李前総統が日本に伝えたメッセージ [西江 智彦]

【「な〜るほど・ザ・台湾」7月号Vol.244 「羅針盤」】

 「学術交流と『奥の細道』探訪の旅」と題して李登輝前総統は5月30日−6月9日の11日
間、日本を訪問した。今回の訪日については、2005年より実施された台湾観光客ノービ
ザ措置を受けて、李登輝氏はビザが免除され、首都・東京への立ち寄りが許されたほか、
総統退任後の過去2回の訪日と比べて行動や言動を制限されることはほとんどなく、は
じめて日本での講演や記者会見も開くことが認められた。このため、今回は李登輝氏の
発言により注目が集まり、日本では連日、日本語で語る李登輝氏の様子が報道され、台
湾の前総統のメッセージは日本に広く伝えられた。

 松尾芭蕉の「奥の細道」を辿る旅は、李登輝氏が以前からずっと行ってみたいと語っ
ていたもので、奥の細道のスタート地点となる東京・深川の芭蕉記念館を訪れた李氏は
その想いを「深川に 芭蕉を慕い来 夏の夢」と詠んだ。東北地方を約1週間かけて芭
蕉の足跡を辿った李登輝氏は、その世界を「日本人の生活における自然との調和を実感
し、日本人が持つ情緒が生活の中に織り込まれ、高い精神的なものを持った独特の文化
だった」と表現した。

 旅を通じて感じた日本について李登輝氏は「呑み込まれることなく、日本独自の伝統
を立派に築き上げてきた。外来の文化を巧みに取り入れながら、自分にとってより便利
で、受け入れやすいものに作り変えていく」と日本文化の創造力を賞賛した。

 そして、現代の日本社会について「さまざまな産業におけるサービスの素晴らしさは、
戦前の日本人が持っていたまじめさ、細やかさがはっきりと感じられた」と指摘し、日
本の若者についても社会的秩序がきちんと守られている点を挙げて、その公共性の高さ
を評価した。

 訪日中、李登輝氏は日本と台湾の歴史的なつながりについても多く語った。6月1日、
後藤新平の会が主催する「第一回後藤新平賞」を受賞した李登輝氏は、授賞式で後藤新
平が台湾で民政長官を務めたときに断行した政策を紹介し、どのように台湾の近代化を
促進したかを説明した。

 そして、「今日の台湾は、後藤新平が築いた基礎の上にある。この基礎の下に、新し
い台湾政府と台湾の民主化を促進した私は、決して無縁の者ではなかった」と語り、日
本と台湾は「生命共同体」であることを強調した。

 また、6月7日に李登輝氏は、実兄・李登欽(日本名:岩里武則)氏が祀られている靖
国神社に参拝した。李登欽氏は日本兵として昭和20年2月15日、フィリピンで戦死したと
されている。参拝後、李登輝氏は「父が兄の戦死を最後まで信じなかったので、位牌も
墓場もなかった。兄の冥福を祈ることをやっと実現できた。靖国神社が兄を合祀してく
れたことを感謝します。残り少ない一生で、やるべきことをやった」と語った。

 靖国参拝が日中関係に影響を与えるのではという記者からの質問に対し、李登輝氏は
語気を強めて「外国によって、批判される理由はなんらない。国のために亡くなった人
をお祀りするのはあたりまえのことだ」と反論した。また、李氏は同様に台湾で戦死者
を祀る忠烈祠にもお参りしているが、こちらは中華民国の英霊を祀るものであり、第二
次世界大戦で日本兵として戦死した台湾人は祀られていないという歴史的経緯も説明し
た。李氏の参拝については台湾国内では賛否両論で批判もあったが、「台湾人の複雑な
歴史感情を尊重せよ」と李氏を弁護する声も聞かれた。

 日本を離れる前、李登輝氏は台湾の未来について、「台湾の地位は、非常に複雑な中
に置かれている。その特殊な状態の中にあって、台湾の住民がしっかりと、これはわれ
われの自分の国だという意見を持っていかなければ、誰も助けてくれない」とし、「は
っきりと、台湾はわれわれのものだ、台湾は独立した自由な、平和的、民主的な国であ
ることを主張するのは、あたりまえだ」と語った。そこには台湾を民主化に導いた指導
者の強い気迫が込められていた。

【略歴】にしえ・ともひこ 1979年、大阪生まれ。奈良大学文学部地理学科卒業。台湾
・淡江大学華語研修班で2年間語学留学。元『な〜るほど・ザ・台湾』編集部員。


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