40年の時を経てようやく民主暗黒時代の幕が下りた台湾  黄 文雄(文明史家)

【黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」:2022年5月25日】https://www.mag2.com/m/0001617134*読みやすさを考慮し、小見出しは本誌編集部が付けたことをお断りします

◆民主を叫んで逮捕された40年前の「美麗島事件」

 1979年、高雄で起こった「美麗島事件」。これは、民主活動家の黄信介(こうしんかい)らが主催する雑誌「美麗島」編集部が、世界人権デーに合わせてデモを行ったことから警察と衝突し、多くの雑誌関係者が反乱容疑で逮捕された事件です。

 この事件で逮捕されたのは黄信介のほか、林義雄や姚嘉文などの民主活動家たちでした。彼らを裁判で救おうとした弁護団には後に総統となった陳水扁のほか謝長廷、蘇貞昌などがいました。

 その後、美麗島事件関係者たちは、当時、非合法とされていた政党結成を果たし、民進党を結成しました。それからの経緯は、皆さんご存じの通り、2000年に民進党が政権政党となり、陳水扁氏が初めて国民党以外の政党から出た総統に就任しました。その後、陳水扁氏は収賄容疑で逮捕、起訴されて服役し、現在は病気療養のため仮釈放中となっています。

 話を美麗島事件に戻しましょう。

 当時、独裁政権の戒厳令下にあった台湾では、民主を叫ぶことは罪でした。しかし、勇気ある一部の民主活動家たちは、罪に問われることを恐れずに声を挙げ、逮捕されました。そして、ある者は服役し、ある者は服役を免れても、当局の関係者と思われる暴漢に襲われたりと、様々な悲劇が生まれました。陳水扁氏は服役した上に、妻が暴漢の車に轢かれ半身不随になったことは有名です。

◆事件関係者全員の有罪判決が取り消された!

 その美麗島事件で逮捕された人々の名誉を取り戻そうという動きは、李登輝時代からありました。以下、記事を一部引用します。

<反体制派の機関誌「美麗島」が高雄市で実施したデモ活動を発端に起きた美麗島事件では、8人が軍事裁判で、33人が通常裁判所での裁判で有罪判決を受けた。同事件の被告を巡っては、1990年に当時の李登輝(りとうき)総統が特赦を行っていたが、その効力は「主文」の罪にとどまり、判決の「事実」と「理由」は依然として存在していた。そのため、同委は「(判決を)取り消す必要があった」としている。

 これまでに公表された名簿で、軍事裁判にかけられた8人のうち6人、通常裁判所での裁判を受けた33人のうち32人の有罪判決取り消しが公表されていた。最新の名簿には残る3人の名前が記された。>

 そして今回、事件関係者全員の有罪判決が取り消されたというニュースです。

<過去の権威主義的な統治の下で行われた人権侵害やその結果の真相究明などを目指す移行期正義促進委員会(促進転型正義委員会)は23日、南部・高雄市で1979年に起きた言論弾圧事件「美麗島事件」で有罪判決を受けた施明徳元民進党主席(党首)ら3人を含む14件の判決の取り消しを公表した。これにより、同事件の被告全員の有罪判決が取り消されたことになる。>

 2011年2月28日には、二二八国家記念館が設置されました。民主化を求めて焼身自殺した鄭南榕の記念館は2018年にオープンしました。時代は刻々と変化し、今の台湾はすっかり民主主義国家としての道を歩んでいます。

 専制国家による暴挙がニュースで配信されるたび、台湾にかつての痛みが蘇ります。そして、専制国家による恫喝に怯え続けなければならない日々を改めて憂います。過去の痛みの上に今があることを思い知らされます。

 遅すぎる決定でしたが、美麗島事件で逮捕された皆様全員の汚名が返上されたこと、心より嬉しく思います。同時に、今の民主を絶対に守らなければならないと気が引き締まる思いです。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。


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