神様すら政治化して日台離間を目論む国民党  黄 文雄(文明史家)

【黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」:2023年3月15日】https://www.mag2.com/m/0001617134*読みやすさを考慮し、小見出しは本誌編集部が付けたことをお断りします。

◆地域住民の希望で残された台湾の人気スポット「桃園神社」を巡って大論争

 いま台湾では、日本統治時代に創建された神社をめぐり、大きな論争が起こっています。

 台湾最大の国際空港として日本人にもお馴染みなのが、台北市の西に位置する桃園市にある桃園国際空港ですが、この空港から車で30分程度、虎頭山の麓に、日本統治時代の1938年に創建された「桃園神社」があります。

 戦後、日本が去って国民党が支配するようになった台湾では、大陸からやってきた中国人が日本時代に建てられた神社を占拠して建てて住み込むなど、急速に荒廃が進みました。たとえば台北にある明石元二郎総督の墓所の鳥居などは、外省人が建てたバラック小屋の柱に利用されていました(もちろん現在はバラックは撤去、鳥居は林森公園内に残り、明石元二郎の墓は新北市三芝区の福音山キリスト教墓園に改葬されています)。

 とくに1972年の日台国交断絶以後は、国民党政権により多くの神社が破壊され、その跡地に、辛亥革命や大陸での日中戦争、抗日運動などで斃れた「英霊」を祀る忠烈祠が建てられていきました。

 桃園神社も破壊の危機にありましたが、これに地域住民からは反対の声が相次ぎ、また、一部の学者から「建築様式が唐風だから残すべきだ」という論文が提出されたことも手伝って、破壊からは免れることができました。

 現在では当時の社殿がそのまま残されている貴重な歴史遺産として国家三級古跡に指定され、日本独特の神社の雰囲気を味わえるということで、台湾人の人気スポットとなっています。

 1931年に甲子園で準優勝した台湾の嘉農野球部を描いた映画「KANO」の撮影にも使われ、日本のアニメ好きなコスプレイヤーなどが写真撮影に集っているようです。

 巫女さんもいて、正月をはじめ、季節ごとに日本的なイベントも行われています。端午の節句の時期には、境内への階段などにたくさんの鯉のぼりが飾られます。

◆国民党所属の市長が当選して「神社」色を排除する雰囲気が濃厚に

 この桃園神社が創建されたのは1938年(昭和13年)。日本統治時代には御祭神として北白川宮能久親王・大国魂命・大己貴命・少彦名命・豊受大神・明治天皇を祀っていましたが、国民党時代の1950年に「桃園忠烈祠」と改称されると、オランダを台湾から放逐し、反清・復明を掲げた鄭成功、日清戦争後の台湾の日本割譲に反抗した清の劉永福や丘逢甲(劉永福とともに日本割譲を阻止するため台湾民主国の独立を宣言して抵抗した)、さらには抗日運動の犠牲者などを祀るようになりました。

 しかし時が過ぎ、2014年に民進党の鄭文燦が桃園市長になると、日本の各都市と積極的に友好都市協定を結ぶようになり、「桃園忠烈祠」から「桃園忠烈祠・神社文化園区」に改められるようになったのです。

 また、2018年には桃園神社を設計した春田直信氏の子孫が桃園神社を訪れ、神社修繕を支援、義捐金贈呈式も行われました。

 2022年9月、運営を請け負っている民間業者は、日本の神社の文化を台湾に持ち込もうと、北海道釧路市の鳥取神社と提携し、大国主大神、天照大神、豊受大神の3体の分霊を勧請しました。

 ところが同年11月に行われた台湾統一地方選挙で、桃園市長が国民党の張善政が勝利したことで、この日本からの分霊について批判と反対圧力が高まるようになりました。その理由は、「台湾のために戦った英雄を祀るところに、日本の神様を迎えるのは相応しくない」とのことです。

 運営業者は、この「桃園忠烈祠・神社文化園区」は、忠烈祠の区域と神社文化園の区域が明確に分かれており、運営を担当しているのは神社文化園区の区域だと反論し、日本の神社文化を取り入れてから休日の来園者が5000人まで増加したと、その正当性を訴えました。

 しかし、結局、桃園市政府の圧力もあって、分霊は神社の外に奉遷されてしまいました。市政府当局は、神社の外に移されてしまった分霊を、再び日本に送り返すことを考えています。

 そればかりか、名称もかつての「桃園市忠烈祠」または「桃園市忠烈祠文化園区」に改め、日本の「神社」色を排除する可能性も議論されています。

◆民進党市議団などが日台離反を促すと猛反発

 こうした動きに対して、民進党市議団は、「桃園神社が保存している歴史、文化資産を無視している」として桃園市政府を批判、張善政新市長の下で、イデオロギーを理由に桃園市の独特な観光スポットが絞め殺されたと反発しています。

 そもそも日本時代の遺産を保存するという多様性と寛容性の精神からも外れており、対立を煽っているだけの行為だという声も少なくありません。

 また、一部の台湾のネットユーザーや桃園神社ファンは、この桃園市政府の決定に「怒りで眠れない」と猛反発、市政府による信教の自由の侵害だと批判しています。忠烈祠が台湾人を大量に虐殺した国民党の人物を祀る施設となることへの懸念も噴出しています。

 加えて、日本と台湾の友情を破壊し、中国を利する行為だとして、張善政新市長と国民党への批判も高まっています。張善政はかつて馬英九政権で行政院長を務め、さらに2020年の総統選挙では国民党候補の韓国瑜の政策ブレーンとして、副総裁候補に指名されたことがある人物です。

 スタンフォード大学やコーネル大学への留学経験もあり、コンピュータのAcer副社長、グーグルのアジア地区ハードウェア担当ディレクターも務めた経験がありますが、祖父が中国の天津の人で、父親は1948年に台湾に渡ってきたということで、馬英九同様、中国との繋がりも強いと思われます。

 来年行われる総統選挙で国民党が政権を取れば、このような日台離反を促す政策と親中政策が次々と行われるのではないかという懸念も高まっています。この桃園神社をめぐる出来事は、その先駆けとなる一例なのです。

 3月13日に閉幕した中国の全国人民代表大会では、習近平国家主席が「外部勢力の干渉と台湾独立・分裂活動に断固反対する」と述べ、台湾完全統一を改めて宣言しました。そのような時期に起きた「日本の祭神排除」だけに、中国の工作活動の一環である可能性も否定できません。

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