【朝日新聞:2016年5月29日】
喜怒哀楽を見せず、いつも冷静。台湾の新総統、蔡英文(ツァイインウェン)(59)はそう評さ
れる。2012年1月、前回総統選で敗れた夜も、悲嘆に暮れる支持者を前に柔らかな笑顔を見せなが
ら敗戦の弁を述べた。
その蔡が、人前で涙ぐんだことがある。
総統選投開票日前夜の今年1月15日、台北市の総統府前であった最後の選挙集会。雨の中、ス
テージ前の最前列に「永遠の革命家」と呼ばれる史明(97)が姿を見せた。演説を終えた蔡は壇上
からかがみ込むように史明に手を振った。
「あのときは涙がこぼれ落ちそうだった」。側近の一人はそう振り返る。
蔡の心を揺さぶった史明とは何者か。
本名・施朝暉。日本統治時代の1918年に台北に生まれた史明は、早稲田大学に学んでマルクス主
義に触れ、左派の立場から台湾の独立を追い求めた。
その人生は壮絶だ。大学卒業後の42年9月、日本統治からの台湾の解放を目指し、中国に渡って
共産党の「抗日戦争」に合流した。だが、共産党支配地で見たのは理想とほど遠い世界だった。人
がなぶり殺されるのも見た。「天国どころか生き地獄だった」
49年5月に中国を脱出して台湾へ。共産党に大陸を追い出される国民党政権が台湾人を厳しく統
治していた。またも、台湾人の主体性がないがしろにされている。そう考え、蒋介石総統の暗殺を
企てるが果たせず、日本へ亡命する。
池袋で中華料理店を営み、その売り上げをもとに台湾独立運動を支援。武装闘争も辞さない激し
い立場で、「あの頃は台湾から人を連れてきて、店の5階で爆弾を作っていたんだ」と史明は明か
す。
一方で、台湾人の立場から台湾の歴史を書いた初めての書とされる「台湾人四百年史」を執筆
し、62年に出版。この本は言論統制下の台湾にひそかに持ち込まれ、国民党統治を正当化する教育
を受けてきた台湾人に大きな衝撃を与えた。
「内乱罪」で手配された最後の一人になった史明は93年、ひそかに台湾に戻った。結局逮捕され
たが、李登輝政権下で民主化が進んでおり、不起訴となる。その後も台湾の主体性を訴える活動を
続け、台湾本土意識が高まった近年は若者らから多くの敬意を集める。
蔡が史明に初めて会ったのは2009年。東京で体調を崩した史明が危険な状態に陥ったと聞き、駆
け付けたのだ。謝意を伝える史明に、前年に独立志向の強い民進党の主席に就いていた蔡はこう返
した。「台湾人として、感謝しなければいけないのは私の方です」
以来、史明はたびたび蔡のもとを訪れ、台湾のあるべき姿を語り合うようになった。蔡は史明を
「非常に実務的な理想主義者」と評し、今では旧正月に蔡の自宅に招くほどだ。
当選の夜、蔡は集まった支持者を前に、史明の名をあげてこう語った。「おじさんの言いたいこ
とは分かっている。台湾の総統は気骨を持ち、強靱(きょうじん)でなければならないと。台湾の
苦境を前に私は絶対に屈しない」
頑固に独立を追い求めてきた史明に寄せる共感は、蔡の内心の発露に見える。史明は言う。「台
湾のために何かをしたいという思いは共通。これからは蔡さんたちの天下だ」=敬称略
(台北=鵜飼啓)