実は、これまで産経新聞社内にも李登輝元総統に特別賞をという声がなかったわけではなく、10年ほど前からそういう声はあったと仄聞している。実現しなかったのは、中国政府からの圧力で公正な中国報道ができなくなることを恐れたからだとも仄聞していた。事実かどうかは分からないが、中国政府は上海支局長後任の赴任を約10年も認めなかったことを考えると、さもありなんと思う。
米中貿易戦争が起こり、習近平主席の来春来日を控えたこのタイミングだからこその李元総統への贈呈なのだろう。李元総統も快諾されたという。
2007年6月、来日された李登輝元総統と曾文恵夫人に伴い、?國神社に同道されたのは作家の三浦朱門氏と曽野綾子ご夫妻だった。
曽野綾子さんは、今回の李元総統受賞について「そのお働きに対して日本人の感謝を示す機会が遅くなりすぎた」との感想を吐露しつつ「心から嬉しい出来事」と述べている。同感である。心から「おめでとうございます。ありがとうございました」と申し上げたい。心の靄(もや)が晴れたような、喉元のトゲが取れたような爽快な気分だ。
いささか長い記事だが、下記に産経新聞の報道全文をご紹介したい。
—————————————————————————————–正論大賞に笹川陽平氏 新風賞は江崎道朗氏、特別賞に李登輝氏【産経新聞:2019年12月10日】https://www.sankei.com/life/news/191209/lif1912090017-n1.html
自由と民主主義のために闘う「正論路線」を発展させた言論活動に贈られる正論大賞に、日本財団会長の笹川陽平氏(80)が決まった。新進気鋭の言論人に贈られる正論新風賞には評論家、江崎道朗氏(57)が、正論大賞特別賞に台湾・元総統、李登輝氏(96)が選ばれた。笹川氏、江崎氏はともに産経新聞「正論」執筆メンバー。
正論大賞は今回が35回目、新風賞は20回目。笹川氏は年頭の「正論」欄で「中国古典にとらわれず新元号を」と主張し、元号が初めて日本の古典(国書)から採用される流れをつくったほか、「対外情報発信態勢の確立を」「人材育成に偉人教育の活用を」など国の将来を見据えた言論活動を展開。またハンセン病抑圧活動を始めとする、40年以上にわたる慈善活動も「正論大賞」にふさわしいとされた。
江崎氏は安全保障、インテリジェンス、近現代史を専門とする気鋭の論客で、東京裁判史観からの脱却やヴェノナ文書で裏づけられる大東亜戦争の真相など、最新歴史研究を取り込んだ言論活動で日本の論壇に新風を吹き込む姿勢が評価の対象となった。
李氏は中国共産党との間で硬軟とり交ぜた政治手腕を発揮し、「哲人政治家」として東アジアの歴史に大きな足跡を残した。また日本統治時代の大正12(1923)年に台湾で生まれ、旧制台北高校を経て京都帝国大学(現・京大)で学び、戦後の日本人が失った「公」のために尽くす純粋な日本精神を持ち続け、さらに台湾で民主化を推し進めた信念は正論大賞特別賞にふさわしいとされた。
正論大賞の正賞はブロンズ彫刻「飛翔(ひしょう)」(御正進(みしょう・すすむ)氏制作)で副賞は賞金100万円、新風賞の正賞は同「ソナチネ」(小堤良一(おづつみ・りょういち)氏制作)で副賞は賞金50万円。特別賞の正賞は同「あゆみ」(小堤氏制作)。
贈呈式は来年2月28日、東京都内で行われる。
■3氏「受賞の声」
第35回正論大賞に決まった笹川陽平氏と、第20回正論新風賞の江崎道朗氏が「受賞の言葉」を語った。また笹川氏には第3回正論大賞受賞者の作家、曽野綾子氏から「お祝いの言葉」が贈られた。
■笹川氏「裂帛の気合で現場主義に徹す」
多数の論客がおられる中、専門性もなければ言論人でもない私が、伝統と権威ある正論大賞を頂くのは恐縮至極であります。
今年1月3日付の「正論」欄に掲載された「中国古典にとらわれず新元号を」と題した投稿が評価されたのかもしれません。新元号制定に当たり、私はこの投稿で「和製漢語」が中国や韓国などにも広く普及している現実を踏まえ、飛鳥時代の「大化」から「平成」まで長く続いた中国の古典由来の元号に代わり、自由な発想でわが国独自の元号を定めてはどうか、と提起しました。
私自身は昨年秋ごろから、周囲に同じ話をしていたのですが、「正論」欄での投稿掲載後、予想を超える大きな反響があり、新元号に対する国民の関心の大きさを改めて実感しました。そして4月1日、万葉集を典拠とする「令和」という素晴らしい新元号が発表されました。
正直言って、これほど盛り上がるとも思っていませんでした。今回ほど多くの人が元号論議に参加したことは過去にはなかったのではないでしょうか。西暦だけでよいのではないか、といった意見も一部にありました。しかし元号は今や世界の中で日本だけに残る伝統文化です。皇室の弥栄を強く願いながら、元号が今後も守るべき貴重な文化であるとの思いを改めて強くしています。
私は陽明学の「知行合一」を行動哲学に、一貫して現場主義に徹してきました。問題点と解決策は現場を訪れて初めて見えてきます。既に80歳になりましたが、現在も1年の3分の1近くを外国出張に当て、これまでの出張回数は計541回、訪れた国は計122カ国に上っています。
日本財団は世界のハンセン病の制圧から海洋基本法の制定など母なる海の保全、子ども、障害者、高齢者対策、さらには近年、想定外が常態化した災害の被災地復興など幅広い活動を展開しています。専門家の知恵も頂きながら、新しい社会に向けたモデルづくりを進め、「みんながみんなを支える社会」の実現を目指しています。
訪れる国の多くに、先の大戦で犠牲になられた多数の英霊が眠っておられます。それを思うとき、私は改めて、裂帛(れっぱく)の気合と世界のどこで死ぬのもよしの覚悟を持って、生ある限り現場主義、行動主義に徹して国内外を飛び回り、人道的な活動を続け行く決意を新たにしています。そこで感じた問題点や解決策を引き続き「正論欄」で発信させていただければ幸いです。
〈ささかわ・ようへい〉 昭和14年、東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。全国モーターボート競走会連合会会長、日本財団理事長などを歴任。40年以上にわたり、ハンセン病の制圧と患者差別撤廃に取り組んできた。国際法曹協会「法の支配賞」、ガンジー平和賞など受賞多数。令和元年、旭日大綬章を受章し、文化功労者にも選出された。現在、日本財団会長、世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧大使、ミャンマー国民和解担当日本政府代表などを務める。著書に『外務省の知らない世界の“素顔”』(産経新聞社)、『隣人・中国人に言っておきたいこと』(PHP研究所)、『残心 世界のハンセン病を制圧する』(幻冬舎)など。平成18年から産経新聞「正論」執筆メンバー。
■江崎氏「『先人たちの叡智』胸に邁進」
正論新風賞受賞の知らせを聞いて真っ先に思ったことは、先人たちの偉大さ、素晴らしさです。
先人たちの叡智(えいち)、勇気、献身によって生かされていることに気づくことが、日本人として生きるということだ。恩師である小柳陽太郎・九州造形短期大学教授は、学生だった私にこう諭してくれました。
その教えを胸に、多くの先生方にお会いしては、「日本はいかなる国で、その自由と独立を守るためにどのようにしてきたのか」を尋ねてきました。おかげで戦前から戦中・戦後、日本を支えてこられた、三つのグループと出合いました。
第一のグループは、アジア独立を支援する立場から戦時中に「インド国民義勇軍(INA)」創設を支援し、インド独立のきっかけを作った藤原岩市中佐やインドネシア独立を支援した金子智一氏、中島慎三郎氏らです。彼らは戦後、岸信介総理のもとで民間の立場からアジア諸国との国交樹立「秘密」交渉を担当しただけでなく、福田赳夫総理らのもとでソ連や中国による「アジア共産化工作」に対抗し、東南アジア諸国連合(ASEAN)創設に尽力されました。
第二のグループは、戦前、アジア独立運動の指導者たちを支援した頭山満翁率いる自由民権運動団体「玄洋社」の関係者たちです。その代表格である葦津珍彦氏は戦後、近代日本の皇室と政治、近隣諸国との関係をめぐる先人たちの叡智を解き明かしつつ、混迷する戦後日本の政治に確かな指針を示してこられました。
第三のグループは、戦前の近衛文麿内閣から東條英機内閣に至る動きの背後に、ソ連・コミンテルンの対日工作の影響を察知して、その動きと闘った学生グループ「日本学生協会」です。その中心メンバーは、吉田松陰の妹の曾孫にあたる小田村寅二郎・亜細亜大学教授らです。彼らは戦後、占領政策の間違いを是正するだけでなく、皇室を仰ぎ、聖徳太子以来の学問の伝統を受け継ぐことが日本を再建する力になると考え、文藝評論家の小林秀雄氏らの協力を得て後進の指導に当たってこられました。
これら三つの民間グループの歴史を受け継ぎ、その叡智を現代に蘇らせることが日本再建につながる。そう信じて近現代史、皇室と憲法と政治、インテリジェンスなどを論じてきました。その営みが評価されたのだとしたら、それは偏にこれら三つのグループに連なる先生方、先輩方のおかげです。
日本は素晴らしい歴史と伝統を有する国であり、独立と自由を守るために奮戦された先人たちの叡智には、日本を立て直す力がある。そう信じて、さらに活発な言論活動を展開していきたいと存じます。
〈えざき みちお〉 昭和37年、東京都生まれ。九州大学文学部哲学科卒業後、月刊誌編集、団体職員、国会議員政策スタッフなどを経て平成28年夏から本格的に評論活動を開始。主な研究テーマは、近現代史、外交・安全保障、インテリジェンスなど。社団法人日本戦略研究フォーラム政策提言委員。産経新聞「正論」執筆メンバー。 主な著書に『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社新書)、『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(青林堂)、『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(第27回山本七平賞最終候補作、PHP新書)、『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)、『日本は誰と戦ったのか』(第1回アパ日本再興大賞受賞、ワニブック ス)など。
■李登輝氏「多くの皆さまの賛同に感謝」
このたび正論大賞特別賞受賞の知らせを受け、大変光栄に感じております。
私はこれまで日本人が持つ高い精神性と、日本文化の素晴らしさが、当の日本人にいささか忘れ去られてきているのではないかという危機感を持ち、日本の皆さんへ「日本人よ、もっと自信を持ちなさい」と訴えてきました。
今回の受賞は、日本の素晴らしさを知る「元日本人」としての声が多くの皆さまに届き、賛同いただいたゆえのものと感じております。
〈り・とうき〉 1923年1月15日、日本統治下の台湾生まれ。旧制の台北高校を経て、京都帝国大(現京都大)で農業経済学を学んだ。米コーネル大で博士号。台北市長などを経て、副総統だった88年1月、蒋経国総統(当時)の死去に伴い総統に昇格。中国国民党の主席も兼務し、政権中枢から民主化を進めた。96年3月実施の初の総統直接選で当選。2000年5月まで12年あまりの総統在任中に「台湾人意識」教育の普及や、東南アジアなどとの実務的な対外関係の構築に努めた。
■お祝いの言葉 曽野さん「『ぶれない』姿勢 尊敬と好意」
今年の正論大賞の決定について、私は特別の嬉(うれ)しさで受け取った。笹川陽平氏も、李登輝氏も昔からよく存じ上げており、しかも、私が長年人間的な尊敬と好意を持ち続けている方たちだからである。
1995年から2005年まで、私は日本財団の会長として働いた。9年間を越す長い間だったので、その間、多くの人生を教えられた。その間常に職務上のことで指導を受けたのが笹川陽平氏であり、普通ならお目にかかる機会もなかったはずの李登輝氏にお会いできたのも、一部はその仕事のおかげであった。
私は昔から一途という姿勢が好きだ。最近の日本人の言葉で言うと、「ぶれない」姿勢のことである。
今年受賞されたお二人は、共に一途な方たちである。
困難がなかったわけではない。お二人の立場を考えれば、その困難は凡庸な生活者の体験するスケールのものではなかったはずだ。しかしともにその困難を静かに冷静に耐え抜き、そんな苦労があったことさえ、顔にも出されない性格の方たちなのだ。
1995年に日本財団の会長に就任した後、私は具体的な仕事の内容を、笹川陽平氏に教わりながら結果的に約10年を働くことになった。
日本財団は細部まで透明な整然とした組織だった。説明のできない部分はどこにもなかった。それこそ私の望んだ組織の在り方・働き方だったのである。
李登輝氏とは、亡夫がそのお人柄を好きで機会あるごとにお目にかかっていたが、氏は戦前にはよく見られた気骨ある日本人そっくりの人柄であった。いささかそのお働きに対して日本人の感謝を示す機会が遅くなりすぎたが私にとっては心から嬉しい出来事である。
お二人の人間的側面をごく近くから見せて頂く立場にいた私はいささか態度が悪い。今日のご受賞を当然と思っている。
一本の途を歩き続けた方たちは、背後に夕陽を受ける年齢になられ、影は未だにたゆみなく前方に歩き続けている。
■栄光たたえるブロンズ像
正論大賞の正賞は、彫刻家である御正進(みしょうすすむ)氏が制作したブロンズ彫刻「飛翔(ひしょう)」。御正氏は「飛翔」について「人間は永遠に鳥のように翼を持って大空を飛んでいきたい。永遠に人々は希望、愛、理想…を追い求める」と説明している。
新風賞の正賞は、小堤良一(おづつみりょういち)氏制作のブロンズ彫刻「ソナチネ」。小堤氏は「栄誉をたたえる笛の音。祝福を演奏する姿を創りました」と述べている。
特別賞の正賞は、小堤氏制作のブロンズ彫刻「あゆみ」。小堤氏は「歩みだす少女、彼女の行く先を正しく導くのは知識と知恵。人々が叡智(えいち)を持ってより良い世界をつくるため歩んでいってほしいという願いが込められている」とコメントしている。