羽田で見かけた蒋介石のひ孫  金 美齢(モラロジー道徳教育財団顧問)

昭和大学教授で台湾独立建国聯盟日本本部主席だった故黄昭堂氏や夫の故周英明東京理科大学教授などと一緒に、日本で台湾の独立建国運動に挺身してきた金美齢さんは、今年2月で満90歳を迎えた。

独立運動のレジェンドの覇気は、今でも健在だ。

謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表も登場した産経新聞の「話の肖像画」は、8月1日から金美齢さんが登場している。

第1回目は、今年5月20日の頼清徳総統の就任式に招待された折、羽田空港で見かけた蒋介石のひ孫で台北市長をつとめる蒋萬安の印象から始まった。

総統府前広場で開催された総統就任式典には、日本李登輝友の会からも辻井正房副会長など14名も招待され、ノンフィクション作家の門田隆将氏など日本人が周りに陣取った席だった。

就任演説の演題からはいささか離れていたが、オーロラビジョンも近くにあり、肉眼でも左前方で行われた就任式の模様は見えた。

私どもの席から真正面を見ると、鍔(つば)の広い帽子をかぶり、サングラスをかけた女性が目に入った。

金美齢さんだとすぐに分かった。

それにしても、特等席なのだろうが、就任演説をする演台の真横の並びにある席で、あれでは見えないだろうと思っていた。

案の定、この「話の肖像」の本日の第2回で金美齢さんは「5月の就任式には最前列に招待されたんだけど、柱が邪魔になり、演説する頼清徳の雄姿が見られなかった。

『Aの1番』は特等席だけど端っこなのよ」とボヤいていた。

台湾語研究の第一人者の王育徳氏(明治大学教授)が旧制台南一中(国立台南第一高級中学)時代の教え子の黄昭堂氏らと1960年2月28日に日本ではじめた台湾独立運動に、金美齢さんはどのように関わっていくのかをはじめ、家族同様にお付き合いしていた安倍晋三首相とのご縁や、いまの台湾をどう見ているのかなど興味は尽きない。

連載は8月31日まで1ヵ月。

長丁場ではあるが、暑い夏を乗り切る朝の清涼剤になりそうだ。


羽田で見かけた蒋介石のひ孫【産経新聞「話の肖像画」:2024年8月1日】https://www.sankei.com/article/20240801-IMM7D7Y6QZIBFKFYVLMBUIAVJI/?outputType=theme_portrait&929266=true

《今年5月、台湾の頼清徳総統の就任式に招待された。

羽田空港で台北行きの旅客機を待っていると、報道陣に囲まれた男性が目に飛び込んできた》

ある男性が出発ラウンジでメディアに囲まれてインタビューを受けていた。

その一角は華やかで、最初は映画俳優かと思ったのよ、イケメンだしね。

それで隣に座っていた人に「誰?」って聞いたら、「台北市長の蒋万安ですよ」って。

蒋介石のひ孫があんなに爽やかなのかと、びっくりですよ。

国民党の蒋万安とは2年前の台北市長選で対決し、私は民進党の陳時中を応援して大敗した。

対立候補だったし、実際に見るのは初めてだから、遠目に誰だか分からなかった。

1959(昭和34)年に日本に留学して以来、中華民国総統だった蒋介石と息子の蒋経国とは、民主化と独立を求めて闘ってきた、いわば“敵”。

一党独裁下の台湾で何が起きているのか、言論の自由が保障されている日本から発信することが留学生の使命だと思ったから。

あのころの国民党政府は今の中国共産党と一緒で、政権批判は一切、受け付けず弾圧です。

民主化や独立のために闘っていた私や夫の周英明らは反乱分子のブラックリストに載り、パスポートは更新されず、日本で30年以上も「特別滞在」のままだった。

《日本統治下の台北で生まれ、終戦を迎えたのは11歳のとき。

その後、台湾に中国大陸から国民党政府と関係者が移り住んできた。

この外省人と呼ばれる中国人と、それまで台湾に住んでいた本省人の対立が激化。

47年には不満を爆発させた本省人を国民党軍が鎮圧する「二・二八事件」が起き、その後は全土に敷かれた戒厳令のもと、反政府勢力とされた知識人らを標的に「白色テロ」が吹き荒れた》

二・二八事件のとき、中学生だった周英明は通学途中で公開処刑された本省人たちの遺体がさらされているのを目撃した。

白色テロでは台湾大学文学部長の教授が理由もなく警察に呼び出され、帰らぬ人となった。

1960年に蒋介石は中華民国憲法で「2期まで」と規定している総統の任期を、動乱(国共内戦)を理由に「特別臨時条項」の改定で延長。

それを告知するお触れ書きが台湾大学ではがされていた。

国民党の特務ははがした学生を特定し連行、彼は二度と帰ってこなかった。

些細(ささい)な抵抗すら許されないのよ。

一党独裁の恐怖に台湾全土が包まれていた。

総統の世襲が続いていたら、蒋万安も独裁者一家の一員として、権勢をふるっていたのかもしれない。

《1987年に戒厳令が解除され、李登輝総統が民主化にかじを切った。

直接選挙も行われるようになり、国民党の対抗、民進党を日本から応援している。

さて、空港で見かけた因縁の蒋家の4代目だが…》

蒋万安とは同じ旅客機のビジネスクラスで、私は前の方、彼は一番後ろの席だった。

到着したら、台北市長の彼は入域審査はスイスイで、私は日本のパスポートだから時間がかかる。

とっくにいないと思っていたら、彼が途中で待っていた。

目が合ったとたん、つかつかと寄ってきて手を差し伸べてきた。

仕方なく握手に応じ、「金美齢です」と名乗ったら、「存じております」って。

私が台北市長選での対立候補の応援や、かつて独立運動をしていた過去も知っているわけでしょ。

あの蒋介石のひ孫がねえ…。

自由と民主主義は人を変えるんだな、台湾は香港のようになってはいけないと改めて感じた。

そして蒋万安は本気で総統を狙っているぞ、とも。

そのときの民進党の候補は蕭美琴(現副総統)になるかな。

あのイケメンは強敵になりそうだね。

(聞き手 大野正利)

◇     ◇     ◇金美齢(きん・びれい)1934(昭和9)年、台湾・台北生まれ。

59年に早稲田大学第一文学部に留学、同大大学院文学研究科博士課程修了。

ケンブリッジ大学客員研究員、早大講師などを経て、評論家として活躍。

2000年5月、陳水扁総統のもとで国策顧問に。

09(平成21)年に日本に帰化。

JET日本語学校理事長。

主な著作に「凛(りん)とした生き方」「戦後日本人の忘れもの」「夫への詫び状」など。

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