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写真:民進党の主席に当選し、党の幹部会議に出た蔡英文氏(中央)=2008年5月、台湾・中央通
信社提供
2008年3月の総統選での民進党の手痛い敗北から少したったある日、後に蔡英文(ツァイイン
ウェン)のスピーチライターとなる姚人多が、蔡のもとを訪ねてきた。
「副院長、あなたが民進党主席になるべきだ」
前年に行政院副院長(副首相)を退いたとき、蔡は「政治の世界に戻る可能性は低い」と語って
いた。台湾の清華大で教えながら民進党の選挙にかかわってきた姚の要請は、突拍子もないものに
聞こえた。「冗談を言っているのかと思った」と自伝に記している。
言論統制下の反体制運動から政党に発展し、不落と思われた国民党政権を崩してわずか8年。金
銭スキャンダルなどの陳水扁政権の混乱で、08年1月の立法院選挙では27議席(定数113)と惨敗
し、総統選では予想外の大差で政権を失うことになった。迷走の代償は民進党に大きくのしかか
り、当時の党重鎮は軒並み身動きが取れなくなった。
そんな中、党を立て直す人物として、民進党色に染まっていない蔡への期待が若手の間で生まれ
た。さまざまな人が入れ代わり立ち代わり、説得に訪れた。
蔡政権発足に伴って党副秘書長に就いた徐佳青は当時、台北市議だった。蔡を推す動きに賛同し
ていたという。蔡は最終的に首を縦に振ったが、実際に届け出るまで「本当に立候補してくれるの
か」と心配する仲間も多くいた。
5月の主席選で、蔡は独立派の大物、辜寛敏を破って初の女性主席となる。
今では蔡の側近として重用されている劉建忻は、政策部門の責任者に起用された。「蔡の主席と
しての最初の仕事は人員削減と減給だった」と振り返る。
当時の党の負債は2億台湾ドル(約6億6千万円)余りに上っていた。資産がなく、「貧乏政党」
の民進党には大きな額だ。130人余りいた党のスタッフを100人以下に削減。ビルの8〜10階に入っ
ていた党本部は、経費削減のため2フロアに縮小した。
どん底の時期に「火中の栗」を拾った蔡。党の一部には、いつまで続くのか傍観する向きもあっ
た。=敬称略
(台北=鵜飼啓)