読んで、東京で10月7日に開かれた双十国慶節における謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表の挨拶を思い出した。当日、オークラ東京の会場に掲げた看板には「慶祝 中華民国(台湾)110年国慶」と記してあり、謝長廷代表は冒頭の挨拶で、なぜ中華民国の後にカッコで台湾と記したかについての説明から話し始めた。
日本と台湾が断交してから来年で50年になるが、教科書にも地図帳にも「中華民国」とは記していない。2020東京オリンピックでも「チャイニーズ・タイペイ」で出場したが、NHKのアナウンサーは「台湾です」と紹介したという事例の紹介に続いて、「中華民国とは台湾です」と述べ、カッコは中華民国とはすなわち台湾のことだという意味だという趣旨の挨拶をした。会場からは拍手が沸き起こった。
恐らく中華民国の建国記念日である双十国慶節において、「中華民国(台湾)」と表記したのは初めてのことだ。この謝長廷代表の「中華民国(台湾)」の説明は、蔡英文総統の演説における「台湾」「中華民国」「中華民国台湾」の使い方を事前に知っていたかのような説明だ。
中村記者が指摘するように、蔡総統は中国や国民党支持者をあまり刺激しないように「中華民国台湾」を使用したのかもしれない。しかし、謝長廷代表の説明を知れば、蔡総統がなぜ頻繁に「台湾」を使用し、「中華民国台湾」と使ったのか、その理由は台湾の存立にかかわる観点からだったのではないかという見方ができるのではないだろうか。
中村記者は触れていないが、蔡総統が「中華民国台湾」を使ったのは今回が初めてではない。総統に再選された2020年1月、英国のBBC放送による単独インタビューの際にも「我々はすでに独立主権国家あり、我々はこの国を中華民国、台湾と呼んでいる」[”We are an independent country already and we call ourselves the Republic of China (Taiwan).”]と述べていた。
BBCの日本語訳では「中華民国、台湾」だが、原文の英語版では「Republic of China (Taiwan)」と台湾をカッコで括っている。つまり「中華民国(台湾)」であり、謝長廷代表が掲示した看板の表記と同じだ。
◆蔡総統、「中国は台湾を尊重すべき」:BBC単独会見(2020年1月15日) https://www.bbc.com/japanese/51115825
中村記者が指摘するように、確かに「中国にとっては今でも『台湾』という響きは、どこか独立イメージがつきまとう」ため「中華民国は台湾という表現よりも、まだ少しは許せるというのが、実際のところ」なのかもしれない。
そうだとすれば、蔡総統が「台湾」を頻繁に使い、「中華民国」が少なかった理由、そして「中華民国台湾」を使った理由もおのずと明らかになるのではないだろうか。
中国は未だに台湾を「一つの中国」だとして自国の領土だと主張し、台湾併呑を至上の命題のごとく唱えている。しかし、蔡総統も謝代表も、中華民国とはすなわち台湾なのだから、そういう中国の身勝手な主張は受け入れられないという意思表示だったと捉えるべきなのではないだろうか。台湾はかつての中華民国ではないことを強調すべく「中華民国台湾」と使ったのではないだろうか。
?介石・蒋経国時代、中華民国を中国として正統化してきた台湾省と福建省という2つの省も、いまや台湾省は廃され、福建省も予算のつかない形ばかり名ばかりの状態となっている。中華民国に省はなくなり、まさに「中華民国すなわち台湾」となっているのが現況だ。
現在の中華民国はかつての中華民国と質的に異なっている。台湾では、?介石・蒋経国時代の「中華民国来台湾」は、李登輝時代に「中華民国在台湾」となり、蔡英文時代になって「中華民国是台湾」となったと評されることがあり、中華民国の質的変遷をうまく表している。
中華民国の国号が台湾に変えられるまでにはまだ時間がかかるだろうが、2017年5月に台湾の対日窓口機関の亜東関係協会の名称は「台湾日本関係協会」と改称され、2019年5月には、台湾の対米窓口機関「北米事務協調委員会」の名称も「台湾米国事務委員会」に改称されている。今年7月にはEU加盟国のリトアニアが、台湾の大使館に相当する代表処の名称に台湾を冠し「台湾駐リトアニア代表処」を開設することに同意している。
日本の「台北駐日経済文化代表処」という名称も、亜東関係協会の名称が「台湾日本関係協会」と改称され、日本台湾交流協会も台湾の事務所名は「日本台湾交流協会台北事務所」と改称したのだから、「台湾日本関係協会東京事務所」や「駐日台湾代表処」と改称されてよい。
中華民国はすでに台湾化している。昨日の本誌でお伝えしたように、欧州議会も「ヨーロッパ連合の台湾における代表機関『欧州経済貿易弁事処』の名称を『駐台湾欧州連合弁事処』に改めるよう提案」するようになっている。
日米をはじめヨーロッパでも「中華民国」ではなく「台湾」の呼称が主流となりつつある。この動きは、中国が台湾に圧力をかければかけるほど加速される。中国の台湾統一に大義名分を与えず、武力などで侵攻してくる「台湾有事」を起こさせないためにも、台湾は中華民国の国号を台湾と改称することを本気で検討し、国際社会もリトアニアや欧州議会のようにバックアップすべきだろう。
最後に、台湾の「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)」への加入の名称は「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税地域」だったが、加入が決まった場合は「略称として『台湾』を使う」という一項を入れておくことを提案したい。
—————————————————————————————–「台湾」の呼称は様々、蔡氏演説にみえる対中強硬姿勢【日本経済新聞:2021年10月19日】https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM12DIN0S1A011C2000000/
世間一般に広く使われる「台湾」という呼び名。だが使い方を間違えると、外交問題にもなりかねない。台湾には「中華民国」といった別名もあり、「台湾」との違い、解釈はやや複雑だ。だが、対立する中国との間で、台湾がどちらの言葉を使ったのかなどに注目すると、中台関係の深い理解にも役立つ。
台湾は今でも、中華民国を正式名称とする。だが、世界の多くは認めておらず、台湾の呼称が浸透している。きっかけは1971年。国連決議で、中国の代表権が台湾を支配する中華民国から、中国(中華人民共和国)に移されたことに始まる。
?介石氏率いる中華民国は国連から追放される形で脱退し、国際社会から「国」の扱いを受けなくなった。そのため、世界各国は中華民国と断交し、中国と国交を結んだ。「中華民国」の名称はそれ以降、国際社会から敬遠され、次第に台頭したのが「台湾」の呼称だった。
日本の統治時代を含め、「台湾」の呼称は、地域名称として古くから使われてきたためだ。97年には「台湾民主化の父」と呼ばれた李登輝・元総統により、「台湾省」という呼び名も事実上廃止され、名称から「省」が取られた。単に「台湾」とすることで国際社会で使われる呼称に合わせたほか、台湾は中国の一つの省ではなく、独立した存在であることを中国に印象づけた。無論、中国は今でも「台湾は中国の『一つの省』である」との見解は崩していない。
だから、中国にとっては今でも「台湾」という響きは、どこか独立イメージがつきまとう。中国と台湾は一つの国に属するという「一つの中国」論を主張する中国には、「中華民国」という国を連想させる呼称も、もちろん納得できない。ただ、省略すれば「中国」とも読める。中国の一部である”台湾省”が中国と名乗っているとすれば一見、問題はない。
そのため、中華民国は台湾という表現よりも、まだ少しは許せるというのが、実際のところだ。さらに中国は、台湾から「中国」と呼ばれることも嫌う。「中国大陸」と呼ばれたいのだ。台湾人から「中国」と呼ばれると、台湾と中国がまるで別の国であるかのような響きが出るためである。
これらが中台間の認識の前提にあるため、言葉を使い分け、相手にメッセージを送るのが通例だ。10月10日、中華民国の建国記念日にあたる「双十節」で、蔡英文(ツァイ・インウェン)総統が行った演説も興味深いものだった。
まず蔡氏は1度たりとも「中国大陸」という言葉を用いず「中国」とだけ使い、中国への配慮を見せなかった。さらに約20分ほどのスピーチの中で、「台湾」という言葉を使ったのは40回以上もあったが、「中華民国」は、わずか6回のみの使用にとどまった。
さらに興味深いのは、蔡氏が「台湾」と「中華民国」を合体させ、「中華民国台湾」と表現した回数が3度もあったこと。これが意味するところは何か。蔡氏率いる独立志向の与党・民主進歩党(民進党)が、敵対する最大野党で親中路線の国民党に送った配慮である。
国民党には中華民国は我々が作った国との自負があり、今でも好んで「中華民国」という言葉を使う。そんな背景から、蔡氏は、中国からの圧力が強まるなか、単に「台湾」とは演説せず、「中華民国台湾」とすることで「中華民国」を愛する国民党支持者や中立派などにも配慮し、広く台湾人の団結を促したとみられる。
蔡氏はこうして、中国には強硬姿勢、野党には融和姿勢というメッセージを送ったのだ。(台北=中村裕)
[日経ヴェリタス2021年10月17日号]
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