産経新聞が連載している「話の肖像画」が9月1日から謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表を取り上げている。第1回は東京オリンピックをテーマに、謝代表との関わりなどを聞いている。聞き手は論説委員で元台北支局長の河崎真澄氏。
謝代表の前の「話の肖像画」は評論家の石平氏で、30回の連載だった。謝代表もそのくらいの長さになると思われる。今後も折に触れご紹介したい。
—————————————————————————————–台北駐日経済文化代表処代表・謝長廷(75)話の肖像画(1)東京五輪開会式「台湾です!」に歓声【産経新聞:2021年9月1日】https://www.sankei.com/article/20210901-VT7LWJFCTZISDKHIVUFQFNNLUY/?383070
《2016(平成28)年から、台湾の駐日大使に当たる台北駐日経済文化代表処代表を務める。8月8日に閉幕した東京五輪で、台湾で大きな反響を呼んだのは、7月23の開会式選手入場シーンだった》
あの日、東京・白金台の台北駐日経済文化代表処(台湾の在日大使館に相当)でテレビ中継を見ていた私は、同僚十数人とともに「ワーッ!」と歓喜の声を上げて拍手し続けました。台湾チームの入場のとき、英語で「チャイニーズ・タイペイ(中華台北)」と聞こえたのですが、そのすぐ後にNHKの女性アナウンサーが、はっきりとした声で「台湾です!」と紹介してくれたのです。
《中国からの政治圧力で「台湾」の名では五輪参加が許されていない。国際オリンピック委員会(IOC)との取り決めで、台湾の選手団は「チャイニーズ・タイペイ」との聞きなれない呼称になっている》
世界中のどの地図にも「チャイニーズ・タイペイ」という名称はありません。日本の方もどの国か首をひねっていたでしょう。ところが「台湾」といえば、誰もが知っている。東京五輪の選手入場のシーンを見ていた台湾の人々も、改めて日本が台湾を認めてくれたように感じました。「台湾です!」という日本語が今、台湾ではちょっとした流行語になっているほどです。
IOCなどとの交渉で、1981年に呼称が決まりました。「台湾」の名を使いたいと私も思うのですが、まずは台湾のアスリートが五輪に参加できるかどうか、です。(名称で妥協することで)出場の権利を優先させねばならないのです。
《東京五輪は新型コロナウイルス禍で開催が1年遅れたが、台湾はバドミントン男子ダブルスと重量挙げ女子59キロ級で金メダルを得るなど過去最高の成績だった》
東京五輪とパラリンピックを無事に開催してくれた日本に感謝しています。歴史上、前例のない難しい環境の中で、日本の関係者は困難を乗り越え、輝かしい舞台装置をつくってくれた。
会場のほとんどが無観客で、代表団など関係者以外は入れませんでしたが、幸いにも私は台湾を代表する立場で観戦できました。五輪の期間中、試合観戦に17回、選手の激励に3回出かけました。卓球の選手は「謝代表が来てくれたので心強い」と言ってくれましたね。
実は私も、中学から高校のころ体操選手だったんです。日本の国体にあたる台湾の大会でつり輪などの競技で活躍し、優勝したこともあります。一時は五輪出場も夢見ていたほどで、こうして日本で台湾チームを連日応援できたことで、その夢はかないました。台湾には(中国の圧力など)困難な問題はあるが、夢と希望がある。スポーツには人々を結束させるすばらしい力がありますね。(聞き手 河崎真澄)
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【プロフィル】謝長廷(しゃ・ちょうてい)1946年、台北市生まれ。台湾大法学部在学中、司法試験に合格。京都大学大学院で法学研究科博士課程修了。台湾で弁護士となって民主活動家らを支援し、86年に初の野党「民主進歩党(民進党)」を結成した。立法委員(国会議員)や高雄市長を経て2005年に行政院長(首相)。08年に出馬した総統選で、中国国民党の候補に敗れた。16年6月から現職。知日派の重鎮。
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